One year left -家族ごっこ-
「雅也さん、見て、すっごく天気がいいわよ! 絶好の温泉日和ね!」 


「そうだね。少し混んでるみたいだけど、のんびり行こう」 


「ねえ、あっちに着いたらまずは名物の地鶏を食べましょうよ。夜のご馳走のために、お昼は軽めがいいかしら」


「ハハ、いいね。香織さんの好きなようにしていいよ。萩花ちゃんも、お腹空かせておいてね」


助手席でお母さんがはしゃぎ、運転席のおじさんが優しくそれに応じる。 


その後部座席で、私は一人、息を潜めていた。 


この十日余りのあいだ、結局碧くんとは一言も話さなかった。


彼が私を避けているのは、気のせいじゃなかった。


彼の心はもうあのひとに向いていて、あの夜のキスすら拒絶されたのかもしれない。


味気ない朝と夜が繰り返されるたび、私の内側は強烈な渇きに灼(や)かれ続けていた。


碧くんは今頃、あのひとへ、連絡を入れたのだろうか。  


私の知らない二人の時間が、いま、私のいないあの家で、静かに動き出そうとしている。 


そう思った瞬間、肺のなかの空気が一瞬で引きちぎられ、お母さんたちの笑い声が、意識の底で遠い雑音のようにかすんでいった。


私の心を埋め尽くすのは、もうどうしようもなく、彼のことだけだった。


碧くんをとられたくない。 


それだけが、真実だった。
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