真夜中にハーブティーを、あなたとふたりで
 ちょっとしんみりとした空気が流れた。だけれど重たいものじゃない。
 それに店員さんは聞き上手だから、私の口はついつい余計なことまで話してしまう。
「さっきまで一緒にいた友達、結婚願望がないの。だから彼女の前では言いにくかったけれど、私、いつかは誰かと結婚したい」
「うん、いいんじゃない。最近は結婚を押し付けるのは時代錯誤だって言われているけれど、それは押し付けたらダメなだけで、結婚を望むのは悪くないだろう」
「そうよね。だから、彼……もう元カレか。元カレとの結婚生活を夢見ていたのに、また振り出しに戻っちゃった」
 結婚したい。でも誰でもいいわけじゃない。
 ちゃんとお互いを尊敬しあって、信頼を築きたい。
 どうして皆が当たり前にしていることを、私はできないんだろう。
 いっそのこと若菜のように独身でいいと割り切れたらいいのに。
「出会って、お互いのことを知って、告白して付き合って。それから一通りのことをすませる。あと何回、私は同じことを繰り返さなくてはいけないんだろう」
 心の声のようなため息が店内にやけに大きく響く。
 自分で言っていて、情けなくなってくる。
 でもこれが、若菜に言えなかった私の本音だ。
「思うようにいかないのが人生らしいけれど、辛いよな」
「ほんと、そう。ちなみに店員さんは結婚願望ある人?」
 何気ない問いに、店員さんは意外なほど真面目に考えたあと「今は自分の生活を安定させるので精一杯かな」と答えた。
「若いものね」
「三つしか違わないって。誤差の範囲だと思うけれど」
 その三歳が、今の私には重いのだ。
 なんてさすがにそこまで言ったら、管を巻いているも同然。
 いくらなんでも、店員さんの優しさに甘え過ぎだ。
「ハーブティー、おいしかった。ごちそうさま。それから今日、お店を開けてくれて、ありがとう」
 この場所と若菜に救われた。
 あのまままっすぐ帰宅していたら、ますます気持ちが下降して出口のない闇にはまり込んでいたかも。
「……そう言ってくれて、俺も嬉しい」
 店員さんの笑顔が、なんだか今にも泣きだしそうに見えた。だけれどそれは一瞬で、多分私の見間違いだろう。
 いつの間にか、時計の針は一時を過ぎている。
「もう閉店だね。長居をしてしまってごめんなさい」
 席を立ち、カウンターの端にあるレジに向かう。
 レジまで行くと、店員さんはタブレットを操作してお会計をする。
 最近は、レジではなくタブレットを置く店もあるけれど、このあたりではまだまだ珍しい。
 お会計を済ませ外へ出ると、ヒヤリとした空気が頬に触れた。
 一緒に外に出てきた店員さんが、看板を手にする。
「もうバスはないけれど、大丈夫?」
「うん、駅前でタクシーを拾うから大丈夫」
 終バスはとっくに過ぎている。
 南口のロータリーなら一台ぐらいタクシーはあるだろうし、もしなくてもアプリで呼べばいい。
 それよりも、帰宅が遅かったことをお母さんに聞かれるほうが煩わしい。こういうとき、実家暮らしは面倒だ。
 店を出て次の角を曲がると大通りで、そこをまっすぐ進むと駅が見える。
 深夜だけれどまだ灯のともる住宅もあり、歩くのが躊躇われる雰囲気ではない。
 だけれど、数歩進んだところで私は足を止める。
 もしかしてと振り返ると、店員さんが店の前にいた。多分、私が大通りにつくまで見送ってくれるつもりなのだろう。
「あのっ。また来ていい?」
 なぜそんなことを聞いたのだろう。
 自分でも分からないが、少なくとも今夜、私はあのお店に助けられた。
「もちろん。名前を聞いていい?」
「百瀬、百瀬香帆」
「香帆さん。俺は隼人。またのお越しをお待ちしております」
 店員さん――隼人くんは最後に丁寧に腰を折った。
 私は踵を返し、大通りへと向かう。
 きっと隼人くんはまだ、店の前にいるだろう。
 大通りまで出て曲がったところで、ふと気がついた。
――もうバスはないけれど、大丈夫?
 どうしてあのとき、隼人くんはバスの心配をしたのだろう。私が普段バスを使っているなんて知らないはずなのに。
 止まりそうになった足を、夜風が背後から押す。
 住宅街に一本だけあった桜の木から、花弁が舞った。
 大丈夫、焦らずゆっくり立ち直っていこう。
 感情は波のように揺れ、落ち込む日もあるだろう。でも、今夜の出来事を思い出せば、乗り切れる気がした。
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