アダムを噛んで、熱を吸う
喧騒をすり抜け、私たちはA組の教室の前へと辿り着いた。
結衣が何気ない体でドアを開ける。
その背後に隠れるようにして、教室の奥へと視線を滑らせた。

「ほら、あそこ」

結衣が顎先で示したのは、窓際の席だった。
陽光を背負い、ブレザーを羽織ったまま深く椅子に腰掛けている男子生徒。

「あれが、速水」

教えられた名前をなぞるように、私は視線を滑らせる。

隣に座る女子を見下ろすような、極端に長い首。
窮屈そうに机の下に折り畳まれた長い脚と、机に預けられた細い腕。姿勢は崩れていないのに、その体からは一切の熱が抜けている。
相槌も打たず、ただそこに静止している姿は、檻に閉じ込められた剥製みたいだ。

そのときだった。
不意に、彼の顔が上がる。
……目が合った。
黒い。
光を拒む黒ではなく、飲み込んでしまう黒。
数秒の静止。
先に視線を逸らしたのは、私の方だった。

「どう? 似てる?」

心が楽しげに耳元で囁く。
私は意識して肩をすくめてみせた。

「……全然」

でも、もう一度だけ。
抗えずに視線を戻すと、彼はまだこちらを見ていた。
逸らさない。
窓から差し込む斜光が、彼の頬を白く透かしている。
胸の奥が、砂を噛んだようにわずかにざらついた。
私は首を小さく振り、口角を広げた。

「アンニュイ担当、譲るよ」

踵を返すと、心が後ろから茶化した。

「お似合いだし、付き合っちゃえば?」
「いや勝手に引っ付けないでよ」

笑う私の背後で、結衣の声だけが不意にトーンを落とした。

「……でも速水はなあ、結婚とか絶対できないよ」
「えーどういうこと?」

結婚なんてきっとあまりに先のことを、決定事項みたいに。
結衣は窓際の彼を見つめたまま、声を潜めた。

「天寿の会の御曹司なんだよ。内部こっちじゃ結構有名」
「……へえ、じゃあ将来神様なんだ」

私の言葉に心が少しだけ目を開いて小さく笑う。
「……うける」
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