赫い滴と湿った吐息

第一話:窓のない揺り籠、剥奪の目覚め 3

​「……言ってみろ。お前は、誰だ。以前の名など、この部屋の塵と共に捨ててこい」

男の低い声が、厚い静寂を切り裂き、跪いた少女の頭上に、逃げ場のない鉄の蓋のようにのしかかる。

鼻腔を支配するのは、消毒液の冷たい匂いと、極限の緊張に晒された彼女の肌から噴き出す、粘りつくような酸っぱい汗。

視界に映る彼女の項は、あまりの屈辱に赤く染まり、その細い首を絞め落としたい衝動を、男の指先にねちっこく突き立てた。

​「……私は、っ、おじさんの……『小鳥』、です……名前は、もう、ないの……っ」

少女の喉から絞り出された、自身の存在を抹殺する告白が、湿った熱を帯びて、男の革靴の先に惨めに這いつくばる。

耳朶を打つのは、男が彼女の細い首に、新しく誂えた革製のチョーカーを嵌める際に鳴る、カチリという不可逆の完了音。

舌先に残る自身の勝利という名の鉄錆の味が、男の口腔を、一人の人間を完全に「所有」した後の、深い悦楽で満たした。

​「そうだ。私の許可なく囀るな。私の許可なく、その翼を広げることも許さん」

男の手が、彼女の顎を強引に上向かせ、無理やり視線を合わせると、指先に伝わるのは、光を失った瞳の虚無的な拍動。

触れ合う二人の肌の間で、新しく刻まれた拘束の感触が、彼女の「個」という輪郭を、ドロドロに溶かしていく。

視覚を奪うほどの眩いスタンドの灯りが、彼女の瞳の奥に、永遠に消えない「飼い主」の影を、冷酷に、そして鮮明に焼き付けた。

​「……あ、っ……おじ、さん……。私、もう、一人で、歩けない……っ」

彼女の指先が、男の膝を掴み、自身の重みを全て預けるように、ねちっこく、執拗に縋り付いてくる。

掌に伝わる彼女の骨の細さは、自由という重荷を奪われ、今や男の支配なしでは形を保てないほどに、あまりに無力だ。

遠くで、街の喧騒が完全な異世界の音として遠ざかり、この密室の時間が、二人だけの「閉じた永遠」へと固まっていく。

​「歩く必要はない。私の指先一つで、お前の天国も地獄も決まる。……それを、快楽だと呼べ」

男の指が、彼女の唇の裏側を執拗になぞり、言葉を奪う代わりに、絶対的な隷属という名の蜜を注ぎ込んだ。

溢れ出した「完成」の静寂が、ホテルの部屋を、名もなき鳥が死にゆくための、甘美で無慈悲な鳥籠へと変える。

日常の断絶を告げる時計の秒針さえも止まり、彼女の細い吐息は、男の支配の海へと、ただ静かに、そして無残に沈んでいった。
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