赫い滴と湿った吐息

第二話:鏡の向こう側、人形の微笑み 1

​「……見てみろ。これが、お前の新しい姿だ。かつての汚らわしい記憶など、どこにも残っていない」

男の低い声が、脱衣所の大きな三面鏡に反響し、少女の耳腔を冷徹な重圧で満たしていく。

鼻腔を支配するのは、新調されたばかりのシルクのドレスが放つ無機質な布の匂いと、男の指先から移った濃密な煙草の残り香。

視界に映る鏡の中の彼女は、透けるようなレースに包まれ、まるで生きていることを禁じられた剥製のように、青白く、そして淫らに佇んでいた。

​「……これ、私……? 違う、……こんなの、知らない……っ」

少女の喉から漏れた掠れ声が、鏡の冷たい表面にぶつかり、自身の存在を否定する虚しい霧となって消えていく。

耳朶を打つのは、男が彼女の背後から髪を梳く、ブラシが地肌を擦るゾッとするほど静かで執拗な摩擦音。

舌先に残る自身の困惑という名の鉄錆の味が、男の口腔を、獲物を自分好みの形へ作り変えた後の、歪な高揚で満たした。

​「知らないのではない。今までが偽物だったのだ。……この鏡に映る無力な女こそが、私の望む真実だ」

男の手が、彼女の細い腰を後ろから引き寄せると、指先に伝わるのは、自分自身の変貌を拒絶しきれない肢体の震え。

触れ合う二人の肌の間で、薄いシルクの布が不吉な衣擦れの音を立て、彼女の輪郭を男の所有物として、より鮮明に縁取っていく。

視覚を奪うほどの眩い鏡の反射が、彼女の虚ろな瞳の奥に、飼い主に逆らえぬ家畜の卑しさを、冷酷に、そして鮮明に暴き出した。

​「あ、っ……おじ、さん……。私、あいつの……元カレの顔、もう、思い出せない……っ」

少女の指先が、鏡に映る自分の頬を、まるで他人の肉を確かめるように、ねちっこく、執拗になぞり回す。

掌に伝わる彼女の皮膚の薄さは、外界の記憶を奪われ、男の愛撫という名の暴力だけで形を保っているほどに、あまりに脆い。

遠くで、換気扇が回る一定の重低音が、この密室で行われる「自己喪失」の儀式を、無感情に、そして永劫に祝福し続けていた。

​「それでいい。思い出そうとするたび、その脳髄に私の名を刻み込め。……さあ、笑ってみせろ」

男の指先が、彼女の口角を強引に吊り上げると、支配という名の冷徹な命令が、彼女の精神を粉々に砕き散らす。

溢れ出した「洗脳」の静寂が、鏡の中の二人を一つの醜い影に溶かし、彼女に「人形」としての微笑みを強制した。

日常を完全に葬り去ったその笑顔は、もはや救済など求めておらず、ただ底なしの闇へと、静かに、そして無残に堕ちていく。
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