アダムを噛んで、熱を吸う
やがてやってきた男子たちは、窓際に座る速水を「一瞥」だけでやり過ごし、無遠慮に音を立てて椅子を引いた。
その中に、かつて階段の踊り場で、私に頭を下げてきた男子の姿を見つける。佐々木くんというらしい。

私たちは形ばかりの自己紹介を済ませ、申し訳程度にノートを広げる。
騒がしい外の世界が、一気にこのテーブルを侵食していく。
ペン先を落とした白いページが、拒絶反応を起こすかのように、やけに白々と目に痛い。

「衣織って、めちゃくちゃ頭良いから、何でも聞いていいよ」

心が私に手のひらを向け、大袈裟に振ってみせる。

「外部生だもんね。やっぱり住む世界が違うわ」

佐々木の言葉が、私たちの間に薄い膜のような壁を張る。私はその膜の感触を指先でなぞるように、おどけて笑った。

「えー全然だよ!ここにいる皆の方が、ずっと賢いって。小学受験とか中学受験って多分本当に自頭よくないとむりじゃん?私には無理無理」

ふわりと、空気が緩む。私が「脅威」ではないと確認して、彼らは安堵したのだ。

「こんな感じだけど、この子実はファンキーでおもしろいの」

結衣が入学式の日に、私が彼女に席に向かって滑り転け、鞄の中身をぶちまけたエピソードを暴露する。最短で仲良くなるための儀式。私はわざとらしく、両手で顔を覆ってみせた。

「もー! あの日は本当に焦ったんだから。内部の子に鞄のぶつけちゃって、私、この学校で処されるかと思ったもん。結衣が優しくて本当に良かった。顔も性格も、マジで天使」
「そんなことないよー」

結衣が照れたように笑うと、男子たちの視線が一斉に彼女へ吸い寄せられる。
私は顔の力を抜き、わずかな「余白」を確保する。

「たかとくん……だっけ? 中2から付き合ってるんでしょ? すごいよね。心も明るいし、すっごく優しくしてくれるし。心みたいな彼女、本当に羨ましいよ」
「えー、衣織、褒めすぎだってば!」

弾けるような笑い声が、高い天井に無機質に跳ね返る。
広げたノートの上で、私のペン先は一度も紙に触れることはなかった。

「――テスト期間。六時で閉めるから」

背後から、冷たいな声が降ってくる。
振り返ると、速水が図書室の鍵を指先で遊ばせながら、そこに立っていた。

「お、わりぃ。……てかさ、藤本さんと速水ってマジで付き合ってないの?前に喋ってんのみたけど」

佐々木くんが、湿り気を帯びた薄笑いを浮かべて放つ。
その瞬間、図書室からすべての音が消えた。

「……ちょっと、変な噂立てないでよ」

結衣が顔をしかめて窘める。その温度差をよそに、速水は何も答えない。
カチャ。カチャ。
鍵を弄ぶ無機質な金属音だけが、談笑の残骸を無慈悲に切り裂いていく。

促されるように立ち上がり、去り際、一度だけ速水の目を見た。
光を反射しない、夜よりも深い黒。
その瞳の奥に、虚しく笑い続けていた私と、一文字も綴られなかった真っ白なノートが、無様に映り込んでいた。
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