君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 握り締められた彼女の拳が、微かに、けれど明確に怒りで震えている。
 周囲に散らばる絵の具の匂いが、その殺伐とした空気の中で急に鼻を突くほど濃くなったように感じられた。
 だが、凌はそこで引き下がりはしなかった。彼女がまとう拒絶のオーラが強くなればなるほど、凌の胸の奥にある疑問と衝動は、抑えきれないほどに膨れ上がっていく。

「どうしてか教えてください」

 凌はさらに一歩、足元に散らばる失敗作の紙切れを踏み越えて身を乗り出した。
 彼女との距離が、不穏なほどに縮まる。
 答える隙、拒絶する隙を一切与えないように、胸の中に溜まっていた問いを一気に捲し立てた。

「先輩は、どうしてあの『青空の絵』ばかりを描くんすか?  美術室の前に飾ってあったやつもそうだし、昨日ここで描いていた絵もそうだった。 なんでそんなに青に執着してるんすか?」
「それは、君には関係のない――」
「関係あります。だって、今日もそうだから」

 言葉を遮り、凌は地面に置かれたパレットを指差した。

「今日はこんなに曇ってる。 何処を見渡したって灰色で、太陽の光なんか何処にもない。 それなのに……どうして先輩のパレットの上には、あの時と同じ『青色』だけが乗せられているんすか?」

 凌の問いかけが、コンクリートの壁に跳ね返って鋭く響く。
 パレットの上に生々しく押し出された、何種類もの「青」の絵の具。
 ウルトラマリン、コバルトブルー、セルリアンブルー……。曇天の鈍い光を浴びて、その鮮烈な色彩だけが、まるで周囲の世界から完全に孤立した異物のように、不気味なほどの存在感を放っていた。
 現実の空がどれほど濁ろうとも、彼女の視界は、彼女の指先は、頑ななまでに『青』だけを求め続けている。それは異常だった。
 単なるこだわりや好みの域を遥かに超えた、何かに取り憑かれたような狂気すら感じさせる光景だった。
 捲し立てられた問いの暴力に、彼女は息を呑んだまま、言葉を失って立ち尽くしていた。
 二人の間に、ヒリヒリとした、一触即発の殺伐とした空気が立ち込める。
 彼女の瞳に宿る光が、怒りからもっと深い暗い色へと変質していくのを凌は肌で感じていた。
 それでも凌は、差し伸べた問いの手を引くつもりはなかった。彼女が隠し持っている、その痛みの理由を知るまでは。
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