ただ優しくされただけなのに、この恋は間違いですか?

第2話 違和感と一歩



朝のバイキング会場は、思っていたより静かだった。

「……あれ?」

白石陽菜は、手にしたトレーを見下ろしながら小さく首をかしげる。

昨日の夜は、大規模な団体客が入っていた。
バイキング会場はさながら戦場のようで、料理は次々と消えていった。
出しても出しても消えていく料理に、厨房が悲鳴を上げていたのも記憶に新しい。


その流れなら――


(朝も、もっとバタバタするんじゃないのかな)

けれど実際は、客足はゆるやかで、料理の減りも遅い。
朝食会場がオープンして1時間近く経つ。
席もまだ空きがあった。

「今日はずいぶんゆっくりだね〜」

先輩がのんびりとした声を出す。

「そう、ですね……」

相槌を打ちながらも、違和感は消えない。

(団体のお客様が朝ゆっくり……って、あるのかな)

厨房では追加の仕込みをしているはずだ。
このまま出さなければ、廃棄になる食材もあるかもしれない。

(でも、分かんない……)

考えれば考えるほど、自信がなくなる。

(……リーダーに聞こう)

そう決めた瞬間、足は自然と動いていた。

---

「リーダー」

「どうした」

橘は資料から目を上げる。

「あの……朝食の件なんですけど」

言葉を選びながら、今の状況を伝える。

料理の減り方。
客の流れ。
昨日の夜とのギャップ。

「……気のせいかもしれないんですけど」

最後にそう付け加えると、

橘は数秒、考えた。
昨日の予約リストと、現在の入場内約を見比べて――、


「営業に確認する」

それだけ言って、すぐに動く。


結果。

団体客の一部が、オープン前にチェックアウトしていたことが分かった。

その影響で、想定よりも朝食利用が少なかったのだ。


「鈴木、厨房に伝えろ。昨日の大食い客は来ないからゆっくりで良いって。なんなら夜の仕込みしててもいい」

「はい」


先輩が社内スマホで用件を伝えているのを確認して、橘は陽菜の方へ視線を移す。


「白石」

「はい」

「よく気づいたな」



その一言に、

胸の奥がじんわりと温かくなる。


「…はい!」



夕方。

宴会場は、再び活気を取り戻していた。


「すみません、このワインなんですけど」

スーツ姿の初老の男性が、グラスを軽く揺らしながら言う。

「これはどこのですか?」

「えっと……」

陽菜は言葉に詰まる。



(分からない)



赤、白、ロゼ。

肉には赤、魚には白。

それくらいの知識しかない。

せめてボトルがあれば、銘柄なり産地なり確認できるのに。



「品種は?」

「……」

「甘いの?辛いの?」

「えっと……」



じわじわと、空気が重くなる。



(どうしよう)



そのとき。



「失礼いたします」

低い声が、間に入った。



橘だった。
手にはワインボトルが1本。

スッと流れるように陽菜と男性客の間に入り、コルクを引き抜く。ポン、と小気味良い音がした。


「こちら、本日おすすめのワインです」

グラスに注ぎながら、自然な流れで説明を続ける。


産地。
特徴。
料理との相性。



さっきまでの空気が、嘘のように和らいでいく。



「なるほどね」

男性客は満足そうに頷いた。


橘はチラリと視線を寄越した。ここは下がった方が良いだろう。

陽菜は、軽く頭を下げると静かに立ち去る。



バックヤードに戻ると、

一気に力が抜けた。



(……全然だめだ)


未成年ということもあるが、酒に関してはとんと無知だ。
だいたい、既に注がれているグラスワインを見てわかるものなのか。
味なんて以ての外だ。

わかるとしたら――。





「白石」

「ひゃっ!?」

覗き込まれて、変な声が出る。



「……なんつー声」

呆れたような橘の声。



「す、すみません……!」


バックヤードに戻ってきた橘が、腰に手を当てこちらを見ていた。


「さっきのお客様、ありがとうございます。大丈夫でした?」

「あぁ、うん。あの人、常連様だからな……。白石を初めて見たから声かけたんだろ」


常連様ということは、たぶん今後も会う可能性はある。
そう思うとなぜか少しだけブルッと震えた。


「酒に関しては未成年だし仕方ない」

橘は淡々と言う。

「ただ」

一拍置いて、

「客から見たら、全員プロだ」



その言葉が、胸に刺さる。



(……悔しい)



「リーダー、お酒について教えてください!」

思わず、声が出た。



「は?」

「お酒のこと、教えてほしいです!」



橘が、わずかに目を見開く。



「落ち着け」


「お客様にスムーズにご案内できるようになりたいです!」


「それなら、毎月俺が出してる推進用のリスト使えばいいだろ?あれが1番手っ取り早い」


確かに、橘は毎月の献立や旬に合わせて「売りたい」酒をピックアップしたリストを作っている。


「えーと……私、恋愛小説が好きなんですけど」

「ん?」

「自分が好き!って思ったものは他の人にもオススメしたくなるんですよ。だから――」


途中まで言って、ふと横を見る。
橘な顎に手を添え、何かを考えているようだった。


「橘、リーダー……?」


「……面白いな」


ぽつりと、橘が言う。


「俺には無い考えだ」


どういう考えが浮かんだのかは分からないが、陽菜の発言が何かしら橘に刺さったらしい。


「仕方ない、酒は教えてやる。ついでに他のやつらも勉強会だな」

「勉強会?お酒飲んでいいんですか?」



陽菜がそういうと、橘は眉間に皺を寄せて。



「白石はだめだ。二十歳になるまで待て」


「えぇ〜!」


「法令遵守だ」


楽しみにしてたのに!と騒ぐ陽菜を置いて、橘はバックヤードから出ていくのだった。





翌日。

宴会部に、妙な課題が出された。



『自分のおすすめの酒を一本見つけてくること』



ざわつく現場。



「きたこれ!」

「マジで!?」



お酒大好き勢が目を輝かせる。



数日後。

宴会部の会議室には、様々な酒が集まった。



地酒や地ビールをおすすめする者。

ノンアルコールカクテルを提案する者。

更には、ツイストを語り出す猛者まで現れた。

どこから聞きつけたのか、ホテル内にあるバーのバーテンダーまで座っている。
数人いるうちの1人、世間的にも珍しい女性バーテンダーにいたっては、陽菜にバースプーンを持たせてくるくるかき混ぜさせている。

混ぜると色が変わったそれに、陽菜の目がきらきらと輝くのが見えた。


「……お前ら、一回落ち着け」

橘がこめかみを押さえる。

思ってた以上の盛り上がりだったようだ。


酒好き勢が日本酒の魅力を延々と語っているところで、会議室のドアがノックされる。

ぴょこっと顔を出したのは宴会部と営業部の各部長に、カメラを携えた男性。
宴会部長の手には、風呂敷包み。


「いやー、橘くんが面白いこと提案してくれたからゴーサイン出したんだけど、ちょっと私達も混ぜてよ!」

ドン!とテーブルに置かれたのは焼酎の瓶。


「部長……」

「え?こんな面白そうなこと、私も乗っかるべきだろう?私焼酎大好きだから任せてよ橘くん」

「いや、あんたが1番ノリノリすぎます。ストッパーが俺だけなのはしんどいです」


橘の呟きに、どっと会議室が沸いた。




後日。

橘は経理部にいる先輩から声をかけられた。



「最近、酒が満遍なく売れてるね!」



橘は短く頷く。

あの後、営業部長が得意先に推進できそうな酒をピックアップしたり、カメラを携えた男性は広報担当者だったらしく酒の写真を何枚か撮ると、その日のうちにホテルのSNSへアップしていた。

効果はあったらしく、様々な種類のアルコールが注文されるようになった。
酒の説明を求められることもあるが、酒飲み勢がこぞって熱弁したためスタッフ全体の説明に磨きがかかったように思う。


「未成年だからって、守りすぎるのもだめってことっすね」

「ん?あー、白石さん?」

「彼女が、今回の件の発端なんで」


その視線の先には、

忙しそうにちょこまかと動く陽菜の姿があった。



(小動物みてぇだな)



「良い新人が入ったってことだね。しっかり育てなよ」

「……頑張りますよ」


「あっ、橘リーダー!これの在庫まだありますかー!?」

「ちょっと待ってろ。確認する」



じゃ、と軽く手を上げ、橘は件の新人の元へ向かう。

すれ違いざまに見えた横顔は、先輩が初めて見る表情だった。


「楽しそうで何よりだよ、橘」


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