真夜中にハーブティーを、あなたとふたりで
「ちょっと待ってくれ。その店員も勘違いって言っているだろう。それなのに一方的に婚約を取り消すのはないだろう。結婚式場だって押さえてあるんだから」
 男性が女性の腕を掴む。女性はそれを振り払い、持っていた鞄で男性を殴りつけた。
「今回のことだけじゃない。友達が黒髪ストレートの女とあなたが歩いているのを見たって言っていた」
「あれは取引先の……!」
「知っている。彼女、うっかりネームバッジを外し忘れていたみたいね。友達が会社名も彼女の名前も教えてくれた」
 バチッと鈍い音がした。女性が男性を平手打ちしたのだ。
 そうして足音を立てながら店を出ていった。
 さっと視線を巡らせると、木村さんと井上さんが小さく頷く。
 彼女たちの前にいるお客様は唖然としていた。でも、ふたりならうまく対処してくれるだろう。
「おい! どうしてくれるんだ。この店は個人情報を漏えいするのか‼」
「申し訳ありません。私の教育不足です」
 頭を下げると、男性は私のネームバッジを確認したのか「あんたが店長か」と忌々しそうに言った。
「彼女の父親は不動産会社の社長なんだ。俺は婿養子に入って跡を継ぐ予定だったんだぞ! お前たちのせいで俺の人生は台無しだ」
「申し訳ございません。今後このようなことが……」
「今後なんてないんだよ! 今いる会社には退職届を出している。これから先の俺の人生にどうやって責任を取るつもりだ‼ ふざけんなっ」
 男性がバンッとガラスケースを叩いた。
 早野さんはガタガタと震えるばかりで、謝罪することさえできない。
「訴えてやる」「この店員を首にしろ」「SNSで晒すからな」そんな罵倒を一時間吐き続け、男性は帰っていった。
「店長、大丈夫ですか?」
 真っ先に声をかけてくれたのは、木村さんだ。
 店内にいるのは女性のふたり組だけで、井上さんが接客をしていた。
「ありがとう。さっき接客をしていたお客様は大丈夫でしたか?」
「驚いていらっしゃいましたが、謝罪すると男性のお客様が『あれは男が悪いだろう』と冷静に仰っていました。ピアスを購入してくださいましたし、問題ないと思います。井上さんの方も大丈夫な様子でした」
「フォローしてくれて助かりました」
 接客業はチームプレイだ。なにかが起きたら全員で問題を最小限にすべく動く。
 声を掛け合ったり相談する時間がない場合が多いから、とにかく視線で語り阿吽の呼吸で連携を取る必要がある。
 ただ商品を売るだけだと思われることもあるけれど、奥が深い仕事だ。
「早野さんとバックヤードに入ってもいいかしら。それから、本社に報告をします」
「はい。売り場は任せてください」
 その言葉を聞き、店の端で棒立ちになっている早野さんを連れてバックヤードに入る。
 真っ青な彼女になにがいけなかったのかを嚙み砕いて説明をしたけれど、男性に怒鳴られたのがショックなようで私の言葉にほとんど反応がない。
 最後にはただ泣くばかりになってしまったので、バックヤードで入荷商品の点検を頼んだ。
 今日はもう、彼女を売り場に立たせるのは無理だ。
 バックヤードは横に長く入口は二つある。ひとつは外に出る扉で、もうひとつの扉の先が売り場だ。
 内扉を開けて売り場を確認すると、こちらは普段通り。木村さんに任せれば問題ないと判断し、本社に連絡をとるべくスマホを手にする。
 小さなクレームはメールで連絡すればいいけれど、今回はそうはいかない。
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