紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
温かい紅茶でも飲んで一息つきましょう。
「すみません。取り乱してしまいました。あ、これ、お返しします」
「いや、それはお前が持っていろ。それよりも落ち着いたか?」
ずずっ、と鼻を啜りつつ、涙と鼻水でぐちょんぐちょんに濡れたハンカチをそっと差し出せば、漆黒の王子じゃなかった。アレクは超絶に美形なその表情を僅かに歪ませると、私が差し出したハンカチをすっと突き返してきた。
ああ、そうですよね。涙ならまだしも鼻水をたっぷり含んだハンカチなど汚くて受け取れませんよね。気が回らなくてすみませんでした。こちらの世界での生活が長くなりそうな気配ですので、いつの日か洗濯する機会があれば、買いたての新品のようにしてから、お返しさせていただきますね。はい。
心の中でそんな長文をつらつらと棒読みしつつ、突き返されたハンカチをポケットの中にそっと押し込む。
「はい、だいぶと落ち着きました」
「そうか、あまり気分が優れないだろうが、もう少しだけ聞きたいことがある。このまま、話を進めても構わないか?」
「はい、大丈夫です。先ほど以上に衝撃的なことは、もうないと思いますので……」
「ああ、まあ、そうだな」
そこで会話が途切れ、降りてきたわずかな沈黙の合間に、すぐ近くにある彫刻みたいな美しさを湛えたその横顔を見つめる。
能面を貼りつけたような無表情な顔ばかりをしているのかと思ったけれど、こうして向き合って話してみたら、そこまで表情が乏しいわけではないことに気がついた。
だからと言って感情豊かとまでは、さすがに言えないけれど。
ぼんやりとそんなことを思いながら、ほんの少し前、アレクの指が頬に触れた時のことを思い出す。
(……壊れやすい硝子細工を扱うみたいに、すごく優しい触れ方だったなあ)
触れたのは、ほんの一瞬だけ。
涙の粒を一つだけ掬って、アレクの指はすぐに離れていったけれど、それでも頬に触れた時に感じたあの温もりが、頭にこびりついて全然離れてくれない。
「……って、おい、話を聞いているのか?」
「わあ!」
「なんだ、いきなり大声をあげて」
「い……いえ、少し考え事をしていたので驚いちゃいました。えーっと……すみません。聞いていなかったので、もう一度、お願いします」
「まったく仕方がないな。とにかく、お前が何か目的があって、この世界へ来たわけではないことも、お前がこの世界に来た経緯についても理解はした。それからお前自身がこの世界に来た理由を知らないことも――……っていうか、本当に何一つとして心当たりはないのか?」
「え……えーっと、そうですねえ……」
王子が触れた手の感触を思い出して惚けていました! などと変態的且ついらぬ誤解を招くような発言は、もちろんできないので、にへら、と笑って適当に誤魔化しつつ、何食わぬ顔で会話を続けていたら、今度はそのような問いを投げかけられた。
うーむ、心当たりかあ。
アレクの言葉を脳内で咀嚼しつつ、あれこれと考えてみる。
「心当たりというか、もしかしたら、これに該当するのでは? と思う事案はいくつかあるのですが……でも、これたぶん、いや確実に長くなると思いますよ?」
「いや、ちょっと待て。『手短な話』であれほど無駄に長かったお前が『確実に長い』話をするというのか?」
「はい。あ、でも明日の朝までかかるほど、長い話ではないので安心して下さい。そうですね。文字に書き起こせば、だいたい五千文字くらいで終わるかな、というくらいの長さなので」
「というか、お前のその比較対象が全く以って分かりにくいのだが」
前もって断っておこうと思い、長話になる、と告げるなり、目鼻立ちが整った絶世の美形であるその顔立ちが、今度はあからさまに歪む。
いやしかし顔を歪ませても尚、その美しさが損なわれないのは、特殊な能力が働いているからなのではなかろうか。
綺麗な形をしたアレクの唇から吐き出される毒を躱しつつ、片手で額を押さえつけて溜め息を吐いたアレクに、にこり、と微笑みながら、どうします? と選択を迫れば。
「……分かった。試練だと思って受けよう。いいぞ、話せ」
ものすごく面倒くさそうに承諾の意を示す。
試練って、なんだ、それ。
「はい、わかりました。あ、その前に一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「何だ、言ってみろ」
「話をしていたら、何だか喉が渇いちゃって。これからさらに長い話もすることですし、なにか飲むものを頂けないでしょうか?」
「ああ、そういうことか。リリア、悪いがお茶の準備をしてやってくれ」
「はい、畏まりました。師団長様」
今朝、学校に向かう前に飲み物を入れたような気もするのだが、いずれにしても、鞄が手元になければ、確認のしようもない。
図々しいと思われるかもしれないけれど、と思いつつ、喉の渇きを訴えれば、部屋のドアも開けないまま、アレクが外にいるであろうリリアに声をかけた。
すると三秒も経たないうちに、ドアの向こうから、鈴を転がしたようなリリアの澄んだ声が届く。
アレクと二人きりで話し始めてから、それなりに時間が経っているはずなのに、ずっと外で控えていたのか、と、その徹底した忠実ぶりに驚いていたら、十分とも経たないうちに、ティーセットをトレイに載せたリリアが部屋の中へと入ってきた。
どうぞ、と差し出されたカップをリリアから受け取り、真っ白い湯気を上げるカップの縁に口をつければ、ほんのりと甘酸っぱい柑橘系の香りが鼻を擽った。
「オレンジの花びらを乾燥させて作ったもので、気持ちを落ち着ける効能がありますのよ。ああ、それからこちらのクッキーは施設の子供たちが作ったものですの。どうぞ、お召し上がりください」
淹れたての紅茶の効用について説明をしながら、薔薇をモチーフにした可愛らしいデザインのティーポットとともに、リリアが銀色のトレイに置いたのは、様々な形をしたクッキーがいっぱい盛られた大きなお皿。
ちょうどいい感じに小腹が空いていた私は市松模様やマーブル模様など、色んな図柄のクッキーの中から、ハートを模ったクッキーを一つ摘まむと、ぱくり、と口の中に頬張った。
さくさくとした生地の中には、細かく刻まれたナッツが入っていて、すっごく美味しい!
一つだけじゃ物足りなくて、ほかのクッキーも食べてみたら、ジャムが練りこまれたものや、レーズンやクルミが入ったものもあり、そのバリエーションはとても豊富だ。
ああ、それにしても、なんて美味しいのかしら! 機会があったらレシピを教えてもらいたいくらいだわ!
「ミオさま、お菓子は逃げませんから、そんなに口いっぱい頬張らなくても大丈夫ですよ」
あまりの美味しさに夢中になって、クッキーにがっついていたら、リリアがくすくすと苦笑いを溢しながら、そんなことを言う。はっと我に返って、アレクをちらりと見やったら、こちらもかなりドン引きしている様子だ。
「お前は腹をすかせた野良犬か。もう少し淑やかに食え。ああ、それからリリア。彼女がこれから『確実に長い』話をするそうだ。終わったら呼びに行くから、応接室で休んでいていいぞ」
目が合うなり、アレクが毒を含んだ嫌みを言ってきたが、そんなものなどに屈する私ではない。
いやまあ、さすがに野良犬と一緒にされるのは、ちょっと腹立たしいけれどね。でも、そんなことよりも、クッキーが美味しすぎて手が止まらない。これは確実に体重が増えそうだ。あとで運動をしよう。
アレクの戯言は聞かなかったことにしつつ、新たにクッキーを一枚摘まんで口の中に放り込んでいたら、退室しようとしたリリアが振り向く。
「はい。ではお言葉に甘えて、一休みさせて頂きます」
優美に微笑んで部屋から出てゆくリリアの背中を見送りつつ、大魔王アレクにあれほど忠実に従うなんて、本当によくできた侍女だなあ、とクッキーでパンパンに膨れた頬っぺたをもごもごさせながら、私は苦労が絶えないであろうリリアを心底から尊敬したのであった。
「いや、それはお前が持っていろ。それよりも落ち着いたか?」
ずずっ、と鼻を啜りつつ、涙と鼻水でぐちょんぐちょんに濡れたハンカチをそっと差し出せば、漆黒の王子じゃなかった。アレクは超絶に美形なその表情を僅かに歪ませると、私が差し出したハンカチをすっと突き返してきた。
ああ、そうですよね。涙ならまだしも鼻水をたっぷり含んだハンカチなど汚くて受け取れませんよね。気が回らなくてすみませんでした。こちらの世界での生活が長くなりそうな気配ですので、いつの日か洗濯する機会があれば、買いたての新品のようにしてから、お返しさせていただきますね。はい。
心の中でそんな長文をつらつらと棒読みしつつ、突き返されたハンカチをポケットの中にそっと押し込む。
「はい、だいぶと落ち着きました」
「そうか、あまり気分が優れないだろうが、もう少しだけ聞きたいことがある。このまま、話を進めても構わないか?」
「はい、大丈夫です。先ほど以上に衝撃的なことは、もうないと思いますので……」
「ああ、まあ、そうだな」
そこで会話が途切れ、降りてきたわずかな沈黙の合間に、すぐ近くにある彫刻みたいな美しさを湛えたその横顔を見つめる。
能面を貼りつけたような無表情な顔ばかりをしているのかと思ったけれど、こうして向き合って話してみたら、そこまで表情が乏しいわけではないことに気がついた。
だからと言って感情豊かとまでは、さすがに言えないけれど。
ぼんやりとそんなことを思いながら、ほんの少し前、アレクの指が頬に触れた時のことを思い出す。
(……壊れやすい硝子細工を扱うみたいに、すごく優しい触れ方だったなあ)
触れたのは、ほんの一瞬だけ。
涙の粒を一つだけ掬って、アレクの指はすぐに離れていったけれど、それでも頬に触れた時に感じたあの温もりが、頭にこびりついて全然離れてくれない。
「……って、おい、話を聞いているのか?」
「わあ!」
「なんだ、いきなり大声をあげて」
「い……いえ、少し考え事をしていたので驚いちゃいました。えーっと……すみません。聞いていなかったので、もう一度、お願いします」
「まったく仕方がないな。とにかく、お前が何か目的があって、この世界へ来たわけではないことも、お前がこの世界に来た経緯についても理解はした。それからお前自身がこの世界に来た理由を知らないことも――……っていうか、本当に何一つとして心当たりはないのか?」
「え……えーっと、そうですねえ……」
王子が触れた手の感触を思い出して惚けていました! などと変態的且ついらぬ誤解を招くような発言は、もちろんできないので、にへら、と笑って適当に誤魔化しつつ、何食わぬ顔で会話を続けていたら、今度はそのような問いを投げかけられた。
うーむ、心当たりかあ。
アレクの言葉を脳内で咀嚼しつつ、あれこれと考えてみる。
「心当たりというか、もしかしたら、これに該当するのでは? と思う事案はいくつかあるのですが……でも、これたぶん、いや確実に長くなると思いますよ?」
「いや、ちょっと待て。『手短な話』であれほど無駄に長かったお前が『確実に長い』話をするというのか?」
「はい。あ、でも明日の朝までかかるほど、長い話ではないので安心して下さい。そうですね。文字に書き起こせば、だいたい五千文字くらいで終わるかな、というくらいの長さなので」
「というか、お前のその比較対象が全く以って分かりにくいのだが」
前もって断っておこうと思い、長話になる、と告げるなり、目鼻立ちが整った絶世の美形であるその顔立ちが、今度はあからさまに歪む。
いやしかし顔を歪ませても尚、その美しさが損なわれないのは、特殊な能力が働いているからなのではなかろうか。
綺麗な形をしたアレクの唇から吐き出される毒を躱しつつ、片手で額を押さえつけて溜め息を吐いたアレクに、にこり、と微笑みながら、どうします? と選択を迫れば。
「……分かった。試練だと思って受けよう。いいぞ、話せ」
ものすごく面倒くさそうに承諾の意を示す。
試練って、なんだ、それ。
「はい、わかりました。あ、その前に一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「何だ、言ってみろ」
「話をしていたら、何だか喉が渇いちゃって。これからさらに長い話もすることですし、なにか飲むものを頂けないでしょうか?」
「ああ、そういうことか。リリア、悪いがお茶の準備をしてやってくれ」
「はい、畏まりました。師団長様」
今朝、学校に向かう前に飲み物を入れたような気もするのだが、いずれにしても、鞄が手元になければ、確認のしようもない。
図々しいと思われるかもしれないけれど、と思いつつ、喉の渇きを訴えれば、部屋のドアも開けないまま、アレクが外にいるであろうリリアに声をかけた。
すると三秒も経たないうちに、ドアの向こうから、鈴を転がしたようなリリアの澄んだ声が届く。
アレクと二人きりで話し始めてから、それなりに時間が経っているはずなのに、ずっと外で控えていたのか、と、その徹底した忠実ぶりに驚いていたら、十分とも経たないうちに、ティーセットをトレイに載せたリリアが部屋の中へと入ってきた。
どうぞ、と差し出されたカップをリリアから受け取り、真っ白い湯気を上げるカップの縁に口をつければ、ほんのりと甘酸っぱい柑橘系の香りが鼻を擽った。
「オレンジの花びらを乾燥させて作ったもので、気持ちを落ち着ける効能がありますのよ。ああ、それからこちらのクッキーは施設の子供たちが作ったものですの。どうぞ、お召し上がりください」
淹れたての紅茶の効用について説明をしながら、薔薇をモチーフにした可愛らしいデザインのティーポットとともに、リリアが銀色のトレイに置いたのは、様々な形をしたクッキーがいっぱい盛られた大きなお皿。
ちょうどいい感じに小腹が空いていた私は市松模様やマーブル模様など、色んな図柄のクッキーの中から、ハートを模ったクッキーを一つ摘まむと、ぱくり、と口の中に頬張った。
さくさくとした生地の中には、細かく刻まれたナッツが入っていて、すっごく美味しい!
一つだけじゃ物足りなくて、ほかのクッキーも食べてみたら、ジャムが練りこまれたものや、レーズンやクルミが入ったものもあり、そのバリエーションはとても豊富だ。
ああ、それにしても、なんて美味しいのかしら! 機会があったらレシピを教えてもらいたいくらいだわ!
「ミオさま、お菓子は逃げませんから、そんなに口いっぱい頬張らなくても大丈夫ですよ」
あまりの美味しさに夢中になって、クッキーにがっついていたら、リリアがくすくすと苦笑いを溢しながら、そんなことを言う。はっと我に返って、アレクをちらりと見やったら、こちらもかなりドン引きしている様子だ。
「お前は腹をすかせた野良犬か。もう少し淑やかに食え。ああ、それからリリア。彼女がこれから『確実に長い』話をするそうだ。終わったら呼びに行くから、応接室で休んでいていいぞ」
目が合うなり、アレクが毒を含んだ嫌みを言ってきたが、そんなものなどに屈する私ではない。
いやまあ、さすがに野良犬と一緒にされるのは、ちょっと腹立たしいけれどね。でも、そんなことよりも、クッキーが美味しすぎて手が止まらない。これは確実に体重が増えそうだ。あとで運動をしよう。
アレクの戯言は聞かなかったことにしつつ、新たにクッキーを一枚摘まんで口の中に放り込んでいたら、退室しようとしたリリアが振り向く。
「はい。ではお言葉に甘えて、一休みさせて頂きます」
優美に微笑んで部屋から出てゆくリリアの背中を見送りつつ、大魔王アレクにあれほど忠実に従うなんて、本当によくできた侍女だなあ、とクッキーでパンパンに膨れた頬っぺたをもごもごさせながら、私は苦労が絶えないであろうリリアを心底から尊敬したのであった。