赫い滴と湿った吐息
第二話:鏡の向こう側、人形の微笑み 3
「……さあ、自分に別れを告げろ。この鏡に映っているのは、もうお前ではない」
男の低い声が、静まり返った浴室のタイルに冷たく、かつ執拗な残響を伴って沈殿する。
鼻腔を支配するのは、鏡を拭き上げたアルコールのツンとした刺激臭と、極限まで追い詰められた彼女の肌から噴き出す、微かな鉄分を含んだ汗の匂い。
視界に映る鏡の中の彼女は、男の手によって紅を引かれ、まるで魂を抜かれたビスクドールの完成予想図のように、無機質な美しさを湛えていた。
「……さよなら、私。……おじさんの、お人形さん、に……なるから……っ」
少女の喉から絞り出された、自身の埋葬を告げる掠れ声が、鏡の表面を白く曇らせ、一瞬だけ彼女の貌を消し去る。
耳朶を打つのは、男が彼女の後ろから、新しい「所有者」としての証を刻むように、重い革のベルトを鳴らす嫌な音。
舌先に残る自身の存在意義という名の鉄錆の味が、男の口腔を、一人の人間を完全に「完成」させた後の、深い静寂で満たした。
「……いい子だ。お前のその瞳も、唇も、もはや私以外の光を映す必要はない」
男の手が、鏡を遮るように彼女の視界を塞ぎ、そのまま無理やり「闇」という名の安寧を、脳髄まで深く押し込んでいく。
触れ合う二人の肌の間で、立ち上る絶望の熱が、鏡の中の虚像をドロドロに溶かし、彼女という個体をもはや一つの「機能」に変えていく。
視覚を奪うほどの眩い浴室の光が、彼女の意識の端々を白く焼き切り、外界との繋がりを、物理的にも精神的にも完全に断絶した。
「あ、っ……おじ、さん……。私、もう……自分の、顔……忘れちゃった……っ」
彼女の指先が、男の掌を、自身の視覚を取り戻そうとするように、ねちっこく、執拗に、かつ弱々しく探り続ける。
掌に伝わる彼女の額の冷たさは、自分という名の墓標を鏡の中に置いてきた、救いようのない喪失の冷感。
遠くで、排水口へと吸い込まれていく水の渦の音が、彼女の過去という名の残骸を、一滴残らず奈落へと運び去っていく。
「忘れろ。お前の顔は、私が望む時に、私が望む表情で作ってやればいい。……それがお前の新しい『生』だ」
男の指先が、彼女の閉ざされた瞼をなぞり、支配という名の冷徹な安らぎを、魂の奥底まで、ねっとりと注ぎ込んだ。
溢れ出した「完成」の悦楽が、ホテルの部屋を、名もなき人形が安住するための、甘美で無慈悲な墓所へと変える。
日常を完全に葬り去ったその密室で、彼女の細い吐息は、男の支配という名の永遠の闇へと、ただ静かに、そして無残に沈んでいった。
男の低い声が、静まり返った浴室のタイルに冷たく、かつ執拗な残響を伴って沈殿する。
鼻腔を支配するのは、鏡を拭き上げたアルコールのツンとした刺激臭と、極限まで追い詰められた彼女の肌から噴き出す、微かな鉄分を含んだ汗の匂い。
視界に映る鏡の中の彼女は、男の手によって紅を引かれ、まるで魂を抜かれたビスクドールの完成予想図のように、無機質な美しさを湛えていた。
「……さよなら、私。……おじさんの、お人形さん、に……なるから……っ」
少女の喉から絞り出された、自身の埋葬を告げる掠れ声が、鏡の表面を白く曇らせ、一瞬だけ彼女の貌を消し去る。
耳朶を打つのは、男が彼女の後ろから、新しい「所有者」としての証を刻むように、重い革のベルトを鳴らす嫌な音。
舌先に残る自身の存在意義という名の鉄錆の味が、男の口腔を、一人の人間を完全に「完成」させた後の、深い静寂で満たした。
「……いい子だ。お前のその瞳も、唇も、もはや私以外の光を映す必要はない」
男の手が、鏡を遮るように彼女の視界を塞ぎ、そのまま無理やり「闇」という名の安寧を、脳髄まで深く押し込んでいく。
触れ合う二人の肌の間で、立ち上る絶望の熱が、鏡の中の虚像をドロドロに溶かし、彼女という個体をもはや一つの「機能」に変えていく。
視覚を奪うほどの眩い浴室の光が、彼女の意識の端々を白く焼き切り、外界との繋がりを、物理的にも精神的にも完全に断絶した。
「あ、っ……おじ、さん……。私、もう……自分の、顔……忘れちゃった……っ」
彼女の指先が、男の掌を、自身の視覚を取り戻そうとするように、ねちっこく、執拗に、かつ弱々しく探り続ける。
掌に伝わる彼女の額の冷たさは、自分という名の墓標を鏡の中に置いてきた、救いようのない喪失の冷感。
遠くで、排水口へと吸い込まれていく水の渦の音が、彼女の過去という名の残骸を、一滴残らず奈落へと運び去っていく。
「忘れろ。お前の顔は、私が望む時に、私が望む表情で作ってやればいい。……それがお前の新しい『生』だ」
男の指先が、彼女の閉ざされた瞼をなぞり、支配という名の冷徹な安らぎを、魂の奥底まで、ねっとりと注ぎ込んだ。
溢れ出した「完成」の悦楽が、ホテルの部屋を、名もなき人形が安住するための、甘美で無慈悲な墓所へと変える。
日常を完全に葬り去ったその密室で、彼女の細い吐息は、男の支配という名の永遠の闇へと、ただ静かに、そして無残に沈んでいった。