君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 


 放課後の美術部室には、乾きかけた油絵の具の鼻を突く匂いが充満している。
 そして、キャンバスの木枠が放つ独特な木の香りが混ざり合った、この場所特有の濃密な空気が漂っていた。
 大きく切り取られた窓の外は、すでに燃えるような夕暮れ色へと染まり始めている。
 斜めに差し込む強い西陽が、リノリウムの床の上に部員たちの影を長く、歪に照らし出す。
 室内には、まだ数人の部員が残っていた。けれど、誰もが自らのキャンバスやスケッチブックの中に意識を埋没させており、会話らしい会話はほとんど交わされていない。
 耳に届くのは、張り詰めた静寂の隙間を縫うように響く、いくつかの生活音だけだった。
 カリ、カリと乾いた音を立てて走るデッサン鉛筆の音。
 バケツの中で筆を濯ぐ、チャプチャプという鈍い水音。
 参考資料を捲る、紙の微かな擦れ音。
 そんな奇妙なほど静かな空間の中で、凌は自分のキャンバスの前に立ち尽くしたまま、胸の奥に溜まっていた熱を吐き出すようにして、大きく息を吐いた。

「……できた」

 ぽつりと零れたその声は、自分でも驚くほど掠れていて、ひどく頼りなかった。
 ここ数週間、文字通り寝食を忘れて描き続けてきた一枚の風景画。
 キャンバスの上に広がっているのは、何処で見ても同じように思える。
 けれど、確実に「あの日、あの場所」でしかあり得なかった、広大な青空の絵だった。
 見る角度、光の当たり方によって、まったく違う表情を見せる不思議な青。
 一面を覆うその鮮烈な色彩のグラデーションの奥には、誰もいないはずの屋上であるにもかかわらず、何処か“誰かを待っている”ような、そんな微かな温度を孕んだ空気感が、奇跡的なバランスで描き出されていた。
 ここまで来るのに、一体どれほどの時間を費やしただろうか。
 何度も、何度も描き直した。
 どうしても納得がいかなくて、狂ったように引き破ったスケッチブックのページは、とうに数え切れない。
 自宅の自室でも、学校の休み時間でも、頭の奥にある完成形を追い求めて、時間さえあれば夢中で筆を動かしていた。
 だからこそ、いざ「完成」の瞬間を迎えても、現実としての実感がひどく薄かった。
 胸を突き上げるような達成感があるわけではない。
 ただ、頭を支配していた強迫観念からようやく解放されたのだという、底知れない疲労感の方が圧倒的に強かった。
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