One year left -家族ごっこ-
「おじさんの車を、飛び降りて……ずっと、走って、帰ってきたんだから……っ」


「だから、こんなに汗かいてるんだ?」


碧くんの大きな手が、ゆっくりと私の顔へと伸びる。


額や頬にみっともなく張り付いていた濡れた髪を、大きな指先が、ひどく優しくなぞって整えていく。


お母さんの檻を飛び出し、この手で果たした脱獄の証拠は、彼の熱の中にとうに溶けて消えていた。


差し出される体温に、私はただ、されるがままにその身を委ねる。


彼の指先が私の肌に触れるたび、そこからじわりと驚くほど優しい熱が浸食し、全身の血液が跳ねるように沸き立っていくのがわかった。


「おまえは、母親より俺を選んだ」


低い息遣いとともに、視界のすべてが碧くんの大きな影に塗り潰される。


「萩花が俺のところに、堕ちてきたんだからな……」


唇が重なった瞬間、狭い洗面所に籠もる真夏の熱気が、一気に私たちの輪郭を曖昧にしていった。


激しく、ひどく甘やかな、深いキス。


口内へと溢れ出す碧くんの濃密な熱に侵食されながら、私は自分が形を失い、そのまま彼という存在の奥深くへと、とろけて混じり合っていくような錯覚に囚われていた。
< 262 / 354 >

この作品をシェア

pagetop