刻(とき)の断罪 ―真紅の絆―
三日後、翔は再び「深紅のドレスの美女」へと姿を変え、京太郎の前に現れた。

雨の夜。都心を見下ろす会員制バーの最奥で、京太郎は獲物を待つ獣のように息を潜めていた。裏社会からの執拗な督促、底をついた資金―。焦燥に駆られる彼の前に、夜の闇を凝縮したような深紅のドレスを纏った美女、すなわち「女装した翔」が姿を現した。

「…お待たせいたしました、田之上社長」

翔は艶やかに微笑み、テーブルに一枚の重厚な羊皮紙のような書類を置いた。京太郎の目は、そこに記された「2,000,000,000」という数字に釘付けになる。

「20億…。だが、これ、全部フランス語じゃないか。何て書いてある?」
「ふふ、警戒なさらないで。これはフランスのプライベートバンクを経由させた、極秘の『資産還流契約』ですわ。ここにサインすれば、あなたの隠し財産は当局の追跡を逃れ、合法的な投資資金として洗浄されます。…田之上さん、あなたは選ばれたのです。この国の窮屈なルールから解き放たれる、真の勝者にね」

翔は優雅な手つきで高級万年筆を差し出した。
「読めない言葉に判を突くのは、一流のギャンブラーの嗜み。それとも…裏社会の男たちに、その場しのぎの言い訳を続けて一生を終えますか?」

「……まさか。俺を誰だと思ってる。一流のビジネスマンは、直感で動くものさ」
京太郎は虚勢を張り、震える手で自らの姓名を叩きつけるように署名した。翔はその様子を、手袋を嵌めた指先でシャンパングラスを転がしながら、冷たく見つめていた。その書類の真の内容が、国際テロ組織への「全財産寄付と永遠の忠誠」を誓うものであるとも知らずに。


翌朝。田之上邸の静寂は、京太郎の怒声によって切り裂かれた。
リビングのテーブルには、美晴によって記入済みの離婚届が置かれていた。

「離婚だと!? 美晴、ふざけるな! 誰のおかげでこの家で、こんな贅沢な暮らしができていると思っている! 泥棒猫の分際で、俺を捨てるだと?」
京太郎が書類を破り捨てようとしたその時、美晴は感情の消えた声で遮った。

「贅沢? ……ええ、そうね。あなたが淳也さんから盗んだ地位、淳也さんを陥れて手に入れた金で食べる食事は、砂を噛むような味だったわ」

「何だと……! 淳也、淳也と……死んだ男の亡霊に取り憑かれやがって! 俺はあいつに勝ったんだ。お前を手に入れ、あいつの人生を奪い、今こうして『父親』として俊太を育てている。……勝者は俺なんだよ!」

美晴は、哀れみすら感じさせない冷徹な微笑を浮かべ、一歩京太郎に歩み寄った。
「……父親? 笑わせないで。あなたは一度も、あの子の父親になったことなんてないわ」

「何……?」

「俊太の血液型、そしてあの子が三歳の時に受けた精密検査の結果……あなたは一度も真面目に見たことがなかったわね。当然よ、自分のこと以外に興味がないもの」
美晴は、隠し持っていた一通の鑑定書をテーブルに叩きつけた。

「俊太は、淳也さんの子供よ。あなたの血なんて、一滴も、細胞の一つも流れていない。……あなたは十五年間、自分が一番憎んでいた男の息子を、自慢の跡取りだと信じて、必死に金を注ぎ込んで育ててきたのよ。……これ以上の滑稽な喜劇があるかしら?」

京太郎の顔から、一気に血の気が引いた。赤、白、そして土色へと変色していく。
「な……嘘だ……。俺が、淳也のガキを……? 嘘だと言え! 美晴!」

「本当よ。あなたが一番手に入れたかったものは、何一つ手に入っていなかった。私という女も、跡取りという未来もね。……さようなら。十五年間の『パパごっこ』、ご苦労様でした」

半狂乱になり、テーブルをひっくり返して喚き散らす京太郎を背に、美晴はすでに外で待機していた翔の車へと、俊太の手を引いて迷わず歩き出した。
崩れ落ちる邸宅の中で、京太郎の絶叫だけが、空虚に響き渡っていた。
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