赫い滴と湿った吐息
第六章:完全なる監禁、名前を奪われた鳥

第一話:窓のない揺り籠、剥奪の目覚め 1

「……おはよう。もう、外の時間を数える必要はないぞ」

男の低い声が、厚い遮光カーテンで外界を遮断した寝室に、重苦しい安息を伴って沈殿する。

鼻腔を支配するのは、換気もままならない部屋に籠もった高級な柔軟剤の匂いと、彼女の肌から漂う、逃げ場のない甘い腐敗臭。

視界に映る彼女の細い首筋には、昨夜の「契約」の証である紅い指の跡が、まるで消えない首輪のように、淫らに、かつ無残に刻まれていた。

​「……おじさん、今、何時? 私、大学、行かなきゃ……行かなきゃ、いけないのに……っ」

少女の喉から漏れた掠れ声が、湿った熱を帯びたまま、男の胸元に無力な礫となって、何度も弱々しく叩きつけられる。

耳朶を打つのは、男が彼女のスマートフォンの電源を落とし、冷徹な金属音を立てて引き出しの奥へ閉じ込める音。

舌先に残る自身の支配欲という名の鉄錆の味が、男の口腔を、社会から一人の人間を「消去」した後の、静かな熱で満たした。

​「大学など、もう存在しない。お前の席は、このベッドの上と、私の腕の中にしかないのだ」

男の手が、彼女の震える顎を強引に、かつ愛おしむように掬い上げると、指先に伝わるのは、外界への未練が死に絶えていく拍動。

触れ合う二人の肌の間で、立ち上る絶望の汗が、互いの境界をドロドロに溶かし、不潔で強固な「依存」の檻を作り上げた。

視覚を奪うほどの眩い天井のダウンライトが、彼女の虚ろな瞳を、行き場を失った硝子細工のように、美しく、残酷に暴き出した。

​「あ、っ……おじさん、っ……私、もう……誰にも、会えないの……っ?」

彼女の指先が、男の腕の筋肉を、縋り付くように、ねちっこく、執拗になぞり、自身の居場所を確認するように震える。

掌に伝わる彼女の骨の細さは、外界の光を遮られ、今にも溶けて消えてしまいそうなほどに、あまりに脆く、無防備だ。

遠くで、扉の向こう側から聞こえる無機質な空調の音だけが、この密室が外界から切り離された「終焉の島」であることを告げる。

​「会う必要はない。お前を呼ぶ名前さえ、私が新しくつけてやろう。……かつての自分は、ここで殺せ」

男の指先が、彼女の唇を割り、支配という名の冷徹な接吻を、脳髄の奥底まで深く、ねっとりと注ぎ込んでいく。

溢れ出した「喪失」の愉悦が、男の理性を黒く塗り潰し、彼女を「名もなき人形」へと作り替えるための、過酷な儀式を始めた。

日常を失った絶望の淵で、彼女の細い吐息が、男の首筋に熱く絡みつき、完全な「無」へと、静かに、そして無残に堕ちていく。
< 45 / 47 >

この作品をシェア

pagetop