One year left -家族ごっこ-
車内に何でもない停留所の案内が響いた瞬間、碧くんは長い腕を伸ばして降車ボタンを迷うことなく押し込んだ。


「次で降りる」


「え、どこに行くの?」


驚いて顔を覗き込む私に、彼は唇の端にいつも通りの意地悪な気配をわずかに戻して、「俺だけの場所」とだけ含みを持たせた声で呟く。


バスの自動ドアが閉まる音を背後に残して、人影のない停留所へと降り立った。


大通りから外れ、秋の木々がうっそうと生い茂る薄暗い小道へと誘われるようにして、二人の足音だけが重なる。


林に囲まれたひっそりとした薄暗い坂道の先に、誰の目にも触れない隠れ家のようなホテルが佇んでいた。


彼は私の手を迷いなく引いて、その静かな敷地へと連れていく。


「……ここ?」


思わずその場で足をとめると、碧くんは繋いだ手を引き寄せ、どこか脆さを孕んだ瞳で、低く籠もった声を零した。


「最近、萩花はずっと練習で忙しくて、全然構ってもらえてない。……俺、萩花不足」


ぎゅっと握られた指先から伝わる微かな強張りには、寂しさを溜め込んできた彼の本音が剥き出しに滲んでいた。


その飢餓感を隠そうともせず、碧くんは私の手を引いて、自動ドアをくぐり抜ける。


フロントでの短い手続きを終えると、そのまま静まり返ったエレベーターへと乗り込んだ。


密室のなかに響く二人の微かな呼吸の音と、鏡に映る、いつもより大人びた彼のジャケット姿。


繋がれた手のひらから彼の熱い体温が伝わって、私の鼓動は破裂しそうなほど激しく波打っていた。
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