紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
紅の月と落ちてきた少女④(アレク視点)
「“月の異変”と“異端者”――……此の双方は切っても切れぬほど根強い繋がりがあるものだ」
「それでは“異端者”は既にどこかに顕れている、ということでしょうか?」
「いや、“異端者”はまだ顕れてはいない」
「どうしてそう断言できるのか、その理由をお聞かせ願っても宜しいでしょうか?」
月に異変が起き、突如としてその色を変えたのは、今から一年ほど前の話だ。そしてそれとほぼ同時に世界各地では異常事態が起きている。
“月の異変”と“異端者”の関連性が強いのであれば、“異端者”は月に異変が起きた頃にどこかに顕れたと考えるのが妥当だろう。
だがルードリッヒはそれはないとはっきりと言い切ったのである。
そこまで断言するからには何かしら確固たるものがあるからだろうと思い、一歩踏み込んで聞いてみれば、ルードリッヒは、ふむ、と一つ肯くと、顎の下に伸びた長い髭を撫で上げた。
「これも石板に記されていたことだが“異端者”が顕われる際、月はその姿を完全に消すそうだ」
「月が完全に姿を消すとは一体どういうことなのでしょうか?」
月に異変が起きてからというもの、数か月に一度という短い周期で月蝕が起きているが、そのどれもが月の一部がほんの僅か欠ける程度のものばかりだ。
むろん月が紅く染まる以前からも、数年に一度の割合で月蝕は起きているが、月が完全に姿を消すなどという話は聞いたことがないし、これまでさんざん読み漁ってきた大量の文献や資料の中においても、月が消えるという事象について記述されていたものは一冊たりともなかったはずだ。
「それについても詳しくは分からない。月に異変が起きてから以降、月蝕はたびたび起きているが、月が消えるなどという現象は未だ起ってはいない。石板に遺された記述が正しいのだとすれば、“異端者”はまだ顕れてはいない、ということだ」
「なるほど。陛下が断言された理由については納得しました。ですが陛下はどうしてそこまで石板に記されたことを信じているのでしょうか」
月に異変が起きているのは揺らがない事実だが、それにしても今から四千年以上も昔に作られた石板に記されたことを、ここまで信じこむのは不可解だ。
当然までの疑問を投げかけたアレクシオを見やり、顎の下に伸びる髭を撫でる手を止めると、ルードリッヒは窓辺から離れ、壇上の下で跪くアレクシオの前にすっと立った。
「アレクシオよ。アリルア国第一騎士団の師団長が異名を持っていることは知っておるか?」
「確か“漆黒の騎士”だったように記憶しておりますが……」
ここにきて不意に湧いて出たその問いかけを不審に思いつつ、いったい何の関係があるんだ、とアレクシオが訝しげに眉を顰めれば、ルードリッヒは獣の毛皮で仕立てた豪奢な外套の下に纏うサーコートの懐に手を突っ込むと、その胸元から金糸の紐で括られた巻子を取り出した。
「これは古くから王家の血筋を引く者に受け継がれてきた預言書だ。奇しくもこの書簡が綴られたのもまたレガル王朝期でな」
取り出した巻子がどういったものなのかを説明しながら、しゅるっ、と金糸の紐を解くと、ルードリッヒは小さく丸められた紙を指先で押さえ、丁寧に広げてゆく。
古びて色褪せた羊皮紙と思しきそれには、ところどころに皺や破れが見受けられ、確かに年代を思わせる古いものだ。
(……それにしてもここにきて預言書が出てくるとはな、)
アレクシオは預言だとか占術といった根拠がない類のものが大嫌いだ。
年頃の娘たちが花占いやら恋の呪いとやらを楽し気にやっているのを、巡回中にたびたび見かけるが、そんなもので運命を左右されて何が面白いのか、アレクシオには全く理解できない。
いつもそんな風に冷ややかな気持ちで見ているというのに、まさかこのような重大な局面で国王陛下たる者が、預言書を持ち出してくるとは、世も末としか言いようがない。
巻子を押し広げてゆくルードリッヒの節くれ立った指の動きを目で追いつつ、もう何度目になるか分からない溜め息をまた一つ落として、つきつきと痛む蟀谷を押さえようとして、目の前に、ぴろり、と古惚けた羊皮紙を差し出される。
おそらく受け取れという意味で差し出されたのであろうと思われるが、代々王家に引き継がれてきたという貴重な家宝に不要に触れるわけにもいかず、目の前に立つ主を見上げれば、ルードリッヒは無言のまま肯く。
戸惑いながらも、目の前に差し出された巻子を手に取り、古びた羊皮紙にざっと視線を巡らせて、アレクシオはそこに記された内容に目を瞠った。
枯れ草のようにくすんだ茶褐色の紙の表面には、細部にまで渡って緻密且つ精巧に表現された挿し絵が横並びに描かれており、ところどころに挿された色彩は、まるで宝石でも埋め込んだかのように、鮮やかな色味を出していて、今から四千年以上も前に作られたものとは思えないほどの美品だ。
書簡というよりは絵巻物といったほうが近く、巻子の端から端までを合わせて五つの絵が飾り立てている。
ところどころに申し訳程度の文字も記されているが、さすがに古代文字を読み解くほどの知識はなく、どのようなことが記されているか、詳細までは分からなかったが、それでも横長の紙面に描かれた五つの絵を見れば、書簡を遺した主が何を訴えかけようとしているのかは一目瞭然だ。
それが預言書であることさえも忘れ、紙面に挿された絵と古代文字を食い入るように眺めやっていたアレクシオだったが、最初こそ嬉々としていた表情は徐々に曇ってゆき、やがてそれは苦虫を噛み潰したような渋いものへと変化してゆく。
その様子を静かに見下ろしていたルードリッヒはもういいだろう、と言わんばかり、眉間に思いっきり皺を寄せて固まっているアレクシオの手から巻子を取り上げた。
「巻子を見たならば、余の口からわざわざ言うことでもあるまいが、解釈に相違があっても困るだろうから、一応説明はしておこうか」
歴史的にも価値がありそうな古びた羊皮紙をサーコートの胸元に戻しながら、ルードリッヒは人が悪そうな笑みを浮かべる。そうしてから一呼吸の沈黙を挟んだ後、ルードリッヒはふさふさとした髭を蓄えたその口元をゆっくりと押し開いた。
『紅の月が消えし時、漆黒の騎士に導かれ、オルレーヌの丘陵に“異端者”は降臨されたし』
詩でも唄うかのように、まろやかに響く声で紡がれたそれに、色褪せた羊皮紙に描かれていた絵が、まるで歯車が噛み合うかのごとく、ぴたり、と重なり合う。
一つ目は甲冑を纏った騎士のような人物が黒馬に跨る絵。
二つ目は小高い丘とその上空に浮かぶ紅い月を描いた絵。
三つ目は真っ黒に塗りつぶされ、輪郭だけが残された月の絵。
四つ目は真っ黒に塗りつぶされた輪郭だけの月から落ちてくる人影のようなものが描かれた絵。
五つ目は甲冑を纏った騎士がその腕の中に何かを抱えている様子が描かれた絵。
ルードリッヒが第一騎士団師団長の異名についてなぜ問うたのか、ようやくその理由に気づいたものの、アレクシオにとって、それはとんでもなく厄介で面倒で傍迷惑なことにしか過ぎない。
(どこの馬の骨ともわからない人間が遺した根も葉も根拠もない預言に、どうして俺が巻き込まれなければならないんだ)
滅多と見ることのできない貴重な文献だと、嬉々として巻子を眺めていた気持ちはどこへいったのやら、ルードリッヒが自分を呼び立てた真の目的に気づき、やり場のない憤りが今頃になって沸々と湧き上がってくる。
不敬罪に問われることは承知の上、この場からさっさと立ち去ってやろうかとも思ったが、騎士としての矜持がそうすることを思い留まらせた。
(ここまできたらもう諦めて受け入れるしかない)
ルードリッヒの思惑にまんまと嵌められた自分を呪いつつ、これだけは確認しておかなければ、とアレクシオは暗澹とした表情で口を開いた。
「要するに漆黒の騎士の異名を持つ第一騎士団師団長である俺……いや私がオルレーヌの丘に赴き、“異端者”を生け捕り……いや導き、陛下の元まで連れ帰ればよい、という認識で宜しいでしょうか」
やさぐれ気分で話したため、会話のところどころで、ついうっかり言葉使いが荒くなってしまうのを、どうにか誤魔化しつつ、感情を押し殺した平べったい声で、自分がすべき任務について相違がないか確認をすれば、ルードリッヒは、いや、と否定的な言葉を紡いで、頭を左右に振る。
「“異端者”はこの世に災いを呼ぶ者だ。そんな厄介なものを我が国に持ち込まれても余すだけだ」
「それではどうしろというのですか」
「そんなこと聞くまでもないだろう?」
凍てつく氷の刃を思わせるような冷めた瞳を向けられ、その鋭さに息を呑む。いったい何を告げられるのだろうかと身構えてその直後。
「アレクシオ・クロウディアに命ずる。オルレーヌの丘に顕れるという“異端者”を見つけ、抹殺せよ」
大理石に覆い尽くされた冷たい謁見の間に響き渡ったルードリッヒのその宣告にアレクシオはただただ絶句するしかなかった。
「それでは“異端者”は既にどこかに顕れている、ということでしょうか?」
「いや、“異端者”はまだ顕れてはいない」
「どうしてそう断言できるのか、その理由をお聞かせ願っても宜しいでしょうか?」
月に異変が起き、突如としてその色を変えたのは、今から一年ほど前の話だ。そしてそれとほぼ同時に世界各地では異常事態が起きている。
“月の異変”と“異端者”の関連性が強いのであれば、“異端者”は月に異変が起きた頃にどこかに顕れたと考えるのが妥当だろう。
だがルードリッヒはそれはないとはっきりと言い切ったのである。
そこまで断言するからには何かしら確固たるものがあるからだろうと思い、一歩踏み込んで聞いてみれば、ルードリッヒは、ふむ、と一つ肯くと、顎の下に伸びた長い髭を撫で上げた。
「これも石板に記されていたことだが“異端者”が顕われる際、月はその姿を完全に消すそうだ」
「月が完全に姿を消すとは一体どういうことなのでしょうか?」
月に異変が起きてからというもの、数か月に一度という短い周期で月蝕が起きているが、そのどれもが月の一部がほんの僅か欠ける程度のものばかりだ。
むろん月が紅く染まる以前からも、数年に一度の割合で月蝕は起きているが、月が完全に姿を消すなどという話は聞いたことがないし、これまでさんざん読み漁ってきた大量の文献や資料の中においても、月が消えるという事象について記述されていたものは一冊たりともなかったはずだ。
「それについても詳しくは分からない。月に異変が起きてから以降、月蝕はたびたび起きているが、月が消えるなどという現象は未だ起ってはいない。石板に遺された記述が正しいのだとすれば、“異端者”はまだ顕れてはいない、ということだ」
「なるほど。陛下が断言された理由については納得しました。ですが陛下はどうしてそこまで石板に記されたことを信じているのでしょうか」
月に異変が起きているのは揺らがない事実だが、それにしても今から四千年以上も昔に作られた石板に記されたことを、ここまで信じこむのは不可解だ。
当然までの疑問を投げかけたアレクシオを見やり、顎の下に伸びる髭を撫でる手を止めると、ルードリッヒは窓辺から離れ、壇上の下で跪くアレクシオの前にすっと立った。
「アレクシオよ。アリルア国第一騎士団の師団長が異名を持っていることは知っておるか?」
「確か“漆黒の騎士”だったように記憶しておりますが……」
ここにきて不意に湧いて出たその問いかけを不審に思いつつ、いったい何の関係があるんだ、とアレクシオが訝しげに眉を顰めれば、ルードリッヒは獣の毛皮で仕立てた豪奢な外套の下に纏うサーコートの懐に手を突っ込むと、その胸元から金糸の紐で括られた巻子を取り出した。
「これは古くから王家の血筋を引く者に受け継がれてきた預言書だ。奇しくもこの書簡が綴られたのもまたレガル王朝期でな」
取り出した巻子がどういったものなのかを説明しながら、しゅるっ、と金糸の紐を解くと、ルードリッヒは小さく丸められた紙を指先で押さえ、丁寧に広げてゆく。
古びて色褪せた羊皮紙と思しきそれには、ところどころに皺や破れが見受けられ、確かに年代を思わせる古いものだ。
(……それにしてもここにきて預言書が出てくるとはな、)
アレクシオは預言だとか占術といった根拠がない類のものが大嫌いだ。
年頃の娘たちが花占いやら恋の呪いとやらを楽し気にやっているのを、巡回中にたびたび見かけるが、そんなもので運命を左右されて何が面白いのか、アレクシオには全く理解できない。
いつもそんな風に冷ややかな気持ちで見ているというのに、まさかこのような重大な局面で国王陛下たる者が、預言書を持ち出してくるとは、世も末としか言いようがない。
巻子を押し広げてゆくルードリッヒの節くれ立った指の動きを目で追いつつ、もう何度目になるか分からない溜め息をまた一つ落として、つきつきと痛む蟀谷を押さえようとして、目の前に、ぴろり、と古惚けた羊皮紙を差し出される。
おそらく受け取れという意味で差し出されたのであろうと思われるが、代々王家に引き継がれてきたという貴重な家宝に不要に触れるわけにもいかず、目の前に立つ主を見上げれば、ルードリッヒは無言のまま肯く。
戸惑いながらも、目の前に差し出された巻子を手に取り、古びた羊皮紙にざっと視線を巡らせて、アレクシオはそこに記された内容に目を瞠った。
枯れ草のようにくすんだ茶褐色の紙の表面には、細部にまで渡って緻密且つ精巧に表現された挿し絵が横並びに描かれており、ところどころに挿された色彩は、まるで宝石でも埋め込んだかのように、鮮やかな色味を出していて、今から四千年以上も前に作られたものとは思えないほどの美品だ。
書簡というよりは絵巻物といったほうが近く、巻子の端から端までを合わせて五つの絵が飾り立てている。
ところどころに申し訳程度の文字も記されているが、さすがに古代文字を読み解くほどの知識はなく、どのようなことが記されているか、詳細までは分からなかったが、それでも横長の紙面に描かれた五つの絵を見れば、書簡を遺した主が何を訴えかけようとしているのかは一目瞭然だ。
それが預言書であることさえも忘れ、紙面に挿された絵と古代文字を食い入るように眺めやっていたアレクシオだったが、最初こそ嬉々としていた表情は徐々に曇ってゆき、やがてそれは苦虫を噛み潰したような渋いものへと変化してゆく。
その様子を静かに見下ろしていたルードリッヒはもういいだろう、と言わんばかり、眉間に思いっきり皺を寄せて固まっているアレクシオの手から巻子を取り上げた。
「巻子を見たならば、余の口からわざわざ言うことでもあるまいが、解釈に相違があっても困るだろうから、一応説明はしておこうか」
歴史的にも価値がありそうな古びた羊皮紙をサーコートの胸元に戻しながら、ルードリッヒは人が悪そうな笑みを浮かべる。そうしてから一呼吸の沈黙を挟んだ後、ルードリッヒはふさふさとした髭を蓄えたその口元をゆっくりと押し開いた。
『紅の月が消えし時、漆黒の騎士に導かれ、オルレーヌの丘陵に“異端者”は降臨されたし』
詩でも唄うかのように、まろやかに響く声で紡がれたそれに、色褪せた羊皮紙に描かれていた絵が、まるで歯車が噛み合うかのごとく、ぴたり、と重なり合う。
一つ目は甲冑を纏った騎士のような人物が黒馬に跨る絵。
二つ目は小高い丘とその上空に浮かぶ紅い月を描いた絵。
三つ目は真っ黒に塗りつぶされ、輪郭だけが残された月の絵。
四つ目は真っ黒に塗りつぶされた輪郭だけの月から落ちてくる人影のようなものが描かれた絵。
五つ目は甲冑を纏った騎士がその腕の中に何かを抱えている様子が描かれた絵。
ルードリッヒが第一騎士団師団長の異名についてなぜ問うたのか、ようやくその理由に気づいたものの、アレクシオにとって、それはとんでもなく厄介で面倒で傍迷惑なことにしか過ぎない。
(どこの馬の骨ともわからない人間が遺した根も葉も根拠もない預言に、どうして俺が巻き込まれなければならないんだ)
滅多と見ることのできない貴重な文献だと、嬉々として巻子を眺めていた気持ちはどこへいったのやら、ルードリッヒが自分を呼び立てた真の目的に気づき、やり場のない憤りが今頃になって沸々と湧き上がってくる。
不敬罪に問われることは承知の上、この場からさっさと立ち去ってやろうかとも思ったが、騎士としての矜持がそうすることを思い留まらせた。
(ここまできたらもう諦めて受け入れるしかない)
ルードリッヒの思惑にまんまと嵌められた自分を呪いつつ、これだけは確認しておかなければ、とアレクシオは暗澹とした表情で口を開いた。
「要するに漆黒の騎士の異名を持つ第一騎士団師団長である俺……いや私がオルレーヌの丘に赴き、“異端者”を生け捕り……いや導き、陛下の元まで連れ帰ればよい、という認識で宜しいでしょうか」
やさぐれ気分で話したため、会話のところどころで、ついうっかり言葉使いが荒くなってしまうのを、どうにか誤魔化しつつ、感情を押し殺した平べったい声で、自分がすべき任務について相違がないか確認をすれば、ルードリッヒは、いや、と否定的な言葉を紡いで、頭を左右に振る。
「“異端者”はこの世に災いを呼ぶ者だ。そんな厄介なものを我が国に持ち込まれても余すだけだ」
「それではどうしろというのですか」
「そんなこと聞くまでもないだろう?」
凍てつく氷の刃を思わせるような冷めた瞳を向けられ、その鋭さに息を呑む。いったい何を告げられるのだろうかと身構えてその直後。
「アレクシオ・クロウディアに命ずる。オルレーヌの丘に顕れるという“異端者”を見つけ、抹殺せよ」
大理石に覆い尽くされた冷たい謁見の間に響き渡ったルードリッヒのその宣告にアレクシオはただただ絶句するしかなかった。