The One



「…、おーい」


机を叩く音と、男性の声で突然意識が戻った。
頭がまだふわーっとする。どうやらうとうと眠ってしまっていたようだ。

窓の外は明るかったはずなのに、少しずつ暗くなりかけていた。


「…どうした?具合悪い?」

「……っ」



私の顔を覗き込んだのは、小幡先生だった。
視界いっぱいに先生の顔が映って、ドクンと胸が音を立てる。


「…無意識に、寝てました」


恥ずかしくて下を向いたまま、言葉を落とした。
その瞬間、フッと笑う声が聞こえた。


「なーんだ、良かった」

心地いい声。

なんで先生の声はこんなに耳に響くんだろう。


「てか!なんで先生ここに?!」


1年の教室に、何故小幡先生が…?

「ん?見回り」

机の上に置かれた大きくて長い指。
左手の薬指に、シルバーの指輪が光っている。


「先生?家に帰りたくない時ってどうしたらいい?」

「うーん…少し寄り道しちゃえば?」

「先生がそんな事言っていいの?」


帰りなさいって言われると思ったのに。


「だって、帰りたくないんだろ?少し気分晴らして帰ればいいんじゃない?もう子供じゃないんだからさ」


優しい低い声を、ずっと聴いていたいって思った。

「おーい、聞いてる?」

「はっはい!」


「へー綾瀬っていうんだ?」

机に貼ってある名前シールを見て、先生が私を見た。

名前、認知してもらっちゃった…



「…綾瀬奈桜、素直に家に帰ります」

机にかけてあったバッグを肩にかけて、先生にペコッとお辞儀した。門限をとっくに過ぎてて、早く帰らなきゃ後々面倒だ。


「さようなら、綾瀬」

ギューッと胸が締め付けられる。

好きが溢れてくるのに、ダメって何度も警報が鳴る。薬指の指輪がずっと脳裏に焼き付いて離れない。


好きじゃない

好きじゃない


好きじゃない


奥さんがいる人なんて、


好きじゃない。



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