君に届くのは、10分の1だけ

第1章 春の名前

入学式の日、私は少しだけ早く家を出た。

遅れたくなかった。
目立ちたくもなかった。

県立北浜高校の校門の前で、一度だけ立ち止まる。
ここに来るまで、何度も駅名を確認した。

でも、ちゃんと着けた。

それだけで十分だった。

校門をくぐる。
知らない顔ばかりで、少しだけ安心する。

誰も私を知らない。

中学の水瀬柚希を、ここに持ち込まなくていい。
そう思った。

式が終わって、教室に移動する。
私のクラスは一年三組だった。

廊下に貼られた名簿を見る。
自分の名前を探す。

水瀬 柚希

ちゃんと、あった。

教室に入って、自分の席に座る。
担任の先生が来て、出席を取り始めた。

一人ずつ、名前が呼ばれる。

「水瀬」

そう呼ばれて、顔を上げる。

「はい」

ちゃんと声が出た。

それだけのことで、少しだけ泣きたくなった。

水瀬柚希。
その名前で、ここにいる。

透明じゃない。
最初から、ここにいていいことになっている。

午前中は、あっという間に終わった。

昼休みになって、私は教室を出た。
まだみんなの輪の中に入る勇気はない。

購買でパンを買って、渡り廊下に出る。
ひとりのほうが、落ち着いた。

袋を開けようとした、そのとき。

「……水瀬?」

後ろから、名前を呼ばれた。

その声を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。

私は振り向いた。

息が止まりそうになった。

そこにいたのは、瀬川律だった。
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