国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!
ロゼッタたちが足を運んだのは、王都の外れに広がる荒れ地だった。かつては広大な小麦畑として知られていたが、農家の高齢化による引退が相次いだことにより、現在は雑草に覆われた荒野同然の状態である。
「ロゼッタ様、こちらをどうぞ。念のためにご用意しておきました」
「ありがとうございます、ユーグさん」
ユーグに渡された厚手のコートをしっかりと着込み、ロゼッタは足元を確かめるように歩き始めた。
(大体この辺りかな)
荒れ地の中央に立ち、魔導書をぱらりと開く。まずは結界魔法を使って、隔離された空間を作らなくてはならない。
「『万物の核より領域の証を天に示せ』」
魔導書のページが光を放ち始める。結界の範囲を唱えると、ロゼッタを中心にして青白い光の膜が広がり、一帯をドーム状に包み込んだ。
「ロゼッタ、僕の声は聞こえるかい?」
結界の外にいるエドガーがロゼッタに呼びかける。
「はい。しっかり聞こえます」
「なるほど。音や声は遮断しない性質らしいね」
そう言いながら、エドガーが結界に向かって小石を軽く放ると、コンッと弾き飛ばされた。
「それでは、いよいよ吹雪を起こしてみます!」
なんだか楽しくなってきた。魔法への好奇心に、ロゼッタは自然と頬を上気させる。
吹雪魔法のページを開いてすばやく呪文を読み上げると、次の瞬間、結界の内側で猛烈な冷気が渦を巻き、ロゼッタの視界は真っ白な闇で覆い尽くされた。緑の絨毯はあっという間に雪が降り積もり、その一帯だけが銀世界と化していく。
「初夏に雪景色か……季節の感覚がおかしくなりそうだな」
エドガーの横で実験を見守っていた国王が、両腕を擦りながらぼそりと呟いた。
「わぁぁ、ゆきだ! すごい、すごーいっ!」
「ん? テオドール?」
はしゃぎ声に振り向いた国王は、そこにいた息子の姿に目を丸くした。その隣では、妻が涼し気な表情で扇をあおいでいる。
「王妃様にテオドール王子、おふたりもいらしていたのですね」
エドガーが話しかけると、王妃は肩を竦めて笑った。
「私はそれほど興味はなかったのだけれど、テオがどうしても雪が見たいと聞かなくて。……それにしても魔導書とは本来、これほどまでに強大な力を秘めたものなのね」
「うむ、実に便利だ。あまりに便利すぎる」
何かを懸念するように、国王夫妻が表情を強張らせる。
その時、同行していたミラベルが小さな声で言った。
「あの、ロゼッタさんがなかなか出てきませんが、大丈夫でしょうか……」
その一言に全員がはっと息を呑み、結界の中を凝視する。けれど猛吹雪に遮られて、ロゼッタの姿を確認することができない。
もしや、結界から出られなくなっているのでは?
その場にいた誰もが最悪の予感を察知した瞬間、エドガーは切迫した表情で結界を力任せに叩いた。
「ロゼッタ!」
「はい。なんでしょうか、エドガーさん」
真っ白な吹雪の中から、ロゼッタが何事もなかったかのように姿を見せる。
「……閉じ込められたわけでは、なかったんだね」
「呪文を唱えた本人は、自由に出入りできるみたいです。こんな風に……」
ロゼッタが結界にそっと触れると、その部分だけが水面のように揺らめき、指先が内部を通り抜けた。
「だったら早く出てこんか! 皆、肝を冷やしたのだぞ!」
普段声を荒らげることのない国王が、ロゼッタを一喝する。
「も、申し訳ありません。雪に打たれる感覚が新鮮で、つい長居してしま……くしゅんっ」
深々と頭を下げながら、ロゼッタは盛大にくしゃみをした。
ひやりとする場面もあったが、結果として吹雪作戦は成功である。ロゼッタが解除の呪文を唱えると、結界と吹雪は消えて地面に積もった雪だけが残された。
「この二つの魔法は、四十八時間が経過すると自然に消えてしまいます。ですから、寒冷地帯を維持するには、定期的に魔法をかけ直す必要があります」
「その状態を保ちながら、小麦の品種改良に挑むというわけだな」
「はい。この方法なら、上手くいくはずです」
ここから先は、研究者たちの仕事である。役目を終えたロゼッタは魔導書を差し出したが、国王は手も触れずなぜか受け取ろうとしない。
「陛下?」
「魔導書のことなのだが、ロゼッタ。そなたに一任しようと思うのだ」
「どういうことですか?」
国王に告げられた言葉に、ロゼッタは戸惑いを覚える。
「その魔導書はあまりに万能です。そのようなものを誰もが使える状況というのは、とても恐ろしいことだわ」
王妃が真剣な面持ちで諭すように言う。
「うむ。父上が魔導書を忌避していた理由が、今さらながらに理解できた。だからこそ、当面は特定の者しか扱えないように管理すべきだと考えているのだ」
「ですが、その役目を私にというのは……」
「誰よりも魔導書の大切さと恐ろしさを知っているそなた以上に、適任者はいないと思う。ロゼッタ、そなたにしか頼めないことだ」
「……わかりました」
手の中にある一冊の本が、ずしりと重さを増した気がした。ロゼッタは表情を引き締め、魔導書を胸にぎゅっと抱き締める。
(使い方を一歩間違えれば大変なことになるわ。きちんと正しいことに使わないと)
意を決したロゼッタを一瞥し、エドガーが硬い顔で話に割って入った。
「私も陛下と同意見です。ですが、そうなるとロゼッタは二日に一度、ここへ通わねばなりません。翻訳作業も抱えている彼女には、少々負担が重すぎるのではないでしょうか」
「む……確かに。これほどの距離を二日おきに往復するのは、いささか酷な話だ」
新たな問題が浮上し、静寂がその場を包み込む。
「ご心配には及びません」
ロゼッタは抱えていた魔導書をぱらぱらとめくる。すると、目当てのページはすぐに見つかった。
「『千里の架け橋』という転移魔法が載ってます」
「それはどういった魔法なんだい?」
「まず任意の場所に魔法陣を描き、その中心に適当な文字を書き込みます。あとはこのページを開いてその文字を唱えるだけで、一瞬にして魔法陣の場所へ転移できるという仕組みのようです」
エドガーの問いに、ロゼッタは少し得意げな顔で説明した。
「さらに、かつての人々はこの魔法を用いて、遠い国々を自由に行き来していたとのことです」
馬車や船を使わずに、一瞬で目的地に辿り着く。まるで夢のような話だが、そんな奇跡を可能とする力が、この一冊には秘められている。
(もし、今も魔導書がたくさん存在していたら、この世界はどうなっていたのかしら)
想像もつかないような壮大な世界に夢を馳せながら、ロゼッタはぱたんと魔導書を閉じた。
「ロゼッタ様、こちらをどうぞ。念のためにご用意しておきました」
「ありがとうございます、ユーグさん」
ユーグに渡された厚手のコートをしっかりと着込み、ロゼッタは足元を確かめるように歩き始めた。
(大体この辺りかな)
荒れ地の中央に立ち、魔導書をぱらりと開く。まずは結界魔法を使って、隔離された空間を作らなくてはならない。
「『万物の核より領域の証を天に示せ』」
魔導書のページが光を放ち始める。結界の範囲を唱えると、ロゼッタを中心にして青白い光の膜が広がり、一帯をドーム状に包み込んだ。
「ロゼッタ、僕の声は聞こえるかい?」
結界の外にいるエドガーがロゼッタに呼びかける。
「はい。しっかり聞こえます」
「なるほど。音や声は遮断しない性質らしいね」
そう言いながら、エドガーが結界に向かって小石を軽く放ると、コンッと弾き飛ばされた。
「それでは、いよいよ吹雪を起こしてみます!」
なんだか楽しくなってきた。魔法への好奇心に、ロゼッタは自然と頬を上気させる。
吹雪魔法のページを開いてすばやく呪文を読み上げると、次の瞬間、結界の内側で猛烈な冷気が渦を巻き、ロゼッタの視界は真っ白な闇で覆い尽くされた。緑の絨毯はあっという間に雪が降り積もり、その一帯だけが銀世界と化していく。
「初夏に雪景色か……季節の感覚がおかしくなりそうだな」
エドガーの横で実験を見守っていた国王が、両腕を擦りながらぼそりと呟いた。
「わぁぁ、ゆきだ! すごい、すごーいっ!」
「ん? テオドール?」
はしゃぎ声に振り向いた国王は、そこにいた息子の姿に目を丸くした。その隣では、妻が涼し気な表情で扇をあおいでいる。
「王妃様にテオドール王子、おふたりもいらしていたのですね」
エドガーが話しかけると、王妃は肩を竦めて笑った。
「私はそれほど興味はなかったのだけれど、テオがどうしても雪が見たいと聞かなくて。……それにしても魔導書とは本来、これほどまでに強大な力を秘めたものなのね」
「うむ、実に便利だ。あまりに便利すぎる」
何かを懸念するように、国王夫妻が表情を強張らせる。
その時、同行していたミラベルが小さな声で言った。
「あの、ロゼッタさんがなかなか出てきませんが、大丈夫でしょうか……」
その一言に全員がはっと息を呑み、結界の中を凝視する。けれど猛吹雪に遮られて、ロゼッタの姿を確認することができない。
もしや、結界から出られなくなっているのでは?
その場にいた誰もが最悪の予感を察知した瞬間、エドガーは切迫した表情で結界を力任せに叩いた。
「ロゼッタ!」
「はい。なんでしょうか、エドガーさん」
真っ白な吹雪の中から、ロゼッタが何事もなかったかのように姿を見せる。
「……閉じ込められたわけでは、なかったんだね」
「呪文を唱えた本人は、自由に出入りできるみたいです。こんな風に……」
ロゼッタが結界にそっと触れると、その部分だけが水面のように揺らめき、指先が内部を通り抜けた。
「だったら早く出てこんか! 皆、肝を冷やしたのだぞ!」
普段声を荒らげることのない国王が、ロゼッタを一喝する。
「も、申し訳ありません。雪に打たれる感覚が新鮮で、つい長居してしま……くしゅんっ」
深々と頭を下げながら、ロゼッタは盛大にくしゃみをした。
ひやりとする場面もあったが、結果として吹雪作戦は成功である。ロゼッタが解除の呪文を唱えると、結界と吹雪は消えて地面に積もった雪だけが残された。
「この二つの魔法は、四十八時間が経過すると自然に消えてしまいます。ですから、寒冷地帯を維持するには、定期的に魔法をかけ直す必要があります」
「その状態を保ちながら、小麦の品種改良に挑むというわけだな」
「はい。この方法なら、上手くいくはずです」
ここから先は、研究者たちの仕事である。役目を終えたロゼッタは魔導書を差し出したが、国王は手も触れずなぜか受け取ろうとしない。
「陛下?」
「魔導書のことなのだが、ロゼッタ。そなたに一任しようと思うのだ」
「どういうことですか?」
国王に告げられた言葉に、ロゼッタは戸惑いを覚える。
「その魔導書はあまりに万能です。そのようなものを誰もが使える状況というのは、とても恐ろしいことだわ」
王妃が真剣な面持ちで諭すように言う。
「うむ。父上が魔導書を忌避していた理由が、今さらながらに理解できた。だからこそ、当面は特定の者しか扱えないように管理すべきだと考えているのだ」
「ですが、その役目を私にというのは……」
「誰よりも魔導書の大切さと恐ろしさを知っているそなた以上に、適任者はいないと思う。ロゼッタ、そなたにしか頼めないことだ」
「……わかりました」
手の中にある一冊の本が、ずしりと重さを増した気がした。ロゼッタは表情を引き締め、魔導書を胸にぎゅっと抱き締める。
(使い方を一歩間違えれば大変なことになるわ。きちんと正しいことに使わないと)
意を決したロゼッタを一瞥し、エドガーが硬い顔で話に割って入った。
「私も陛下と同意見です。ですが、そうなるとロゼッタは二日に一度、ここへ通わねばなりません。翻訳作業も抱えている彼女には、少々負担が重すぎるのではないでしょうか」
「む……確かに。これほどの距離を二日おきに往復するのは、いささか酷な話だ」
新たな問題が浮上し、静寂がその場を包み込む。
「ご心配には及びません」
ロゼッタは抱えていた魔導書をぱらぱらとめくる。すると、目当てのページはすぐに見つかった。
「『千里の架け橋』という転移魔法が載ってます」
「それはどういった魔法なんだい?」
「まず任意の場所に魔法陣を描き、その中心に適当な文字を書き込みます。あとはこのページを開いてその文字を唱えるだけで、一瞬にして魔法陣の場所へ転移できるという仕組みのようです」
エドガーの問いに、ロゼッタは少し得意げな顔で説明した。
「さらに、かつての人々はこの魔法を用いて、遠い国々を自由に行き来していたとのことです」
馬車や船を使わずに、一瞬で目的地に辿り着く。まるで夢のような話だが、そんな奇跡を可能とする力が、この一冊には秘められている。
(もし、今も魔導書がたくさん存在していたら、この世界はどうなっていたのかしら)
想像もつかないような壮大な世界に夢を馳せながら、ロゼッタはぱたんと魔導書を閉じた。