零班は落第寸前!――名門男子校は秘密のスパイ養成学校でした――
しばらく誰も口を開かなかった。
最初に話したのは大河内だった。
「……でかい」
「うん。すごくでかい」
俺は答えた。
疑いがかかったとか、A班にからかわれたとか、さっきまでそれで腹がいっぱいだったのに、急にその上からもっとでかいものが落ちてきた感じだった。
白鷺が壁にもたれた。
「なるほどねえ。そりゃ先生たち、顔までスパイ用になるわ」
「感想が軽い」
「軽く言わないと重いんだよ、こういうのは」
九条が腕を組んだ。
「整理するぞ」
「早いな」
「遅いよりましだ。犯人は、赤い封筒の試験が囮になると知っていた。金庫の存在を知っていた。中身の価値も知っていた。そのうえで、西回廊の死角を使える」
火村が指を折った。
「あと、足音がない」
大河内がうなずく。
「……上級生」
「たぶんね」
白鷺が言った。
「俺ら一年が、いきなりあの死角使って、あの金庫知ってて、あの黒い封筒の価値まで知ってるとは考えにくい」
「考えにくい、じゃなくて無理だろ」
俺が言うと、九条も同意した。
「だからこそ、零班は“使われた上で疑われている”可能性が高い」
白鷺が口笛を吹きかけて、やめた。
「最悪だね。便利に使われて、ついでに犯人扱い」
「笑えない」
「二回目だよ、有馬」
「二回でも三回でも言う」
火村がふと思い出したように言った。
「でもさ、生徒会書記の真砂先輩も通ってたよな。見張り、普通に通してた」
九条は即答した。
「見張りの正面を堂々とだ。だが、有馬が見た影は死角を使っていた。少なくとも、俺たちが追うべき“影”とは別だ」
それは筋が通っていた。
白鷺が俺を見る。
「有馬。もう一回、影の感じ」
俺は目を閉じた。
夜の西回廊。壁灯。振り子時計。死角の三歩。
「背は、俺たちより高かった。大河内ほどじゃない。足音はしない。走ってるんじゃなくて、滑るみたいで……」
そこで、はっとした。
俺が見たのは、まっすぐ通る人じゃなかった。見えないところだけを縫うみたいに動く影だった。
そして、そのあと脇の回廊から出てきたのは秋月先輩だった。
「秋月先輩だ」
「断定は早い」
九条が言ったけど、否定ではなかった。
俺は言い足した。
「夜もそうだったけど、秋月先輩、いつも足音がしない。昨日の朝も、校長室前を通ったとき、全然音がなかった」
大河内がぼそっと続けた。
「……右手の箱、重いふり」
「あ」
火村が声を上げた。
「朝もそうだったし、夜も脇の回廊から書類箱持って出てきた。箱の中に黒い封筒、隠せる」
白鷺が目を細めた。
「しかも、あの先輩、やたら視線の癖とか死角とか詳しかったよね」
俺の頭の中で、昨夜の秋月先輩の言葉がよみがえった。
『正面ばかり見てると疲れるよ』
『見張りも人間だからね。見る場所には癖がある』
あれはただの助言だと思っていた。
でも、今聞き返すと、知りすぎているようにも思えた。
「感じのいい先輩だったんだけどな……」
思わずそう漏らすと、九条が冷たく言った。
「見た目で善悪がわかるなら授業はいらない」
「お前、言い方」
「でも正論」
白鷺が肩をすくめた。
「いやあ、面倒見のいい二年A班の優等生が、実は校長室の死角を滑って黒い封筒をかっさらってました、は、だいぶ嫌だけど綺麗な筋ではある」
「綺麗って言うな」
「綺麗に嫌なんだよ」
火村が急に前のめりになった。
「じゃあ、どうする?先生に“秋月先輩が怪しいです”って言う?」
九条が首を振った。
「根拠が足りない。人影と足取りだけでは弱い。下手をすると“零班の責任転嫁”で終わる」
それは、嫌なくらい想像できた。
ただでさえ疑われているのに、今度は優秀な先輩へ適当に容疑をなすりつけた、で終わりかねない。
白鷺がにやっとした。
「つまり、やることは一つだね」
「お前、その顔のときだいたいろくでもない」
「尾行」
火村が手を挙げた。
「俺、尾行用の小型鏡と――」
「いらない」
俺と九条の声がまた重なった。
白鷺が笑う。
「ほら、仲いい」
「よくない」
「最悪の一致だ」
大河内が短く言った。
「……追う」
それが妙にまっすぐで、俺は顔を上げた。
疑われたままなのは、嫌だった。
誰かに笑われるのも、距離を取られるのも、腹が立った。
でも、それ以上に、なくなった黒い封筒を、そのままにするほうが嫌だった。
なら、班で動くしかない。
「やる」
俺が言うと、四人がいっせいにこっちを見た。
「有馬が言うなら、まあ決まりかな」
白鷺が言った。
九条は小さくうなずく。
「放課後からだ。秋月柊真先輩の動きを追う」
火村はもうわくわくしていた。
「とうとう本物のスパイっぽい!」
「っぽい、じゃなくて本物にしろ」
「がんばる!」
大河内は静かに立ち上がった。
「……見失わない」
そのとき、南離れの窓の外を、二年の制服が一人、何食わぬ顔で横切った。
姿勢のいい背中。
音のしない歩き方。
きれいすぎる横顔。
秋月先輩だった。
俺たちは、秋月先輩を追うと決めた。
最初に話したのは大河内だった。
「……でかい」
「うん。すごくでかい」
俺は答えた。
疑いがかかったとか、A班にからかわれたとか、さっきまでそれで腹がいっぱいだったのに、急にその上からもっとでかいものが落ちてきた感じだった。
白鷺が壁にもたれた。
「なるほどねえ。そりゃ先生たち、顔までスパイ用になるわ」
「感想が軽い」
「軽く言わないと重いんだよ、こういうのは」
九条が腕を組んだ。
「整理するぞ」
「早いな」
「遅いよりましだ。犯人は、赤い封筒の試験が囮になると知っていた。金庫の存在を知っていた。中身の価値も知っていた。そのうえで、西回廊の死角を使える」
火村が指を折った。
「あと、足音がない」
大河内がうなずく。
「……上級生」
「たぶんね」
白鷺が言った。
「俺ら一年が、いきなりあの死角使って、あの金庫知ってて、あの黒い封筒の価値まで知ってるとは考えにくい」
「考えにくい、じゃなくて無理だろ」
俺が言うと、九条も同意した。
「だからこそ、零班は“使われた上で疑われている”可能性が高い」
白鷺が口笛を吹きかけて、やめた。
「最悪だね。便利に使われて、ついでに犯人扱い」
「笑えない」
「二回目だよ、有馬」
「二回でも三回でも言う」
火村がふと思い出したように言った。
「でもさ、生徒会書記の真砂先輩も通ってたよな。見張り、普通に通してた」
九条は即答した。
「見張りの正面を堂々とだ。だが、有馬が見た影は死角を使っていた。少なくとも、俺たちが追うべき“影”とは別だ」
それは筋が通っていた。
白鷺が俺を見る。
「有馬。もう一回、影の感じ」
俺は目を閉じた。
夜の西回廊。壁灯。振り子時計。死角の三歩。
「背は、俺たちより高かった。大河内ほどじゃない。足音はしない。走ってるんじゃなくて、滑るみたいで……」
そこで、はっとした。
俺が見たのは、まっすぐ通る人じゃなかった。見えないところだけを縫うみたいに動く影だった。
そして、そのあと脇の回廊から出てきたのは秋月先輩だった。
「秋月先輩だ」
「断定は早い」
九条が言ったけど、否定ではなかった。
俺は言い足した。
「夜もそうだったけど、秋月先輩、いつも足音がしない。昨日の朝も、校長室前を通ったとき、全然音がなかった」
大河内がぼそっと続けた。
「……右手の箱、重いふり」
「あ」
火村が声を上げた。
「朝もそうだったし、夜も脇の回廊から書類箱持って出てきた。箱の中に黒い封筒、隠せる」
白鷺が目を細めた。
「しかも、あの先輩、やたら視線の癖とか死角とか詳しかったよね」
俺の頭の中で、昨夜の秋月先輩の言葉がよみがえった。
『正面ばかり見てると疲れるよ』
『見張りも人間だからね。見る場所には癖がある』
あれはただの助言だと思っていた。
でも、今聞き返すと、知りすぎているようにも思えた。
「感じのいい先輩だったんだけどな……」
思わずそう漏らすと、九条が冷たく言った。
「見た目で善悪がわかるなら授業はいらない」
「お前、言い方」
「でも正論」
白鷺が肩をすくめた。
「いやあ、面倒見のいい二年A班の優等生が、実は校長室の死角を滑って黒い封筒をかっさらってました、は、だいぶ嫌だけど綺麗な筋ではある」
「綺麗って言うな」
「綺麗に嫌なんだよ」
火村が急に前のめりになった。
「じゃあ、どうする?先生に“秋月先輩が怪しいです”って言う?」
九条が首を振った。
「根拠が足りない。人影と足取りだけでは弱い。下手をすると“零班の責任転嫁”で終わる」
それは、嫌なくらい想像できた。
ただでさえ疑われているのに、今度は優秀な先輩へ適当に容疑をなすりつけた、で終わりかねない。
白鷺がにやっとした。
「つまり、やることは一つだね」
「お前、その顔のときだいたいろくでもない」
「尾行」
火村が手を挙げた。
「俺、尾行用の小型鏡と――」
「いらない」
俺と九条の声がまた重なった。
白鷺が笑う。
「ほら、仲いい」
「よくない」
「最悪の一致だ」
大河内が短く言った。
「……追う」
それが妙にまっすぐで、俺は顔を上げた。
疑われたままなのは、嫌だった。
誰かに笑われるのも、距離を取られるのも、腹が立った。
でも、それ以上に、なくなった黒い封筒を、そのままにするほうが嫌だった。
なら、班で動くしかない。
「やる」
俺が言うと、四人がいっせいにこっちを見た。
「有馬が言うなら、まあ決まりかな」
白鷺が言った。
九条は小さくうなずく。
「放課後からだ。秋月柊真先輩の動きを追う」
火村はもうわくわくしていた。
「とうとう本物のスパイっぽい!」
「っぽい、じゃなくて本物にしろ」
「がんばる!」
大河内は静かに立ち上がった。
「……見失わない」
そのとき、南離れの窓の外を、二年の制服が一人、何食わぬ顔で横切った。
姿勢のいい背中。
音のしない歩き方。
きれいすぎる横顔。
秋月先輩だった。
俺たちは、秋月先輩を追うと決めた。