野いちご源氏物語 五二 蜻蛉(かげろう)
最終日の昼にすべての行事がすむと、御殿(ごてん)のなかの片付けが始まる。
(おんな)(いち)(みや)様は一時的に(わた)廊下(ろうか)の部屋へお移りになった。
疲れた女房(にょうぼう)たちは離れた部屋へ下がってしまい、女一の宮様の周りは人が少なくなっている。

(かおる)(きみ)僧侶(そうりょ)や参列者が帰ったあと、小宰相(こざいしょう)(きみ)に会おうとお探しになる。
<このあたりだろう。女房の着物の音がする>
戸の開いているところから(のぞ)いてごらんになると、部屋の雰囲気が女房たちの部屋とは思えないほど華やかなの。
ついたての置き方がごちゃごちゃしていないから、かえって薫の君のいらっしゃるところから中が見通せてしまう。

部屋のなかはにぎやかよ。
くつろいだ格好(かっこう)の女房と女童(めのわらわ)が、氷を割ろうとしている。
暑いから氷で(すず)むみたい。
女房たちだけで(さわ)いでいるのかと思いきや、白いお着物の女性が手に氷を持って、女房たちのやることをにこにことご覧になっている。

お顔立ちは言いようもないほどお美しい。
とても暑い日なので、豊かすぎるお(ぐし)がうっとうしいのか、お体から少し離すように流してある。
<女一の宮様だ。これまで見てきた美人とは格の違うお美しさだ>
薫の君はどきどきなさる。

落ち着いてよくご覧になると、おそばになかなかよい女房もいる。
「そんなに騒いではよけいに暑苦しくなりましょう。割らずに見るだけにしておかれては」
微笑(ほほえ)んで言う目元が愛らしい。
薫の君は声で小宰相の君だとお気づきになった。

結局女房たちは無理やり氷を割った。
それぞれ手に持って、頭にのせたり胸元に当てたりする。
行儀(ぎょうぎ)の悪い女房たちね。
小宰相の君は氷を紙に包んで、女一の宮様にお渡ししようとする。
「もういらないわ。(しずく)が困るもの」
宮様は美しいお手を差し出されると、氷で()れたところを(ぬぐ)わせなさった。

お声をかすかに聞けたことを、薫の君はうれしくお思いになる。
女一の宮様と薫の君は同じ六条の院でお育ちになった。
まだ幼かったころに宮様のお姿を拝見して感動なさったけれど、その後は近づくことさえおできにならなかったの。
<それなのにこんな偶然が起きるとは。神様か仏様のおかげだろうか。また私を恋心で苦しめて、出家(しゅっけ)(みちび)いてやろうとお考えなのかもしれない>

だとしたら、これ以上(のぞ)()なんてなさらない方がよい。
分かっているのに目が離せなくて立ちつくしていらっしゃると、()(えん)から女房がやって来る。
戸を開けたままにしていたことに気づいて、あわてて戻ってきたみたい。
遠くに男性の姿を見つけると、
<あぁ、やはり見つかってしまった。どなただろう>
と、急いで近づいてくる。
<私だと気づかれては困る>
薫の君はすぐに立ち去りなさった。

女房は困ってしまう。
<とんでもないことをしてしまった。お部屋のなかについたてがあるけれど、あの配置ではここから見通せてしまう。きっと夕霧(ゆうぎり)大臣(だいじん)様のご子息(しそく)のどなたかだ。他の人はこんな奥まったところまで入ってこないはずだから。
女一の宮様を覗き見していた男がいると(うわさ)になれば、いったい誰が戸を開けたままにしたのかと調べられるだろう。私の責任になる。おそばの女房が人の気配に気づいてくれればよかったけれど、夏のお着物は音が出にくいから、気づかなかったのだろう>

一方、薫の君も思い乱れていらっしゃる。
<幼いころから出家したいと思っていたのに、いろいろな女性に心が()かれるようになってしまった。亡き大君(おおいぎみ)に恋をしたのがすべての始まりだ。その前に出家しておけば、今ごろ山寺(やまでら)で心静かに修行(しゅぎょう)する毎日だっただろうに>
修行生活を想像なさってもまだお心はざわつく。
<女一の宮様になんとなく(あこが)れて、ぜひお姿を拝見したいと思っていた自分が(あさ)はかだった。かえってつらくなるだけなのに>
と苦しまれる。
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