アダムを噛んで、熱を吸う
火曜日のブラックホール
放課後。
廊下の空気は、昼間よりも重く、じっとりと停滞していた。
目的もなくたむろする生徒たちの笑い声や、ビニール傘を剣のように突き合う音が、湿った空間に反響している。
私は友人たちと別れ、階段へ向かおうとした――そのとき、A組の教室から速水が出てくるのが目に入った。
誰とも顔を合わせず、校舎を出る流れに逆らって歩く彼の背中。昇降口とは反対側、静寂が沈殿する奥の方へと。
大勢の喧騒の中で、彼だけがまるで別世界に置かれたかのように静かだった。
無意識に、私は踵を返す。放課後のざわめきから距離を置くにつれ、廊下の湿った空気が肌にまとわりつく。
図書室に入ると、窓から差し込む四角い光が、静止した埃を白く浮かび上がらせていた。その光の中に、速水くんがいた。
迷いを押し殺して歩み寄り、彼の斜め向かいの椅子を引く。
彼は顔を上げない。長い指がページをなぞる音だけが、室内に落ちる乾いたリズムとなって響いた。
私は頬杖をつき、無防備なふりで横顔を眺める。
至近で見上げる彼は、差し込む光のすべてを弾き返す、磨き抜かれた氷細工のようだった。
「読書家なんだね」
ページを繰る指が止まる。凪いだ水面のように、ゆっくりと彼が顔を上げた。
伏せられていた視線が滑るように私を捉え、廊下で見たときよりも深く、静まり返った瞳がこちらの動きを測る。
「なに」
情報だけを置くような、ひどく無機質な声。
私はいつものように唇の端を上げ、わずかに首を傾げる。
「初めまして。あたし、B組の藤本衣織。……私たち、付き合ってるらしいよ」
速水が、一度だけ瞬きをした。長い睫毛が、白い頬にわずかな影を落とす。
「知ってる」
「どう思う?」
室内に静寂が支配する。彼はやがて興味を失ったように手元の本に視線を戻す。
「別に」
「あはは、冷たいなあ」
私は声を弾ませ、わざとらしく溜息をついてみせる。
「仮にも『噂の彼女』が挨拶してるのにさ」
彼は睫毛一本も動かさず、こちらを見ようともしない。
「……速水くんは、毎日ここにいるの?」
めげずに問いかけると、ようやく短く、冷ややかな声が返ってきた。
「火曜日だけ。図書委員だから」
「ふーん、そうなんだ……じゃ、またね」
鞄を肩にかけ、私は軽やかに席を立つ。
図書室を去り際、重い木製のドアの影から一度だけ振り返る。
彼は相変わらず視線を本に落としたまま。追いかけてくる素振りも、見送る視線もない。
窓からの鈍い光が、まるで時間を止めたかのように、彼を淡々と照らしているだけだった。
廊下の空気は、昼間よりも重く、じっとりと停滞していた。
目的もなくたむろする生徒たちの笑い声や、ビニール傘を剣のように突き合う音が、湿った空間に反響している。
私は友人たちと別れ、階段へ向かおうとした――そのとき、A組の教室から速水が出てくるのが目に入った。
誰とも顔を合わせず、校舎を出る流れに逆らって歩く彼の背中。昇降口とは反対側、静寂が沈殿する奥の方へと。
大勢の喧騒の中で、彼だけがまるで別世界に置かれたかのように静かだった。
無意識に、私は踵を返す。放課後のざわめきから距離を置くにつれ、廊下の湿った空気が肌にまとわりつく。
図書室に入ると、窓から差し込む四角い光が、静止した埃を白く浮かび上がらせていた。その光の中に、速水くんがいた。
迷いを押し殺して歩み寄り、彼の斜め向かいの椅子を引く。
彼は顔を上げない。長い指がページをなぞる音だけが、室内に落ちる乾いたリズムとなって響いた。
私は頬杖をつき、無防備なふりで横顔を眺める。
至近で見上げる彼は、差し込む光のすべてを弾き返す、磨き抜かれた氷細工のようだった。
「読書家なんだね」
ページを繰る指が止まる。凪いだ水面のように、ゆっくりと彼が顔を上げた。
伏せられていた視線が滑るように私を捉え、廊下で見たときよりも深く、静まり返った瞳がこちらの動きを測る。
「なに」
情報だけを置くような、ひどく無機質な声。
私はいつものように唇の端を上げ、わずかに首を傾げる。
「初めまして。あたし、B組の藤本衣織。……私たち、付き合ってるらしいよ」
速水が、一度だけ瞬きをした。長い睫毛が、白い頬にわずかな影を落とす。
「知ってる」
「どう思う?」
室内に静寂が支配する。彼はやがて興味を失ったように手元の本に視線を戻す。
「別に」
「あはは、冷たいなあ」
私は声を弾ませ、わざとらしく溜息をついてみせる。
「仮にも『噂の彼女』が挨拶してるのにさ」
彼は睫毛一本も動かさず、こちらを見ようともしない。
「……速水くんは、毎日ここにいるの?」
めげずに問いかけると、ようやく短く、冷ややかな声が返ってきた。
「火曜日だけ。図書委員だから」
「ふーん、そうなんだ……じゃ、またね」
鞄を肩にかけ、私は軽やかに席を立つ。
図書室を去り際、重い木製のドアの影から一度だけ振り返る。
彼は相変わらず視線を本に落としたまま。追いかけてくる素振りも、見送る視線もない。
窓からの鈍い光が、まるで時間を止めたかのように、彼を淡々と照らしているだけだった。