真夜中にハーブティーを、あなたとふたりで
 お母さんの呑気な言葉に、「ごほっ」と咽てしまった。気管にハーブが入り咳き込む私の背中を、お母さんがさする。
「あらあら、なにやっているの」
「ちょっと。ごほっ、うん、大丈夫だから」
「それならいいけれど。悠磨さんみたいな好条件の人はこの先現れないんだから、早く結婚を決めないと」
「……肩書で結婚を決めるつもりはないんだけれど」
 私の抵抗は、お母さんのため息にあっさりと吹き飛ばされた。
「またそんなことを言って。しっかり働いてくれる旦那さんがいれば、あなたは子育てに専念できるでしょう?」
「結婚しても仕事を辞めるつもりはないって、何度も言っているでしょう?」
「はいはい。でも香帆に家庭と仕事の両立なんて無理よ。そんなに頑張らなくても、悠磨さんの収入だけでやっていけるでしょう」
 妻が働くのは夫の収入が少ないから。だから肩書がよく年収の高い男性と結婚すべき、というのがお母さんの考えだ。
 私は私の力で社会と繋がって、地面に足を着けて生きたい。
 誰かに頼るのではなく、お互いを尊重し協力する関係を築きたい。
 そう思うと、悠磨と別れたのは正解だったかもしれない。
 恋は盲目というけれど、今思うと悠磨は女性が家事をするのが当然だという振る舞いだったし、実際彼は自分が食べた食器すら下げない。
 そんな悠磨との結婚を、幸せになるための唯一の手段だと思い込んでいたのは、お母さんが悠磨との結婚を強く後押ししたからでもある。
 優等生だった私は、いまだにお母さんに褒めてもらえば間違っていないと安心してしまう。
 価値観が違うのは分かっているのに、認めてもらいたいと思ってしまうのだ。
「じゃ、言ってきます」
 私はまだ悠磨と別れたことを母に言っていない。
 これ以上なにかを聞かれないためにも、慌てて家を出たのだった。

 出社して更衣室で着替えていると、扉の向こうから販売員の声が聞こえてきた。
 どうやら話題は、私が提案した夏カタログの郵送についてのようだ。
 夏のカタログは、本来なら本社からお客様へ一斉に送付される。
 それを、上位顧客や夏の新作を楽しみにされているお客様へ、日本橋店から直接郵送したいとお願いしたのだ。
 封筒には、カタログだけでなく手紙も同封する。
 書く内容は、以前のご来店時にご購入されたアクセサリーについてや、交わした会話などで、詳細は担当者に任せた。
 この作業がかなり負担だったらしく、今も扉の向こうから「手紙なんて入れなくても、カタログだけで充分よね」「そもそもweb宣伝でいいと思う」「あれだけ時間をかけて作業をしたのに、カタログを見たから来たって言うお客様が少なくない?」と不満の声が聞こえる。
 いい案だと思ったけれど、販売員の負担を増やしただけだったのかもと後悔がこみ上げてきた。さらに信頼も失くすなんて。自分の無能さが悲しくなる。
 重い気持ちのままあえて扉を大きく開けると、バックヤードにいた販売員は私の顔を見てさっと売り場へ出ていった。
 部下の信頼を得るのは難しい。でもとにかく今は、頑張るしかない。そう自分に言い聞かせて私も売り場へ向かった。
 遅番で出社した日は、三時ぐらいが昼食となる。
 不規則なこの生活にもすっかり慣れた。ランチタイムが終わったお店の前を通りすぎて、パン屋に併設されたカフェで簡単に食事を済ませる。
 そうして店舗に戻ると、一組の男女がガラスケースを眺めていた。
 男性には見覚えがある。一週間前に早野さんが接客をしていた人だ。
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