君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 凌は、自分の足元や辺りに散らばっている、無数の『青空』の絵にゆっくりと目を落とした。
 どれも鮮烈で、吸い込まれそうなほどに美しい青。
 けれど、その一枚一枚が彼女の苦悩の足跡なのだと思うと、胸が締め付けられるように痛む。
 凌は屈み込み、そのうちの一枚をそっと両手で手に取った。
 キャンバスのざらついた感触が、指先を通じて伝わってくる。

「絵を描き始めた頃の私は、ただ描くことが好きなだけだったのに」

 碧南の声が、何処か遠い記憶をなぞるように、ぽつりと響いた。

「いつの間にか……コンテストに出すための絵を描くようになってた。評価されるため、勝つために、必死になって筆を動かして。これまでに、何百と青空の絵を描いてきたよ。でもね、結局入賞したのは、あの一枚だけだった」

 彼女は、先ほどまで動かしていた筆を見つめ、自嘲気味に目を細める。

「去年の夏に入賞して、自分の現在地(現実)を知ってから……部室には、行きたくなくなった」
「行きたくなくなった、って……」

 凌は手に持った絵を見つめたまま、小さく声を漏らした。
 あんなに熱量を持った人が、どうして部室を、仲間を拒むようになったのか。その答えが、彼女の口から容赦なく紡がれていく。

美術部(あそこ)にいる子達は皆、コンテストのために絵を描いている。描くことをただの義務にして、描く楽しさなんて、とうに忘れちゃってるの。評価という鎖に縛られて、死んだような目でキャンバスに向き合って……。私は、そんな皆と、あの場所が大嫌いで、憎い」

 碧南の言葉が、鋭いナイフとなって静かな空間を切り裂く。

「好きだったはずの絵を描く時間を、地獄へと変えたあの場所が。……心底、おぞましいの」

 そう吐き捨てると、碧南はゆっくりと顔を上げ、何処までも突き抜けるような快晴の空を見上げた。
 その瞳には、かつて彼女が愛し、そして今は彼女を縛り付ける、残酷なまでに美しい『青』が映り込んでいる。
 彼女は、筆を固く握りしめたままの利き手を、すっと天に向かって高く掲げた。
 まるで、その筆先で広大な空を切り裂き、自分を縛り付ける全ての現実から、今すぐ逃れようとするかのように。
 太陽の光を浴びた筆の影が、彼女の蒼白な顔に、昏く、長く落とされていた。
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