君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 どんよりとした灰色の雲が、空一面を低く覆い尽くしていた。
 美術部の部室で綾瀬先輩からあの奇妙な言葉を告げられた翌日。
 凌は、授業中もずっと、教室の窓の外を眺めていた。ガラス窓の向こうに広がる景色には、あの『青空の絵』のような鮮烈な色彩は何処にもない。ただただ平坦で、冷たい曇り空が広がっているだけだった。

(……あなたの、右手にして)

 何度反芻しても、その言葉の意味は分からなかった。分からないからこそ、胸の奥でふつふつと得体の知れない不安が募っていく。
 もし本当に屋上へ行って、あの不機嫌な先輩にそんなことを言ったら、今度こそ完全に拒絶されるのではないか。
 不審者を見るようなあの冷たい目で、睨みつけられるのではないか。

――キィンコォン、カンコォン……。

 やがて、午前中の授業の終わりを告げるチャイムが、無慈悲に校舎へと響き渡った。
 周りの生徒たちが一斉に席を立ち、机をくっつけて弁当を広げ始める。
 一瞬にして騒がしくなる教室内で、凌だけはピクリとも動き出さなかった。
 ただ、机に突っ伏したまま、気怠げにその光景へと目を向ける。どうしても、立ち上がるだけの勇気が湧いてこなかった。

「今日もいっかな……」

 誰に聞こえるでもない小さな呟きが、自分の腕の中に消えていく。
 今日くらい、行かなくたっていい。あんな謎の言葉、忘れたことにして教室でやり過ごせばいい――。

「何お前、恋する乙女見てぇな顔してんぞ」

 上から降ってきた気の抜けた声に、凌はビクリと肩を揺らした。
 顔を上げると、そこには自分の席の前に寄り掛かり、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている三崎の姿があった。

「うっせ……」

 凌は顔を真っ赤にして不貞腐れながら、三崎からぷいと目を逸らした。
 けれど、その揶揄いが逆に停滞していた凌の背中を無理やり押す形になった。
 これ以上ここにいたら、三崎にあれこれと詮索されてしまう。凌はのそりと重い腰を上げ、徐に立ち上がった。

「お、何処行くんだよ?  飯は?」
「ちょっと、な……。すぐ戻る」

 三崎の声を背中で受け止めながら、凌は見えない力に誘われるように、覚束ない足取りで教室の外へと歩き出した。
 廊下を進み、特別棟へと続く階段の前に立つ。
 上を見上げると、屋上へと続く階段はいつもよりずっと薄暗く、まるで見知らぬ世界の入り口のように不気味にそびえ立っていた。
 トントン、と上履きがコンクリートを叩く。
 凌は一段、また一段と、ゆっくりと階段を上っていった。
 昨日の放課後、紫が見せたあの苦々しい表情。そして、自分がまだ知り得ない、あの少女が抱える『何か』。
 近づいていく屋上の気配に、凌の心臓は嫌な早さで脈打ち始める。
 一歩進むごとに、期待よりも恐怖に似た感情が胸を締め付け、足が竦みそうになった。
 何度も引き返そうと踵を浮かべながらも、どうしてもあの『青』の光景が頭から離れず、身体が勝手に上へと向かってしまう。
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