国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!
「お前たち、何があろうともロゼッタを護り抜け。傷ひとつつけさせるでないぞ」
「御意!」

 王の命を受け、一斉に近衛兵たちが雄々しく敬礼をする。彼らを伴い、ロゼッタは王城を後にした。用意された馬車に乗り込み、まっすぐ噴水通りへと向かう。

(お願い、間に合って……!)

 せり上がる焦燥に、心臓が早鐘を打つ。胸に手を当てて深呼吸を繰り返していると、ようやく馬車の車輪が止まった。

「ロゼッタ様、中心部に到着しました」
「はい!」

 馬車から飛び降りると、広場には大理石の女神像が悠然と佇み、訪れる人々を静かに見下ろしていた。街の賑わいはいつも通りで、人々も普段と変わらぬ様子で行き交っている。
 ロゼッタは決意を新たにし、魔導書を手早く開いた。

「『万物の核より領域の証を天に示せ』」

 ルミナリア王国の国土面積は、頭に叩き込んである。あとは結界の範囲を定めて唱えるだけだ。

(不安要素はまだあるけれど……)

 迷っている暇はない。ロゼッタは大きく息を吸い込み、力強く呪文を口にした。




 時を同じくして、エリアン王国の国境付近。そこには軽装の王国軍が音もなく到着していた。
 まるで演習にでも訪れたかのような空気の中、高貴な佇まいの白馬の馬車がゆったりと姿を現した。意匠を凝らしたキャビンからレオナールが降り立ち、金髪をさらりとかき上げる。

「ふう……それで、警備隊は全員捕らえたんだろうな?」
「はい。ですが、ブランドール伯の姿だけが確認できておりません」
「部下を見捨てて逃げ出したか。まあいいさ。あんな老害、いてもいなくても同じだからな」

 部隊長の報告に、レオナールはふんと鼻を鳴らす。すると、馬車の中からカツンと硬い靴音が響き、もうひとつの人影が降り立った。

「あーあ、すっかり疲れてしまいましたわ。それで、ここはどこですの?」

 シャロンは辺りを見回すと、心底うんざりしたように眉をひそめた。

「国境だよ。ほら、向こうに見えるのがルミナリア王国だ」
「ルミナリア王国? ちょっとレオナール様! 『素敵なものを見せてあげる』って仰るからついてきて差し上げましたのに、これのどこが素敵なんですの?」

 目をつり上げて不満をぶちまける妻の剣幕に、レオナールは気圧され、じりじりと後ずさりをした。

「ま、まあ見ていてごらん。きっと君も喜んでくれるはずだから」

 レオナールが右手に持つ古びた書物を開いた瞬間、周囲の兵士たちがごくりと息を呑んだ。

「まあなんですの、その小汚い本は。近寄らないでくださいませ。ドレスが汚れてしまいますわ」

 まだ収まりがつかないのか、シャロンがちくりと嫌みを刺す。

「これは、私たちを世界一の王と王妃に導く特別な一冊さ。……さあ、始めるとしよう」

 レオナールは口角をいびつに歪め、恍惚とした笑みを浮かべた。

「『満天を焦がす紅き凶星よ、触れるもの悉(ことごと)くを無に還せ』!」

 ルミナリアの王都までの距離を定め、レオナールが詠唱を終えると、空に開いた亀裂から巨大な火球が姿を現した。

「きゃあっ!?」

 悲鳴を上げたシャロンが、しがみつくように抱きついてくる。その華奢な腰を引き寄せ、レオナールは歓喜に声を震わせて叫んだ。

「行け! 忌々しい王都を、跡形もなく焼き尽くしてしまえ!」

 レオナールの肥大化した野心を乗せ、火球がルミナリア王都へと猛然と突っ込んでいく。
 ところが。

「んな……っ!?」

 レオナールは驚愕に目を見張った。着弾の寸前、王都を包み込むように青白い光の膜が現れたのである。
 火球はいとも簡単に弾き飛ばされると、その勢いを失って虚空に霧散していった。




(危機一髪ってところね……)

 消滅していく火球を見上げながら、ロゼッタは危うくその場に崩れ落ちそうになっていた。
 結界を張り終えた、まさにその瞬間に火魔法が飛来してきたのだ。あと一分、いや数秒でも遅れていたら。そう思うと、心臓を冷たい手で直接撫でられたような思いがした。

「おい! 今、空から炎が降ってきたぞ!?」

 街のあちこちから、甲高い悲鳴が上がる。

「皆様、どうか落ち着いてくださ──」

 近衛兵がどうにか場の混乱を鎮めようとしていた、その時だった。
 空の彼方から無数の火球と氷柱が押し寄せてくる。その圧倒的な光景を前に、ロゼッタは一瞬息をすることさえ忘れた。
 直後、耳をつんざくような衝撃音と、視界を白く覆い尽くす閃光が弾けた。

「……っ!」

 ロゼッタはたまらず耳を塞ぎ、険しい表情で空を睨みつけた。
 間髪容れず、次なる攻撃が襲い来る。空からだけではない。土魔法も発動しているのか、足元をズシンと大きな振動が駆け抜けた。

(結界は、地中からの攻撃にも対応しているみたいだわ)

 もしそうでなければ、地面から突き出した岩の棘に、大勢が貫かれていただろう。

(だけど、このままじゃ……)

 止むことのない猛攻に、恐怖と焦りで思考が白く染まりそうになる。
 ──ぱきん。
 轟音に紛れて響いた繊細な音に、ロゼッタははっと息を呑んだ。結界の表面に、ほんのわずかなヒビが走ったのだ。
 亀裂は蜘蛛の巣のように瞬く間に広がっていく。次の瞬間、それは飴細工のように儚い音を立てて、あっけなく砕け散った。

 そして、火の粉と氷柱の残骸が無防備となった街並みに容赦なく降り注いだ。
 
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