赫い滴と湿った吐息

第三話:朝靄の取極め、終わらない契約 2

​「……私の、飼い主になりたいの?」

少女の自嘲気味な笑みが、白濁した朝の光にさらされ、ひび割れた陶器のように歪む。

鼻腔を支配するのは、使い古された灰皿から漂う湿った吸い殻と、彼女の微かな涙の鉄分。

視界に映る彼女の指先は、男のネクタイを無意識に手繰り寄せ、その重厚な絹の感触に縋った。

​「飼い主ではない。私はただ、お前という『空虚』を買い取りたいだけだ」

男の低い声が、冷え切ったホテルの壁に吸い込まれ、彼女の鼓膜を重い振動で支配する。

耳朶を打つのは、男が胸ポケットから取り出した、数枚の一万円札が擦れ合う乾いた音。

舌先に残る安物の煙草の苦みが、現実という名の猛毒を、男の口腔内へと広げていった。

​「……これ、全部……?」

少女の瞳が、男の掌にある紙幣の束に釘付けになり、欲望と恐怖が混濁した光を宿す。

触れ合う二人の肌の間で、湿った欲望が再び結露し、逃げ場のない熱を帯び始めた。

視覚を奪うほどの白いシーツの海に、投げ出された紙幣が、散った花弁のように降り積もる。

​「週に一度、この場所で。お前の時間を、その全てを私に差し出せ」

男の指が、彼女の細い手首を掴み、逃れられぬ契約の証として深く、赤く、指跡を刻む。

掌に伝わる彼女の脈拍は、絶望へのカウントダウンのように、激しく、そして無様に乱れた。

遠くで、清掃員が廊下を歩く無機質な足音が、世界の境界線を一歩ずつ、確実に踏み越えてくる。

​「……わかった。おじさんになら、全部……あげる」

彼女の吐息が男の喉仏を撫で、拒絶と受容が入り混じった、甘く重い沈黙が部屋を埋めた。

窓の外、朝靄を切り裂く太陽の光が、二人の影を一つの歪な怪物へと変えていく。

溢れ出した背徳の契約が、新宿の街に溶け込み、終わりのない地獄の幕を、静かに引き抜いた。
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