真夜中にハーブティーを、あなたとふたりで
 ぴきっと自分のこめかみに青筋が立つのがわかる。でも、ここで感情的になってはいけない。
 冷静に、冷静にと自分に言い聞かせ、私は早野さんに完璧な営業スマイルを見せた。
「爪の長さ同様に、ネイルはベージュかピンクをベースに使うと研修で習わなかった?」
「でもこれ、ベースの赤色より桜のピンク色のほうが多いですよ」
「ワンポイントでビジューを付けるのは許されているけれど、これは多過ぎよ。できるだけ早く、規定通りに戻してきてね」
 新人教育は一週間あり、そこでは身だしなみについても説明される。
 もちろん就業規則にも掲載されていて、違反は認められない。
「えー。せっかく可愛くしたのに。オフするにも新しいネイルをするにもお金が必要なんですよ」
「でも、そんな爪だと商品を傷つけてしまうわ」
「それ本気で言ってるんですか? プラチナやゴールドでできた商品がネイルで傷つくはずないじゃないですか。それに商品を手にするときは手袋をするから平気です」
 全く悪いことをしていると思っていない。
 それどころか、日本語が通じない。
「とにかく、規定違反だから至急正してきて」
 今日一番の強い口調で言えば、さすがにまずいと思ったのか早野さんはあからさまにしょぼんとした。
「分かりました」と言ってくれたけれど、表情が顔にですぎるのもトラブルのもとだから心配だ。
 一通り説明を終えた頃にはお昼になっていた。ひとりずつ休憩を取る日が多いけれど、今日は比較的販売員が多いので、ふたりずつ食事に出かける。
「早野さん、一緒に食べに行きましょう」
「はーい。お腹すきました」
 あれだけ叱ったのにけろっとしている。大物なのか、それとも打っても響かないタイプなのか。
 不安がますます大きくなる中、私たちは北村さんに教えてもらったカフェへ向かった。
 十分ほど待ったあと席に案内され、ふたり揃って今日のランチを頼む。
 ワンプレートランチが運ばれてきたところで、早野さんがスマホを取り出し写真を撮る。SNSにあげるのだろうか。そういう類いに縁のない私は、フォークを手にした。
「あっ、彼氏からだ」
 すぐに反応があったらしく、長い爪で器用に返信を打つ。
 向かいに座る私には目もくれない。一応、上司なんだけれど。そう思っていると、早野さんは画面を見ながら「店長」と言った。
「店長って、彼氏、いるんですか?」
「……いない、かな」
 不意打ちできた直球に、返答が数秒遅れた。
 朝から覚えることばかりで気が紛れていたのに、昨日の悠磨の言葉が胸の奥でずきりと痛む。
「そうなんですか。美人だから絶対に彼氏がいると思っていました。あっ、結婚は興味ないっていうタイプですか?」
「うーん。そういうわけでもないけれど。自然の成り行きにまかせよう、みたいな?」
 結婚願望はある。でもそれをこの場で口にするのは、私の小さなプライドが許せなかった。
 小さいな、私の器。でも、今はその話題に触れないで欲しい。
「メゾン・エテルネルって、幸せな人がいっぱい来るじゃないですか。だから、そんな場所で働けたら楽しいだろうなと思って就職したんですけれど、覚えることが沢山ありすぎて予想外です」
 堂々と上司の前で愚痴れるのは、もはや呆れるのを通り越して羨ましいかもしれない。
 早野さんはフォークを口に運びながら、もう片方の手でスマホを操作する。
 そうしてその合間に、彼氏の惚けを口にした。
「私、結婚指輪はメゾン・エテルネルにしようと決めているんです! それからティアラもレンタルします」
「ティアラの実物は見た?」
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