野いちご源氏物語 五二 蜻蛉(かげろう)
薫の君もやはり浮舟の君の死を受け入れられず、宇治の山荘までお出かけになった。
山道を行きながら昔のことを思い出していらっしゃる。
<そもそもは七年前、八の宮様から仏教を教わるために、私は宇治へ通うようになったのだ。それがこの悲しい運命のはじまりだった。大君に恋をしたが、八の宮様につづいて大君は亡くなり、やっと見つけた大君そっくりの異母妹姫も失った。私をひたすら苦しませるご一族だ。
仏教を学びたいと言って近づいておきながら、恋愛などに夢中になった私を、仏様は懲らしめてやろうとお考えなのかもしれない>
山荘に着くと右近をお呼びになった。
女房たちがまだ籠っている期間なので、薫の君はお庭先で立ち話だけにしておかれる。
「どうしても姫のご最期が気になってね。もうしばらくしてゆっくり話せるようになってからと思ったけれど、待ちきれなくてやって来たのだ。姫はいったいどんなご病気でお亡くなりになったのか聞かせてほしい」
右近は迷ったけれど、女君は自殺したと正直にお話しすることにした。
山荘の端に住んでいる弁の尼も、自殺だとなんとなく気づいているらしい。
薫の君は弁の尼からもお話を聞かれるだろうから、ここで嘘をついても無駄だと思ったの。
近ごろすっかり嘘をつきなれた右近だけれど、誠実そうな薫の君と向かいあえば、適当な嘘でごまかす気などなくなってしまう。
驚きのあまり、薫の君はすぐにお言葉が出ない。
<まさかそんなはずはないだろう。おっとりした人だった。自殺だなんて恐ろしいことを思いつくわけがない。どうして見えすいた嘘をつくのだ。
しかし匂宮様はひどくお嘆きだった。この山荘の様子も、嘘をついているようには見えない。私がやって来たことを誰もかれも悲しんで、泣き騒いでいるではないか>
薫の君は混乱なさる。
「それが本当だとして、どうして自殺などなさったのだ。私を嫌になったからだとは思えない。突然いったい何があった。信じられない」
ごもっともだと右近は同情する。
仕方なく、薫の君に浮気を疑われたことが原因だとほのめかした。
「姫様はあなた様を本当に頼りにしていらっしゃったのですが、いつでしたか、あなた様から浮気を疑うようなお手紙が届きました。それから夜の警備が厳しくなり、あなた様からのお手紙も途絶えてしまいました。
姫様はお母君に申し訳ないとお苦しみでした。お母君は姫様のことで気苦労をなさってばかりでしたから。『もうすぐ姫は薫の君に都に迎えていただける。やっと明るいご将来が見えた』とお母君は期待なさっているのに、それを裏切るだけでなく、薫の君に捨てられれば世間の笑い者になってしまわれます。どれほどお母君が嘆かれるかと、姫様は思いつめなさったのでしょう。
それ以外に心当たりはございません。もし鬼などが無理やり連れ去ったとしたら、少しは痕跡が残るはずですから、やはりご自分の意思でここを出ていかれたとしか」
そう言いながらすすり泣くので、薫の君もお泣きになる。
女君の浮気に対する怒りは、もう消えてしまった。
「私は自分の思いとは裏腹に、世間から大切にされすぎている。何をするにも周りの目がうるさくて、姫のことを愛しく思っていても、いや、愛しく思っているからこそ、恋心を抑えなければいけないことが多かった。それが劣って見えたのだろうな。
今さらこんなことは言わずにおこうと思っていたが、そなたしか聞いていないから言う。宮様のことだ。
いつからお通いになっていたのだ。女の心を惑わせる天才でいらっしゃるから、姫も夢中になったのだろう。めったにお会いできないことがつらくて自殺してしまったのではないか。どうだ、はっきり申せ。私に隠しだてするな」
確信を持っていらっしゃるのだ、と右近はお気の毒に思う。
「嫌なことをお聞きになったのでございますね。私はすべて見ておりましたが」
一度ここでためらってから、女君を守ろうと覚悟を決めて話しはじめた。
「お耳に入っておりますでしょうか。去年の秋、姫様は二条の院にしばらく滞在なさいました。そこで宮様に見つかってしまわれたのです。乳母が宮様をにらみつけまして幸い何もなかったのですが、もう二条の院にはいられず、お母君のご用意なさった隠れ家に移られました。そこからあなた様が連れ出され、宇治のこの山荘へお移りになったのです。
宮様に居場所を知られないよう気をつけておりましたのに、どこでお聞きになったのか、二月ごろからお手紙が届くようになりました。それから何通も届きましたが、姫様はまったくご覧になりません。それではあまりに恐れ多いので、私がお願いいたしまして、一度か二度はお返事をお書きになりました。それだけのご関係でございます」
山道を行きながら昔のことを思い出していらっしゃる。
<そもそもは七年前、八の宮様から仏教を教わるために、私は宇治へ通うようになったのだ。それがこの悲しい運命のはじまりだった。大君に恋をしたが、八の宮様につづいて大君は亡くなり、やっと見つけた大君そっくりの異母妹姫も失った。私をひたすら苦しませるご一族だ。
仏教を学びたいと言って近づいておきながら、恋愛などに夢中になった私を、仏様は懲らしめてやろうとお考えなのかもしれない>
山荘に着くと右近をお呼びになった。
女房たちがまだ籠っている期間なので、薫の君はお庭先で立ち話だけにしておかれる。
「どうしても姫のご最期が気になってね。もうしばらくしてゆっくり話せるようになってからと思ったけれど、待ちきれなくてやって来たのだ。姫はいったいどんなご病気でお亡くなりになったのか聞かせてほしい」
右近は迷ったけれど、女君は自殺したと正直にお話しすることにした。
山荘の端に住んでいる弁の尼も、自殺だとなんとなく気づいているらしい。
薫の君は弁の尼からもお話を聞かれるだろうから、ここで嘘をついても無駄だと思ったの。
近ごろすっかり嘘をつきなれた右近だけれど、誠実そうな薫の君と向かいあえば、適当な嘘でごまかす気などなくなってしまう。
驚きのあまり、薫の君はすぐにお言葉が出ない。
<まさかそんなはずはないだろう。おっとりした人だった。自殺だなんて恐ろしいことを思いつくわけがない。どうして見えすいた嘘をつくのだ。
しかし匂宮様はひどくお嘆きだった。この山荘の様子も、嘘をついているようには見えない。私がやって来たことを誰もかれも悲しんで、泣き騒いでいるではないか>
薫の君は混乱なさる。
「それが本当だとして、どうして自殺などなさったのだ。私を嫌になったからだとは思えない。突然いったい何があった。信じられない」
ごもっともだと右近は同情する。
仕方なく、薫の君に浮気を疑われたことが原因だとほのめかした。
「姫様はあなた様を本当に頼りにしていらっしゃったのですが、いつでしたか、あなた様から浮気を疑うようなお手紙が届きました。それから夜の警備が厳しくなり、あなた様からのお手紙も途絶えてしまいました。
姫様はお母君に申し訳ないとお苦しみでした。お母君は姫様のことで気苦労をなさってばかりでしたから。『もうすぐ姫は薫の君に都に迎えていただける。やっと明るいご将来が見えた』とお母君は期待なさっているのに、それを裏切るだけでなく、薫の君に捨てられれば世間の笑い者になってしまわれます。どれほどお母君が嘆かれるかと、姫様は思いつめなさったのでしょう。
それ以外に心当たりはございません。もし鬼などが無理やり連れ去ったとしたら、少しは痕跡が残るはずですから、やはりご自分の意思でここを出ていかれたとしか」
そう言いながらすすり泣くので、薫の君もお泣きになる。
女君の浮気に対する怒りは、もう消えてしまった。
「私は自分の思いとは裏腹に、世間から大切にされすぎている。何をするにも周りの目がうるさくて、姫のことを愛しく思っていても、いや、愛しく思っているからこそ、恋心を抑えなければいけないことが多かった。それが劣って見えたのだろうな。
今さらこんなことは言わずにおこうと思っていたが、そなたしか聞いていないから言う。宮様のことだ。
いつからお通いになっていたのだ。女の心を惑わせる天才でいらっしゃるから、姫も夢中になったのだろう。めったにお会いできないことがつらくて自殺してしまったのではないか。どうだ、はっきり申せ。私に隠しだてするな」
確信を持っていらっしゃるのだ、と右近はお気の毒に思う。
「嫌なことをお聞きになったのでございますね。私はすべて見ておりましたが」
一度ここでためらってから、女君を守ろうと覚悟を決めて話しはじめた。
「お耳に入っておりますでしょうか。去年の秋、姫様は二条の院にしばらく滞在なさいました。そこで宮様に見つかってしまわれたのです。乳母が宮様をにらみつけまして幸い何もなかったのですが、もう二条の院にはいられず、お母君のご用意なさった隠れ家に移られました。そこからあなた様が連れ出され、宇治のこの山荘へお移りになったのです。
宮様に居場所を知られないよう気をつけておりましたのに、どこでお聞きになったのか、二月ごろからお手紙が届くようになりました。それから何通も届きましたが、姫様はまったくご覧になりません。それではあまりに恐れ多いので、私がお願いいたしまして、一度か二度はお返事をお書きになりました。それだけのご関係でございます」