君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 碧南はパレットや数本の筆を、乱雑に、それでいて手慣れた動作でトートバッグの中へと押し込んでいった。
 床に散らばっていた数枚の破片も、まるで自分の醜態を覆い隠すように乱暴にかき集め、バッグの底へと沈めていく。
 全ての画材をしまい終えると、彼女は重くなったトートバッグの紐を細い肩へと掛け、ゆっくりと立ち上がった。
 夕日が、二人の少女の影をコンクリートの床に長く、昏く引き延ばしていく。
 紫と碧南はそれ以上言葉を交わすことなく、ただ並んで、燃えるような橙色から群青色へと移り変わっていく境界の空を見上げていた。
 しばしの間、風の音だけが二人の間を通り過ぎていく、重苦しくも静かな沈黙が屋上を支配する。

「……私には、誰かを変える力なんて持ち合わせていない」

 沈黙を破ったのは碧南だった。その声は低く、何処か投げやりで、ひどく冷めていた。

「ましてや、自分が描く絵に思い入れなんて無い。ただ、焦燥に駆られて右手を動かしているだけ。あんなのは、私の醜いエゴの残骸よ」
「貴方はそう思っていてもね、碧南」

 紫は空を見上げたまま、穏やかに、けれど確信を込めて言葉を返した。

「この世には、貴方の絵を『素敵だ』と思う人が現実にいる。それってね、絵を描く人間にとって何よりも重要で、何にも代えがたい救いなんじゃないかな」
「紫は本当、楽観的だよね」

 碧南は自嘲気味に鼻で笑い、視線を空から落とした。

「そんな風に綺麗事で世界を見られるのが、羨ましいよ」
「ふふ、珍しい。碧南が私に対してそんな事言うなんてね」

 紫はそう言うと、わざとらしくクスクスと肩を揺らし、碧南を少し小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
 案の定、碧南はフンと鼻を鳴らし、不機嫌そうに端整な顔を歪める。
 いつもの、美術部での二人の距離感が、ほんの少しだけ戻ってきたような気がした。
 けれど、紫のヘーゼル色の瞳が、不意に悪戯っぽい光を帯びる。
 紫は小首を傾げ、覗き込むようにして碧南の横顔を見つめた。

「ねえ、教えてよ。貴方はどうしてそこまでして、凌君を嫌うの?」
「……別に、嫌ってなんか」
「嘘おっしゃい。もしかしなくても、さっきあの子に『ここに近づくな』とか『二度と来るな』とか、お得意の冷たいセリフで脅しをかけたんでしょう?」

 全てを見透かしたような紫の問いに、碧南の身体が微かに強張った。
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