君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 この世界には、人間とソレ以外しか存在しない。
 人間の中にあるのは人間という概念だけで、天才も凡人も何も無い。全員が同じ人間なのだと、碧南はぎこちない笑みを浮かべて言った。

「───俺はあんたを天才なんて思わねぇ」

 柵を握っていた碧南の手を強く握り、凌は真っ直ぐな目を彼女に向けた。
 
「くだんねぇお願いだな。端から天才も凡人もいねぇんだったら、そんなお願いするだけ無駄だろ」
「……随分な口のきき方だね」
「さっきから言ってることが矛盾してんだよ。ここにいる間は先輩も後輩もない。なら、俺があんたを“先輩”呼びする必要もねぇ」

 元々誰かを敬うような常識など持ち得ない。
 教師に対して碌でもないあだ名を付けたり、親に対して反抗的な態度を取ったり、今もこうして授業をサボっている。
 凌という一人の少年に、常識など求めるだけ無駄だったのだ。

「碧南。俺を呪ったのはこの青空じゃねぇ───……あんたが描いた、青空の絵だ」

 ふわりと夏を感じさせる生ぬるい風が通り過ぎる。
 一瞬、長い髪が碧南の顔を隠した。不自然なほど伸ばされたその髪は、彼女の心を覆い隠す。
 そして靡いた髪が重力に従って落ちた時、そのしたに隠れていた碧南の顔が見えた。
 零れ落ちそうなほど見開かれた瞳が、静かに揺れ動いた。

「あんたは教えてくれなかったけど、青空の絵を描くようになったきっかけを作った人がいんだろ。あんたにとってのその人は、俺にとっての碧南だ」
「何、口説き文句?」

 自分でも何を必死になっているのかよく分からない。
 ただ、このまま手を離して黙っていれば、碧南が何処か遠くへ行ってしまう。そんな気がした。

「……ああ、口説き文句だよ」

 その言葉が落ちた瞬間、碧南の表情が完全に止まった。

「…………は?」

 間の抜けた声が長く続いた静寂を打ち破る。
 いつもの余裕も、皮肉めいた笑みもない。ただ純粋に、予想外のものを真正面からぶつけられた時の顔。
 凌はそんな彼女を見ながら、内心で少しだけ狼狽えていた。

(何言ってんだ俺)

 口説き文句。勢いでそう返したものの、自分でもよく分からない。
 ただ一つだけ、はっきりしていることがある。

「あんたの絵、まだ見たいんだよ」

 凌は繋いだままの手に、少しだけ力を込めた。
 こうして握れば、ちゃんと生命を紡いでいるからこその温もりを感じる。近い未来、動かせなくなる手とは思えないほどに熱い。
 勢いのまま捲し立てた凌は俯き、最早独り言と変わらないことを口走った。

「俺は、あんたみたいに目に見たものをそのまま絵にできない。もっとこうしてぇのに、そうする方法が分からねぇ。ずっと絵を描くことが苦手で逃げてきたんだ。だから、今になって上手く描けるとは思わねぇけど───」

 掴んでいたはずの手がすり抜けて消えて、凌は思わず顔を上げた。
 布が擦れる音、何かが降り立つ足音。
 それらが聞こえた時、再び柵の内側に碧南は立っていた。ただ、先程とは違う。
 碧南は凌の真正面に立ち、彼の手を両手で柔らかく包んでいた。
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