手を、つないで 〜ふたりの時間〜
8.航
不意打ちだ。これを他になんて言うんだ。
彼女が、ほっぺたに、軽く触れた。チュって音がした。唇と、微かに彼女のほっぺたの感触。
「ありがとうございましたおやすみなさい」
早口で言って、パタパタとマンションに入って行った。固まっていたせいか、音はやけにクリアに聞こえた。
ドアが閉まった。
脱力した。腰が抜けた、というのが、多分正しい。
「……く……」
うめくこともできない。変な息が漏れる。
なんだあれ。可愛いにも程がある。可愛過ぎるの上はなんて言うんだ。わからないけどそれだ。
しゃがみ込んでいたら、遠くから足音が聞こえてきた。ここは彼女のマンション前。道路。こんなところにしゃがんでたら不審者確定だ。彼女に迷惑をかけるのは嫌だ。全力で立ち上がる。足に力が入らない。
無理矢理歩いてたら、なんとか力が戻ってきた。ヨロヨロしながら、とにかく駅に向かう。
彼女とつないでいた手を見る。感触は、いつでも思い出せる。
ため息をついた。
土曜日。彼女の家。ワイン。泊まり。
家に彼氏を呼ぶって。泊まりって。何回も確かめたけど、本当に意味わかってるのか?
誰かに変な入れ知恵されたんじゃないだろうな。高井戸、三上さん、平野さん。顔が思い浮かぶ。
またため息が出る。
本当に、いいんだろうか。だって初めてなんだぞ。初めて、自宅……まあリラックスできるからいいのかもしれないけど。彼女は場所見知りするっていうし。
本当の本当にいいんだろうか。ワインを飲んだら、酔うじゃないか。酔った彼女は可愛いんだ。その彼女を前にして、俺も酔ってるから、何もしない自信が全くない。いや、酔った勢いなんて最低じゃないか。でもワインは彼女のお土産だ。
……落ち着こう。自分で言ったはずだ。実際にするかどうかは別だ。別……にできるか?
駅までの時間は、いつもの倍かかった。