紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
紅の月と落ちてきた少女⑤(アレク視点)
静かな闇夜に、ぱきり、と小枝が折れる乾いた音が響く。
獲物を捕らえたと思しき、梟が嘴に何かを咥え、ばさささ、と羽音を立てて、銀色の星が無数に瞬く夜の空を横切って、どこかへと飛び去ってゆく。
それほど遠くもない過去を回顧していたアレクシオは、ひひんっ、と嘶く愛馬の声に、読みかけていた本を、ぱたり、と閉じると、背中を預けていた大樹の幹から身体を起こし、枝に引っかけていた角灯を手に取った。
「どうした? グラナート」
夜露に濡れた草をさくさくと踏み締めながら、落ち着きのない愛馬の傍まで歩み寄り、手入れの行き届いた艶やかな黒毛の鬣をそっと撫でてやれば、今度は一転して、長い鼻をすりすりと擦り寄せてくる。
「なんだ、お前、構って欲しかったのか?」
気まぐれなその行動に苦笑いを溢しつつ、擦り寄って甘えてくる愛馬の鼻の先を撫でながら、アレクシオは頭上に懸かる月を、つい、と見上げた。
動物は人よりも数倍も感覚が鋭い。
急に落ち着きを失くした愛馬の様子に、何か異変を感じ取ったのかもしれないと思い、空を見上げたものの、丸々と肥えた月はそんなアレクシオの思惑など介した様子もなく、いつもと変わらない姿で流れゆく雲を禍々しい紅へと染めてゆく。
「――……やはり今夜も肩透かしで終わりそうだな」
やれやれと肩を竦めながら、はあ、と息を吐く。
一年前、主であるルードリッヒから“異端者”の抹殺を命じられてからというもの、エリルトアの調査団から月の波長に異変が生じたと報告が上がるたび、アレクシオはオルレーヌの丘へと足を運んでいる。
しかし報告を受けたからといって、必ずしもその日のうちに異変が起きるというわけでもなく、長い時であれば、オルレーヌの丘で一週間近くも夜を明かすこともあった。
とは言っても、そうそう頻繁に異変が起きているわけではない。
アレクシオがこうしてオルレーヌの丘に赴くのは今回で三回目だ。
先の二回は異変こそあったものの、そのどちらも月の一部がほんの少し欠ける程度の小規模な月蝕が起きただけで、月が完全に姿を消すなどという事象はもちろんなかったし、ましてや空から“異端者”が降ってくるようなこともなかった。
「……そもそも預言とかそんな下らないものが当たるわけないに決まってるだろ」
眉間に皺を寄せて苦い表情を浮かべながら、独り言ちて、はあ、と何度目になるか分からない溜め息をまた一つ落とす。
確かに月が紅く染まってから以降、世界各地では異常事態が起こり、最近では魔物といった類の行動も活発になり、街中にまで現れた魔獣に襲われ、負傷するという事例が後を絶たないが、その全ての要因が“異端者”に起因しているとは到底思えない。
百歩譲って“異端者”の存在が確かなものだとしても、その“異端者”を導くのが“漆黒の騎士”の異名を持つアリルア国第一騎士団師団長であると信じるのは、まったく以って馬鹿馬鹿しいことだ。
王家の始祖は遥か太古に栄えた草原の民ルガウ族の長であるとされ、その歴史は古く、レガル王朝期には王家の血筋を引く者がいたのは確かだろう。
だが“騎士団”と名の付く集団が設立されたのは、レガル王朝期よりも、もっと後の時代であるヴァレント王朝期の頃からだと云われている。
少なくともレガル王朝期には“騎士団”なんてものはなかったはずだ。
“異端者”の抹殺を命じられた際、騎士団の存在すらなかった時代に遺された預言など信じられるか! と確たる論拠を以って異議を唱えたが、主はそんなアレクシオに対して騎士団が存在しなかったことは認めつつも、それに準ずる集団はあったはずだと言い張り、アレクシオが申し立てた異議を、ばっさりと切り捨てたのである。
確かにまあ主の言い分にも一理はあるだろう。
冷静になって考えてみれば、騎士団に取って代わるような集団がいた可能性は大いにあるし、先陣を切って指揮を執る者が何かしらの異名で呼ばれていた可能性もあったかもしれない。
長年に渡って伝聞されているうち、異名はその響きを少しづつ変えてゆき、ヴァレント王朝期以降、どこかの段階で“漆黒の騎士”に変化したのだと言われれば、それはそれで納得できないこともないのだが。
(――……やはり解せんな)
この世界に於いて上位に立つ者が下す命は絶対的なものだ。
たとえそれがどんなに難攻不落な難題であろうとも、甘んじて受け入れなければならないことは、アレクシオ自身が誰よりも一番に分かっている。
だからいまさら難癖つけて引き受けた命を放棄するつもりなどないのだが、確たる根拠がない預言のせいで、このような面倒事に巻き込まれ、振り回されているのだと思えば、やはり腹立たしさを感じずにはいられないのだ。
(――……アリルア国第一騎士団師団長に“漆黒の騎士”などというふざけた異名を付けたヤツを呪ってやりたい)
今夜も無駄な時間を過ごすことになるのだろうか、とそう思っただけで気分はすっかり滅入ってしまい、無意識のうちに、はあ、と溜め息を溢して、その直後。
ひひひんっ!
落ち着いていたはずのグラナートが、先ほどとは比べ物にならないくらい、甲高い声で嘶いたかと思えば、抉るように土を蹴り上げて突然に暴れ出す。
「――……っ、落ち着け! グラナート!」
握っていた手綱ごと身体を投げ出されそうになるのをどうにか堪えながら、太い前脚を振り上げて暴れる愛馬の轡を掴み、グラナートの長い鼻面を自分の胸元へと引き寄せ、首の辺りを軽く叩いて宥めるものの、一向に落ち着く様子はない。
先ほど甘えてきた時とは明らかに様子の違う愛馬の行動にまさかと思いつつ、頭上を仰いで次の瞬間、自分の視界が捉えたありえない光景にアレクシオは息を呑んだ。
獲物を捕らえたと思しき、梟が嘴に何かを咥え、ばさささ、と羽音を立てて、銀色の星が無数に瞬く夜の空を横切って、どこかへと飛び去ってゆく。
それほど遠くもない過去を回顧していたアレクシオは、ひひんっ、と嘶く愛馬の声に、読みかけていた本を、ぱたり、と閉じると、背中を預けていた大樹の幹から身体を起こし、枝に引っかけていた角灯を手に取った。
「どうした? グラナート」
夜露に濡れた草をさくさくと踏み締めながら、落ち着きのない愛馬の傍まで歩み寄り、手入れの行き届いた艶やかな黒毛の鬣をそっと撫でてやれば、今度は一転して、長い鼻をすりすりと擦り寄せてくる。
「なんだ、お前、構って欲しかったのか?」
気まぐれなその行動に苦笑いを溢しつつ、擦り寄って甘えてくる愛馬の鼻の先を撫でながら、アレクシオは頭上に懸かる月を、つい、と見上げた。
動物は人よりも数倍も感覚が鋭い。
急に落ち着きを失くした愛馬の様子に、何か異変を感じ取ったのかもしれないと思い、空を見上げたものの、丸々と肥えた月はそんなアレクシオの思惑など介した様子もなく、いつもと変わらない姿で流れゆく雲を禍々しい紅へと染めてゆく。
「――……やはり今夜も肩透かしで終わりそうだな」
やれやれと肩を竦めながら、はあ、と息を吐く。
一年前、主であるルードリッヒから“異端者”の抹殺を命じられてからというもの、エリルトアの調査団から月の波長に異変が生じたと報告が上がるたび、アレクシオはオルレーヌの丘へと足を運んでいる。
しかし報告を受けたからといって、必ずしもその日のうちに異変が起きるというわけでもなく、長い時であれば、オルレーヌの丘で一週間近くも夜を明かすこともあった。
とは言っても、そうそう頻繁に異変が起きているわけではない。
アレクシオがこうしてオルレーヌの丘に赴くのは今回で三回目だ。
先の二回は異変こそあったものの、そのどちらも月の一部がほんの少し欠ける程度の小規模な月蝕が起きただけで、月が完全に姿を消すなどという事象はもちろんなかったし、ましてや空から“異端者”が降ってくるようなこともなかった。
「……そもそも預言とかそんな下らないものが当たるわけないに決まってるだろ」
眉間に皺を寄せて苦い表情を浮かべながら、独り言ちて、はあ、と何度目になるか分からない溜め息をまた一つ落とす。
確かに月が紅く染まってから以降、世界各地では異常事態が起こり、最近では魔物といった類の行動も活発になり、街中にまで現れた魔獣に襲われ、負傷するという事例が後を絶たないが、その全ての要因が“異端者”に起因しているとは到底思えない。
百歩譲って“異端者”の存在が確かなものだとしても、その“異端者”を導くのが“漆黒の騎士”の異名を持つアリルア国第一騎士団師団長であると信じるのは、まったく以って馬鹿馬鹿しいことだ。
王家の始祖は遥か太古に栄えた草原の民ルガウ族の長であるとされ、その歴史は古く、レガル王朝期には王家の血筋を引く者がいたのは確かだろう。
だが“騎士団”と名の付く集団が設立されたのは、レガル王朝期よりも、もっと後の時代であるヴァレント王朝期の頃からだと云われている。
少なくともレガル王朝期には“騎士団”なんてものはなかったはずだ。
“異端者”の抹殺を命じられた際、騎士団の存在すらなかった時代に遺された預言など信じられるか! と確たる論拠を以って異議を唱えたが、主はそんなアレクシオに対して騎士団が存在しなかったことは認めつつも、それに準ずる集団はあったはずだと言い張り、アレクシオが申し立てた異議を、ばっさりと切り捨てたのである。
確かにまあ主の言い分にも一理はあるだろう。
冷静になって考えてみれば、騎士団に取って代わるような集団がいた可能性は大いにあるし、先陣を切って指揮を執る者が何かしらの異名で呼ばれていた可能性もあったかもしれない。
長年に渡って伝聞されているうち、異名はその響きを少しづつ変えてゆき、ヴァレント王朝期以降、どこかの段階で“漆黒の騎士”に変化したのだと言われれば、それはそれで納得できないこともないのだが。
(――……やはり解せんな)
この世界に於いて上位に立つ者が下す命は絶対的なものだ。
たとえそれがどんなに難攻不落な難題であろうとも、甘んじて受け入れなければならないことは、アレクシオ自身が誰よりも一番に分かっている。
だからいまさら難癖つけて引き受けた命を放棄するつもりなどないのだが、確たる根拠がない預言のせいで、このような面倒事に巻き込まれ、振り回されているのだと思えば、やはり腹立たしさを感じずにはいられないのだ。
(――……アリルア国第一騎士団師団長に“漆黒の騎士”などというふざけた異名を付けたヤツを呪ってやりたい)
今夜も無駄な時間を過ごすことになるのだろうか、とそう思っただけで気分はすっかり滅入ってしまい、無意識のうちに、はあ、と溜め息を溢して、その直後。
ひひひんっ!
落ち着いていたはずのグラナートが、先ほどとは比べ物にならないくらい、甲高い声で嘶いたかと思えば、抉るように土を蹴り上げて突然に暴れ出す。
「――……っ、落ち着け! グラナート!」
握っていた手綱ごと身体を投げ出されそうになるのをどうにか堪えながら、太い前脚を振り上げて暴れる愛馬の轡を掴み、グラナートの長い鼻面を自分の胸元へと引き寄せ、首の辺りを軽く叩いて宥めるものの、一向に落ち着く様子はない。
先ほど甘えてきた時とは明らかに様子の違う愛馬の行動にまさかと思いつつ、頭上を仰いで次の瞬間、自分の視界が捉えたありえない光景にアレクシオは息を呑んだ。