零班は落第寸前!――名門男子校は秘密のスパイ養成学校でした――
そのあと夕食までの時間、俺たちはほんとに無駄話をしなかった。準備室の黒板を消して、普段通りの顔をして食堂へ行って、普段通りの顔で寮に戻った。普段通りの顔が誰一人うまくなかったのは、たぶんお互い様だった。
消灯後、九条が時計を見た。
「巡回が南廊下を抜けるまで三分」
火村が鞄を持ち上げる。
「爆ぜないやつだけ、よし」
「毎回その確認をするな」
俺たちは音を立てないように寮を抜け、渡り廊下を渡って、旧資料棟のさらに奥にある旧校舎へ向かった。
夜の旧校舎は、昼よりずっと古かった。
壁灯の色は薄く、床板は冷たく、窓の向こうの木立が黒い。足音が一つでも響くと、すぐ全部にばれそうだった。遠くで風が鳴るたび、誰かが歩いてるみたいに聞こえる。
旧校舎西廊下の手前で、九条が手を上げた。
「配置」
俺たちは昼に決めた通りに散った。
白鷺は廊下の角。誰か来たらすぐ合図を出す位置。
九条は少し引いた暗がり。全体が見える場所。
火村は展示戸棚の反対側の柱陰で、小さな工具袋を抱えている。
大河内は窓下の影。入ると影が濃くなった。
俺は突き当たりがいちばんよく見える斜めの壁際に身を寄せた。
待つしかなかった。
時間だけが長かった。
火村の鼻がむずむずした顔になったときは、本気でひやっとした。
「お前、まさか」
「だいじょ――」
大河内の手がすっと伸びて、火村の口元をやさしくふさいだ。
「……くしゃみ、だめ」
火村が目だけで必死にうなずく。
俺は思わず吹きそうになって、あわててこらえた。
そのとき、白鷺の指が二本、暗がりで上がった。
来た。
真砂迅先輩だった。
夜でも制服は乱れていなくて、銀の生徒会章が小さく光っていた。足音はやっぱり静かだったけど、秋月先輩の消えるみたいな歩き方とは少し違う。真砂先輩のは、静かすぎるのに隙がない。消えるためじゃなく、見せないための歩き方って感じだった。
真砂先輩は突き当たりまで来ると、一度だけ廊下を振り返った。
俺は息を止めた。
でも先輩はそのまま、展示戸棚の前にしゃがみこんだ。
右手が、下枠のあたりへ伸びる。
ガラス越しの反射で見えにくい。でも、角度のせいか、俺の位置からだけはよく見えた。
真鍮の飾り鋲。右下から二つ目。
先輩の指がそこを押す。
かすかな音。
次に、左肩から戸棚へ体重をかけた。
戸棚が、ほんの少しだけ左へずれた。
白鷺が言っていた裾払いの意味が、そこでわかった。細いすき間へ入る前の動きだった。
展示戸棚の後ろ、壁だと思っていたところに、黒い縦の線が現れる。
扉だった。
真砂先輩は迷いなく、そのすき間へ体を滑らせた。
一瞬だけ、下へ続く細い階段が見えた。
そして、闇の中へ消えた。
戸棚はもとの位置まで戻りきらず、わずかに開いたまま止まった。
消灯後、九条が時計を見た。
「巡回が南廊下を抜けるまで三分」
火村が鞄を持ち上げる。
「爆ぜないやつだけ、よし」
「毎回その確認をするな」
俺たちは音を立てないように寮を抜け、渡り廊下を渡って、旧資料棟のさらに奥にある旧校舎へ向かった。
夜の旧校舎は、昼よりずっと古かった。
壁灯の色は薄く、床板は冷たく、窓の向こうの木立が黒い。足音が一つでも響くと、すぐ全部にばれそうだった。遠くで風が鳴るたび、誰かが歩いてるみたいに聞こえる。
旧校舎西廊下の手前で、九条が手を上げた。
「配置」
俺たちは昼に決めた通りに散った。
白鷺は廊下の角。誰か来たらすぐ合図を出す位置。
九条は少し引いた暗がり。全体が見える場所。
火村は展示戸棚の反対側の柱陰で、小さな工具袋を抱えている。
大河内は窓下の影。入ると影が濃くなった。
俺は突き当たりがいちばんよく見える斜めの壁際に身を寄せた。
待つしかなかった。
時間だけが長かった。
火村の鼻がむずむずした顔になったときは、本気でひやっとした。
「お前、まさか」
「だいじょ――」
大河内の手がすっと伸びて、火村の口元をやさしくふさいだ。
「……くしゃみ、だめ」
火村が目だけで必死にうなずく。
俺は思わず吹きそうになって、あわててこらえた。
そのとき、白鷺の指が二本、暗がりで上がった。
来た。
真砂迅先輩だった。
夜でも制服は乱れていなくて、銀の生徒会章が小さく光っていた。足音はやっぱり静かだったけど、秋月先輩の消えるみたいな歩き方とは少し違う。真砂先輩のは、静かすぎるのに隙がない。消えるためじゃなく、見せないための歩き方って感じだった。
真砂先輩は突き当たりまで来ると、一度だけ廊下を振り返った。
俺は息を止めた。
でも先輩はそのまま、展示戸棚の前にしゃがみこんだ。
右手が、下枠のあたりへ伸びる。
ガラス越しの反射で見えにくい。でも、角度のせいか、俺の位置からだけはよく見えた。
真鍮の飾り鋲。右下から二つ目。
先輩の指がそこを押す。
かすかな音。
次に、左肩から戸棚へ体重をかけた。
戸棚が、ほんの少しだけ左へずれた。
白鷺が言っていた裾払いの意味が、そこでわかった。細いすき間へ入る前の動きだった。
展示戸棚の後ろ、壁だと思っていたところに、黒い縦の線が現れる。
扉だった。
真砂先輩は迷いなく、そのすき間へ体を滑らせた。
一瞬だけ、下へ続く細い階段が見えた。
そして、闇の中へ消えた。
戸棚はもとの位置まで戻りきらず、わずかに開いたまま止まった。