野いちご源氏物語 五二 蜻蛉(かげろう)
入れ違いで(おんな)(いち)(みや)様は中宮(ちゅうぐう)様のお部屋へ行かれた。
「先ほど(かおる)(きみ)がそちらに行かれませんでしたか」
中宮様がお尋ねになると、
小宰相(こざいしょう)(きみ)に会いにいらっしゃったようでございます」
と、女一の宮様の女房(にょうぼう)がお答えする。

「あれほどの人のお話し相手はふつうの女房では(つと)まらないけれど、小宰相なら安心です」
弟とはいえ、中宮様は薫の君を立派な人だと思っていらっしゃる。
ふさわしくない女房にお相手をさせるわけにはいかない。
女房は申し上げる。
「薫の君はときどき小宰相の君の部屋へお越しになります。静かにお話をなさって、夜遅くにお帰りになることもございますけれど、手あたり次第(しだい)に女房を口説くような方ではいらっしゃいません。実は匂宮(におうのみや)様も小宰相の君をお気に召して、お手紙をくださるようです。しかし小宰相の君は宮様のご性格を見抜いておりますから、恐れ多くもまったくお返事を差し上げないのです」

おかしそうに笑うのにつられて中宮様もお笑いになる。
「さすが小宰相だこと。匂宮はどうにかして女癖(おんなぐせ)の悪さを直してほしいのだけれど。女房たちにまで知られているなんて恥ずかしい」
「匂宮様といえば、近ごろ(うわさ)になっていることがございます」
女房は声をひそめた。

「中宮様もご存じでしょうが、薫の君が宇治(うじ)山荘(さんそう)に隠していらっしゃった恋人が、少し前に亡くなりました。その人は中君(なかのきみ)異母妹(いもうと)だったそうでございます。父親は亡き(はち)(みや)様、母親は、今は元常陸(ひたち)(かみ)の妻になっているとか。その亡くなった女君(おんなぎみ)に、匂宮様がこっそり通っていらっしゃったという噂を耳にいたしました。

薫の君が山荘の警備(けいび)を厳しくなさったために、匂宮様は女君にお会いになれず、馬に乗ったまま途方(とほう)()れていらっしゃったとか。女君もひそかに匂宮様を恋しく思っていたのでしょうか、急に姿を消してしまいました。きっと宇治(うじ)(がわ)()()げしたのだろうと、乳母(めのと)や女房たちが泣き(さわ)いでいたそうでございます」

あまりに意外な話で、中宮様はぞっとなさる。
「誰から聞いた話ですか。それが本当ならかわいそうだこと。大事件だっただろうに、私の耳には入りませんでした。薫の君もそんなことはおっしゃっていませんでしたよ。ただ、『亡き八の宮様のご家族はどなたも短命で悲しい』としか」
「うさんくさい(うわさ)(ばなし)ではございません。小宰相の君の女童(めのわらわ)が申したのです。事件のあったとき山荘で働いていたそうで、いかにも本当らしく話しました。山荘の人たちは自殺だったことを必死に(かく)そうとしていたそうですから、薫の君にも本当のことはお伝えしていないのでしょう」

「その女童に(くち)()めしておきなさい。話が広まれば、匂宮が世間から非難(ひなん)されます」
匂宮様は次の東宮(とうぐう)におなりになるかもしれない親王(しんのう)様だから、お名前に傷がつかないよう中宮様は()(づか)われる。
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