真夜中にハーブティーを、あなたとふたりで
「えっ、妊娠? 別れた? 香帆、どういうことなの?」
 動転するお母さんに、悠磨は気まずそうに視線を伏せる。
 ここまで来ると、黙っておくのは無理だ。
「三ヶ月前、悠磨から他の女性を妊娠させたから別れてほしいと言われたの。だから、私たちの関係はもう終わっている。今後悠磨が来ても、家にあげないでね」
「で、でも……」
「悠磨、もういいでしょう?」
 なにか言いたそうにしているお母さんをすり抜け、私は階段を降りる。悠磨もお母さんに頭を下げると、私に続いて来た。
 靴を履く悠磨の姿が、なんだか小さく見える。
「……なぁ、俺たち本当にもうダメなのか」
「悠磨が私の立場だったら、許せる?」
「……許せない。でも、俺には香帆しかいない」
「私に悠磨は必要ない」
 感情的になって、つい酷い言葉が口をついた。言い過ぎたかなと少し良心が痛む。
 悠磨は「また連絡する」と言って出て行ったけれど、二度と電話しないで欲しい。
 玄関の鍵を閉めると、どっと疲れが押し寄せてきた。
 冷蔵庫から自分の夕食を出して温めていると、お母さんがおずおずと背後にやってくる。
「悠磨と別れたこと黙っていてごめん」
「それはいいのだけれど……」
 チン、とレンジから無機質な音がして、お皿を取り出す。
今日は和風ハンバーグだ。ご飯をよそっている間に、お母さんがお味噌汁を温めてくれる。
 テーブルにつくと、お母さんは私の前に座った。
「あのね、香帆」
「なに?」
「お母さん、思うんだけれど。悠磨さん、許してあげたらどう?」
「はい? なに言っているの? 私たちの話、聞いていたよね」
 私とほぼ婚約関係にあるにもかかわらず、他の女性と浮気をした。
妊娠は噓だったとしても、私を裏切ったのは間違いなく事実だ。
「そうだけれど。でも、悠磨さんみたいな好条件の男性、これからもう現れないと思うの。学歴だって香帆より上だし、難しい資格に受かって専門職をしているなら、将来は安泰だわ。今は大企業に勤めるより、手に職を持っている方がいい時代だものね」
 悠磨がプログラマーとしての難関資格を取得した話は、以前にした。
 それを聞いたお母さんは、随分と感心していたものだ。
「ほら、香帆ももう、二十九歳でしょう? それに働いてもいいって言ってくれているし、子育てだって手伝ってくれるんでしょう。彼を逃したら絶対後悔するわ」
「……お母さんは私を裏切った悠磨を許せって言うの」
「裏切ったって言っても、相手の女性は妊娠したなんて嘘を吐くような人よ。きっと悠磨さんは誘惑されて、ちょっと気持ちが揺らいだんじゃないかな。悪いのはすべて相手の女性。だからそこまで怒らなくてもいいと思う。男の人なんだから浮気のひとつぐらいあるわよ」
 すっかり食欲が失せた私は、箸を置く。
 お母さんなら私の気持ちを分かってくれると思っていた。
 それなのに、全面的に悠磨の味方をするなんて。
「いくら高学歴でも、将来が安泰でも、信頼できない人と結婚はできない」
「香帆の言いたいことは分かるけれど、あんなに謝っているのだからもう浮気はしないんじゃないかしら。考えようによっては香帆が主導権を握れるわよ。そうしたら専業主婦にだってなれるし」
 もうこれ以上話しても平行線だ。
 母は自分の価値観を押し付けるばかりで、私の気持ちを汲み取ろうとはしてくれない。
 悠磨といい、母といい、どうして言葉が通じないのだろう。
 それとも、間違っているのは私なの?
「ごめん。食欲ないから残すね。これは明日お弁当に入れて持っていくから」
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