赫い滴と湿った吐息

第三話:静寂の代償、忍び寄る次の影 2

「……本当におじさんは、私の神様だね。あいつを、消してくれたんだもん」

少女の細い腕が男の首に絡みつき、湿った熱を帯びた吐息が、男の鎖骨の窪みにねっとりと溜まっていく。

鼻腔を支配するのは、一晩中シーツに擦れ続けた肌が放つ、微かな鉄分を含んだ血の匂いと、男の重厚なコロンの残り香。

視界に映る彼女の横顔は、絶望の淵から救い出された安堵に、どこか狂気を孕んだ、虚ろで美しい陶酔を浮かべていた。

​「……神ではない。お前の地獄を買い取った、ただの強欲な債権者だ」

男の低い声が、静まり返った寝室の冷気を震わせ、彼女の耳腔に、逃げ場のない「所有権」を刻印するように重く響く。

耳朶を打つのは、男がベッドサイドの煙草に火を付けた際に鳴る、ライターの硬質な金属音と、ガスの小さな爆ぜる音。

舌先に残る安物のニコチンの苦みが、男の口腔を、救済という名の蹂躙を完遂した後の、乾いた愉悦で満たした。

​「いいよ……一生、返せないくらいの、借金にして……私を、離せなくして……っ」

少女の指先が、男の胸に深く爪を立て、その痛みを自身の存在証明であるかのように、じりじりと、ねちっこく味わい尽くす。

触れ合う二人の肌の間で、立ち上る紫煙が、互いの不信感をドロドロに溶かし、不潔で強固な「依存」の檻を作り上げた。

視覚を奪うほどの眩い窓の外のビル群が、朝の光を乱反射し、二人の閉じこもる地獄を、箱庭のように冷たく照らし出す。

​「……なら、お前のその声も、肌も、過去の痛みさえも、全て私の帳簿に記載させろ」

男の手が、彼女の喉元を、獲物を絞め落とす直前の強さで、ゆっくりと、執拗に、かつ深く圧迫する。

掌に伝わる彼女の喉の痙攣は、自由を捨てて家畜となることを選んだ、愚かな贄の、激しくも無様な歓喜。

遠くで、街の喧騒が動き出す無機質な重低音が、この密室の罪深さを、遠い世界の出来事のように嘲笑い続けていた。

​「おじ、さん……っ。私、もう……名前も、忘れちゃいそう……っ、あ、あぁ……っ」

彼女の喉から漏れた、個性を抹消された人形のような喘ぎが、男の指先に熱く、そして卑屈な湿り気を伴って絡みつく。

溢れ出した共依存の余韻が、ホテルの密室を、救済という名の墓標へと変え、二人の影を一つの闇に、深く溶かしていく。

静寂を切り裂くのは、もはや外部の干渉ではなく、男の支配という名の、重く、逃れられぬ心臓の音だけだった。
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