紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

紅の月と落ちてきた少女②(アレク視点)

「――……では月に異変が起きる兆候が顕われたということか」
「はい、そのようでございます。エリルトアの学者に調査をさせておりましたが、ここ数日、月の波長がいつもとは異なる、との報告が――……恐らくは月蝕が起こる前触れではないか、との見解が強いようです」

 豪奢な造りの玉座にどっしりと腰を据え、顎に蓄えた髭を撫でながら、アレクシオからの報告を聞いていたルードリッヒは、うむ、と頷くと、壇上の前に(うやうや)しく(ひざまづ)くアレクシオをついと見下ろした。

 アレクシオが身に纏っている白銀の鎧と真紅の外套は、ルードリッヒが治めるアリルア国が擁する騎士団に属する者だけが、纏うことを許された特別なものだ。
 闇に溶け入るような漆黒の髪を持つ彼は整った精悍(せいかん)な顔立ちをしており、その物腰は騎士団に属する軍人らしく、凛然とした雄雄しさを漂わせている。
 血の滲むような鍛錬を積み重ね、肉体的にも、精神的にも、鍛え上げられている騎士とはいえ、国の最高権力者である国王陛下を前にすれば、大抵の者は腰が引けてしまうものだが、壇上の前に跪く彼からはそういった様子は一切窺えない。

 ルードリッヒがアレクシオを知ったのは、今から六年前のことだ。
 見習い騎士としての修行期間を終え、騎士団の一員として正式に迎え入れる際、執り行われる叙任式で、ルードリッヒは初めて彼の姿を目にした。
 宰相のディードに率いられ、謁見の間に入ってきた時は、その若さに少々驚いたが、凛然とした佇まいで式典を受けるその様子は、他の誰よりも一際目立っており、叙任式の後に行われた模擬試合では最年少でありながら、他を寄せ付けない圧倒的な強さと実力を見せつけ、見に来ていた多くの参列者たちの目と心を一瞬にして奪ったのだ。

 十七歳という異例の速さで見習い騎士としての修行を終えたばかりでなく、正式に騎士に就任すると同時に、第二騎士団への配属が確定されたこともまた異例中の異例であった。
 何もかもが異例尽くしという状況下で、騎士デビューを果たしたアレクシオだったが、その後の活躍も目覚ましく、たちまちのうちに頭角を現し、第二騎士団に配属されてから僅か一年後には第一騎士団へ引き抜かれ、そうしてついには二十歳という若さで、第一騎士団師団長に大抜擢されたのである。
 叙任式の時に目に留めてから以降、彼の類い稀な素質に惚れこみ、我が息子のように陰からその成長を見守っていたルードリッヒは、彼が第一騎士団師団長の座に就くなり、何かと理由をつけては、たびたびアレクシオを呼びつけているのだが、当の本人はあまり乗り気ではないようだ。

(かつ)ての大戦時代にも月が(あか)く染まったと言い伝えられているが――……一体、この世界に何が起きているというのだろうな」

 陰鬱とした表情を浮かべながら大きな溜め息を一つ溢し、ゆっくりと玉座から立ち上がったルードリッヒは露台に面した窓辺へと歩み寄り、窓の外に浮かぶ禍々しい色をした月を見上げた。

 ルードリッヒが見上げた先に広がる空に懸かる月は、まるで血を吸い上げたような色に染まり、吹く風に流され、ときおり横切る雲をも、真っ赤に染め上げている。
 本来、白みを帯びた淡い黄色であった月に突如として異変が起き、その色を血で染め上げたがごとく、禍々しい紅へと変えてしまったのは、今から一年ほど前の話だ。

 今でこそ紅く染まった月を見ても誰も驚かなくなったが、異変が起きた当初は大変な騒ぎとなり、突然に色を変えてしまった月を見上げ、不吉な予兆だの、神の怒りだの、この世の終わりだのと人々は恐れ、様々な憶測が飛び交い、世の中は大混乱へと陥った。
 月が紅く染まった原因を究明しようと、世界中に散らばる司教や学識者をはじめ、占星術者や魔術師といった者たちが、(こぞ)って調査に乗り出し、競い合うよう、原因解明に尽力を注いだが、いまだ月が紅く染まってしまった原因は分からないままだ。
 今現在明確に分かっていることは、月に異変が起きてからというもの、世界各地で様々な異常事態が発生しているということだけだろう。

 温暖な気候であったはずの地域に寒波が押し寄せたり、これまで一度たりとも枯渇することのなかった水源が、大規模な干ばつの影響を受けて枯れてしまったり、その一方で雨が多く降りすぎたため、堰堤(えんてい)が決壊し、甚大な水害を被った地域もあると聞く。
 目に見えて明らかな異常事態は世界各地で起きており、人への被害はもちろんのこと、農作物や家畜などへの被害もまた甚大で、今後の先行きが懸念されるところだ。
 先日受けた報告では東大陸の砂漠地帯では猛烈な熱波に見舞われ、多くの死者が出たと聞かされた。また環境の悪化により、世界各地で疫病が蔓延しつつあるとも聞かされた。
 ここ数カ月、耳に入ってくる話はどれもこれも不穏なものばかりだ。

 幸いなことにルードリッヒが治めるアリルア国周辺では顕著な異常事態はまだ現れてはいないが、いついかなる災害に見舞われるか、全く予断を許されない状況だ。

 また平和同盟を結んでいたヴェルヘイヌ国が、突然、同盟破棄を申し立ててきたのも、ルードリッヒの頭を悩ませる種の一つだった。
 ヴェルヘイヌ国を治めるラクシュミール王は聡明且つ温厚な人柄であり、正当な理由もなく、一方的に同盟を破棄するような人間ではないと認識していたのだが、一体、彼の王に何があったというのだろうか。
 破棄の申立てが月が紅く染まった時期と重なっていたため、言い知れない不穏を感じ、使いの者を立てて偵察に向かわせたが、あえなく門前払いを食らい、領地にすら踏みこめないまま、追い返されてしまった。
 あれ以来、ヴェルヘイヌに関して良い噂は聞かない。

 夜の空に浮く肥えた月を忌々しげに見据えながら、また一つ嘆息を漏らしたルードリッヒは、見上げていた月から傍らに跪くアレクシオへと視線の先を移した。

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