君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
描いているのは、空だった。
最近は、そればかりだ。朝焼け、夕焼け、雨上がり、どんよりとした曇り空、そして凍てつくような冬空。
気づけば、空の表情ばかりを追いかけている。
「美術部ってそんな忙しいのか?」
三崎が興味深そうに身を乗り出し、スケッチブックを覗き込んできた。
凌は露骨に顔を顰めると、三崎の身体を左手で押し退ける。右手は鉛筆を握ったままだ。
「近い」
「はいはい」
「減るだろ」
「何がだよ」
「集中力」
「そんなもん外からの刺激で減るのか?」
「減る」
凌が真顔で言い放つと、周囲からまたどっと笑い声が上がった。
かつての尖っていた自分なら、こうしてクラスメイトと軽口を叩き合うことすら想像できなかっただろう。
相変わらず愛想は悪いし、口も悪い。それでも、以前の凌を支配していた、世界そのものを拒絶するような棘は消え失せていた。
担任の大河内ですら最近は、朝のホームルームで「藤代がちゃんと朝から席にいる……」と出席を取るたびに妙な感動を覚えている始末である。
「いやでもさ」
と、三崎がふと思い出したように声を落とした。
「この前のコンテストで最優秀賞取って以来、先生達の藤代を見る目、マジで変わったよな」
「知らねぇよ」
「絶対変わったって」
実際、それは否定できない事実だった。
廊下ですれ違えば普段関わりのない教師からも声を掛けられるし、文化祭のポスター制作も半ば強制的に頼まれた。
美術教師に至っては、廊下で会うたびに嬉々として話しかけてくる。正直、鬱陶しくて面倒極まりなかった。
けれど――少し前まで誰にも見向きもされず、ただの底辺の不良として扱われていた頃を思えば、奇妙な場所へ流れ着いたものだと不思議な気分でもあった。
凌はふと、動きを止めて窓の外を見上げる。
冬の冷たい空。切り裂かれたような薄い雲が、強い上層の風に流されていた。
その突き抜けるような青を見た瞬間、脳裏に自然と、ある一人の少女の横顔が浮かび上がる。
最近の碧南は、美術室にもほとんど顔を出さなくなっていた。
たまに放課後やってきても、もう絵の具の準備をすることはない。
ただ窓際の特等席に腰を下ろし、静かに、じっと外の空を眺めているだけだ。
右手の自由を失ってもなお、彼女は相変わらず、空を見ることを世界で一番愛していた。
「……」
凌は何も言わず、ただ鉛筆を強く握り直す。そして、逃げるように再び白い紙へと向かった。
休み時間終了を告げる予鈴まで、あと数分。
教室内には、友人立ちの他愛のない話し声が暖かく響き続けている。
その喧騒の中心で一人、藤代凌だけが、取り憑かれたように冬の空を描き続けていた。
まるで、あの人が見つめる世界の青を、誰よりも、何よりも、一秒だって忘れたくないと抗うように。
最近は、そればかりだ。朝焼け、夕焼け、雨上がり、どんよりとした曇り空、そして凍てつくような冬空。
気づけば、空の表情ばかりを追いかけている。
「美術部ってそんな忙しいのか?」
三崎が興味深そうに身を乗り出し、スケッチブックを覗き込んできた。
凌は露骨に顔を顰めると、三崎の身体を左手で押し退ける。右手は鉛筆を握ったままだ。
「近い」
「はいはい」
「減るだろ」
「何がだよ」
「集中力」
「そんなもん外からの刺激で減るのか?」
「減る」
凌が真顔で言い放つと、周囲からまたどっと笑い声が上がった。
かつての尖っていた自分なら、こうしてクラスメイトと軽口を叩き合うことすら想像できなかっただろう。
相変わらず愛想は悪いし、口も悪い。それでも、以前の凌を支配していた、世界そのものを拒絶するような棘は消え失せていた。
担任の大河内ですら最近は、朝のホームルームで「藤代がちゃんと朝から席にいる……」と出席を取るたびに妙な感動を覚えている始末である。
「いやでもさ」
と、三崎がふと思い出したように声を落とした。
「この前のコンテストで最優秀賞取って以来、先生達の藤代を見る目、マジで変わったよな」
「知らねぇよ」
「絶対変わったって」
実際、それは否定できない事実だった。
廊下ですれ違えば普段関わりのない教師からも声を掛けられるし、文化祭のポスター制作も半ば強制的に頼まれた。
美術教師に至っては、廊下で会うたびに嬉々として話しかけてくる。正直、鬱陶しくて面倒極まりなかった。
けれど――少し前まで誰にも見向きもされず、ただの底辺の不良として扱われていた頃を思えば、奇妙な場所へ流れ着いたものだと不思議な気分でもあった。
凌はふと、動きを止めて窓の外を見上げる。
冬の冷たい空。切り裂かれたような薄い雲が、強い上層の風に流されていた。
その突き抜けるような青を見た瞬間、脳裏に自然と、ある一人の少女の横顔が浮かび上がる。
最近の碧南は、美術室にもほとんど顔を出さなくなっていた。
たまに放課後やってきても、もう絵の具の準備をすることはない。
ただ窓際の特等席に腰を下ろし、静かに、じっと外の空を眺めているだけだ。
右手の自由を失ってもなお、彼女は相変わらず、空を見ることを世界で一番愛していた。
「……」
凌は何も言わず、ただ鉛筆を強く握り直す。そして、逃げるように再び白い紙へと向かった。
休み時間終了を告げる予鈴まで、あと数分。
教室内には、友人立ちの他愛のない話し声が暖かく響き続けている。
その喧騒の中心で一人、藤代凌だけが、取り憑かれたように冬の空を描き続けていた。
まるで、あの人が見つめる世界の青を、誰よりも、何よりも、一秒だって忘れたくないと抗うように。