赫い滴と湿った吐息

第三話:共犯の終焉、あるいは神の沈黙 3

男の指先が、彼女の意識の端々を麻痺させるように、支配という名の冷徹な安らぎを、脳髄の奥底まで、ねっとりと注ぎ込んだ。

​鼻腔を支配するのは、外界の生死さえも無関係となった、沈黙する石壁の冷たい湿り気と、男の肌から移された濃密な所有の残り香。

耳朶を打つのは、外界との唯一の繋がりであった通気口さえも塞がれ、世界から音が死に絶えたような、耳が痛くなるほどの絶対的な静寂。

視覚を奪うほどの眩いランタンの火を男が吹き消すと、残されたのは、二人の境界が消失した、濃密で甘美な「無」の空間だけだった。

​「……ああ。お前は永遠に、私の庭で咲き続ける、名もなき花だ。……さあ、安らかに、私の闇に沈め」

男の低い囁きが、光を失った暗闇の中で彼女の精神を優しく、しかし容赦なく包み込み、外界へ繋がる最後の記憶の糸をぷつりと断ち切る。

掌に伝わる彼女の胸の鼓動は、もはや生命を維持するためのものではなく、男の欲望というゼンマイで動く、精巧な自動人形の拍動。

​「おじ、さん……。暗い、ね……。でも、ここなら、私……誰にも、奪われない、よね……っ」

彼女の指先が、男の輪郭を暗闇の中で必死に辿り、唯一の神を繋ぎ止めるように、ねちっこく、執拗に、かつ深く縋り付き続ける。

舌先に残る自身の「個」という名の鉄錆の味が、男の口腔を、一人の人間を完全に「深淵」へと埋葬した後の、冷たくて鋭い達成感で満たしていた。

​遠くで、降り続く雨音が外界の記憶をすべて押し流し、この閉ざされた深淵に、一柱の「永遠の標本」の完成を、静かに、そして無残に宣告する。

触れ合う二人の肌の間で、立ち上る終焉の汗が、彼女を社会という名の光から完全に遮断し、男という絶対的な夜の帳(とばり)へと永遠に封じ込めた。

​日常が完全に死に絶えたその漆黒で、彼女の細い吐息は、男の支配という名の永劫の沈黙へと、ただ静かに、そして無残に溶けていった。

もはや彼女を呼ぶ声はどこにも届かず、彼女自身もまた、自分がかつて誰であったかを思い出す言葉を持たない。

ただ、主人の指先が与える感覚だけが、この閉じられた宇宙における唯一の真実となった。
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