君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 凌の表情が驚愕に染まり、その瞳が大きく見開かれる。
 それを見た紫は、自分の思惑通りに事が運んだことを確信したように、口元をさらに深く満足そうに歪めた。

「ふふ、気づいたみたいだね」

 紫は丸椅子の背もたれからゆっくりと顎を離し、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべたまま立ち上がった。

「少し待っていて」

 それだけ言い残すと、彼女は驚きで固まったままの凌に背を向け、軽快な足取りで美術室の出入り口へと向かう。
 引き戸をガラガラと開け、そのまま廊下の向こうへと姿を消してしまった。
 完全に置いていかれた形になった凌は、ポツンと丸椅子の上で取り残される。
 急に静まり返ったような錯覚に陥り、凌は慌てて辺りを見回した。
 視線の先には、相変わらずこちらに見向きもせず、一心不乱にキャンバスへ向かい続けている三人の部員達の背中がある。
 そしてもう一方には、部長が去っていった誰もいない扉の空間。

(え、ちょっと待て……何なんだよ一体。俺、どうすればいいんだ?)

 あまりにもマイペースな紫の行動と、周囲の異常なまでの無関心さに挟まれ、凌は完全に狼狽していた。
 オロオロと部員たちの背中と開け放たれた扉を見比べ、膝の上においていた手をぎゅっと握り締める。
 空気の読めないいじられキャラのポジションには慣れていたが、ここまで予測不能な空間は初めてだった。
 居心地の悪さに耐えかねて席を立とうかと考え始めた、その時。
 廊下からパタパタとスリッパの音が近づき、紫が美術室へと戻ってきた。
 その手には、木製の薄い額縁に収められた、一枚の小さな絵が大事そうに握られている。
 紫は凌の前まで真っ直ぐに歩み寄ると、丸椅子に座る彼を静かに見下ろした。
 その表情からは先ほどまでの悪戯っぽい気配が消え、何処か厳かで、深い慈愛を含んだものへと変わっている。
 彼女は両手で持っていたその絵を、凌の目の前へとゆっくり差し出した。

「……これ」

 促されるまま、凌はその絵へと視線を落とした。

「っ……!」

 息が詰まった。
 そこに描かれていたのは、紛れもない、あの『青空の絵』だった。
 美術室の前の廊下に飾られていた、あの吸い込まれそうなほどに深く、寂しい青。
 ガラスの額縁越しに見るその色彩は、廊下で少し離れて見ていた時よりも、はるかに鮮烈に凌の網膜を刺した。
 キャンバスの凹凸、絵の具が何度も重ねられて作られた独特の厚み、そして細い筆で繊細に描かれたフェンスの影。
 その全てが、昼休みに屋上で出会ったあの少女の、ひたむきで張り詰めたあの眼差しと重なり合う。
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