君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
「結構、人が来てるね。去年より多いんじゃない?」
教室の入口付近を見渡しながら、紫が感嘆混じりの声を漏らす。
特設の展示会場となった室内には、想像していた以上に多くの人々が集まっていた。
我が子の晴れ舞台を見に来た風の保護者らしき大人立ち、勉強のために訪れたのだろう制服姿の他校の学生、そしてパンフレットを片手に熱心に作品を凝視する熱心な来場者。
室内には厳かながらも熱を帯びた、独特な静かのざわめきが満ちており、懐かしい絵の具と新しい紙の匂いが微かに漂っている。
「どうだろうね」
碧南は表情を変えず、淡々と返した。
「どうせ見に来るのは身内か、絵の関係者だけだよ」
「なんだかんだ言いながらも、碧南の親だって去年は来てたじゃない」
紫が少しだけ悪戯っぽく、苦笑混じりに言う。
「碧南は会場の外から、遠巻きに見ているだけだったけど」
その言葉が触れた瞬間、碧南の長い睫毛が僅かに伏せられた。
「……中にいたって、惨めになるだけだったしね」
ぽつりと零れたのは、凍りついたように静かな声だった。
「あの人達は結果しか見ていなかったから。私の描いた『絵』なんて、本当の意味では一度も見てくれなかった」
紫の足が、廊下の一歩を踏み出す途中でピタリと止まる。
けれど碧南は気にした様子もなく、歩調を緩めずに前を向いて歩き続けていた。
まるで、とうの昔に答えが出て、諦めてしまった古い昔話をするみたいに。
「……本当、見る目無いねぇ」
紫が、感情を押し殺すようにぽつりと呟いた。
碧南は歩きながら、僅かに眉を上げて隣を見る。
「それは、あの二人に言ってる? それとも私に?」
「どちらにも、だよ」
紫は躊躇うことなく即答した。
「あんなに素敵な命が乗った絵なのに、賞の肩書きしか見ていないご両親も」
紫は再び足を踏み出し、碧南の隣へと追いつく。
「自分の才能に自分で蓋をして、そうやって卑下し続けている貴方も、どっちも見る目が無い」
碧南は今度こそ何も言わなくなった。ただ、少しだけ困ったように、けれど何処か救われたように小さく笑う。
「……紫って時々、そういう気恥ずかしいことを真顔で言うよね」
「え? 私はいつだって本気で、本当のことしか言ってないけど?」
「そこが立ち悪いの」
小さくため息を吐きながら、碧南は視線を正面へと戻した。
二人はそのまま、静かな緊張感が漂う展示教室の中へと足を踏み入れていく。
白いパーテーションパネルに等間隔で並べられた、全国から集まった無数の絵。
鮮烈な風景画、生命力に溢れた人物画、感情をぶつけたような抽象画。
一枚ごとに立ち止まりながら、熱心に感想を囁き合う人立ちの声が、広い空間の天井へと溶けていた。
順路に沿って、紫と碧南もゆっくりと歩き始める。
「これ、本当に中学生部門? レベル高すぎない?」
「最近はデジタル技法を取り入れる人も多いからね。表現の幅が広がってる」
「うわ、この水面の光の描き方すご……息が止まりそう」
紫が素直な感嘆の声を漏らす横で、碧南も静かに絵を見つめていた。
けれど、彼女の視線は時折、絵の鑑賞から外れ、無意識に会場の最奥の壁へと向いていた。
まだ見ぬ、けれど確かにここに存在するはずの、たった一枚の『青』を探すように。
やがて、展示教室の最も深い場所。
他とは明らかに密度が違う、一際大きな人だかりができている一角が、二人の視界へ鮮烈に映り込んだ。