紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

最低限以上の衣食住は確保されたようです。

「では今からお話ししますね」
「ああ、分かった」
「一応、わかりやすく説明するつもりですが、もし途中で混乱しそうになったら、その都度、聞いてもらえれば、答えられる範囲で補足しますので……」

 淹れたての温かい紅茶と美味しいクッキーで、渇いていた喉も、空腹だったお腹も、すっかり満たされた私は、げんなりとした様子のアレクに前置きをすると、こほり、と、咳払いを一つ溢した。

「ええっとですね。いわゆる『異世界トリップ』と呼ばれるものには、いくつかのパターンがありまして、私がいた世界では時空を操るような魔法も技法も持ち合わせていませんから、参考となるのは、マンガや小説、ゲームや映画といった――……架空世界での話が基準となるのですが、最近は『転生』パターンが一番多く、特にマンガや小説では、この手の話が、一大ブームとなっています。あ、転生というのは、簡単にいうと『生まれ変わり』のことです。要するに何らかの事情で死んだ主人公が、前世の記憶を持ったまま、別の世界の人物に生まれ変わるという話で、最近の傾向は乙女ゲームの悪役令嬢に生まれ変わって、本来であれば、迎えるであろうバッドエンド……ええっと悪い結果を回避して、推しキャラと結ばれるというのが主流ですね。ええっと、ここまでは何となくついてこれてますか?」
「ああ、まあ、そうだな。何となくだが。一応、理解はできているから、先に進んでもいいぞ」
「では続けますね。えーっと、さっきも話しましたが、こちらの世界に来る直前、私もこの世の終わりかと思うほどの激痛に襲われて、気を失ったものですから、元いた世界では『死んだ』ことになっているのではないかと思ったのです。それでですね、先ほど着替えをした時に鏡を見ることができたので確認してみましたが、姿かたちなど一切変わらず、元いた世界のまんまだったので、まず、この『転生』パターンには当てはまらないと確信したんです」
「ちょっと待て。該当事案ではないと分かり切っている話を、わざわざする必要などないと思うのだが、それこそ無駄だとは思わないのか? 小娘」
「何を言ってるんですか! 消去法ですよ、消去法! 数ある選択肢の中から間違ったものあるいは可能性の低いものを削除し、どんどん的を絞っていくという素晴らしい手法なんですよ! テストの選択問題で答えが解らないときによく使っていますが、結構な確率で当たるんですよ、これが! 消去法を見縊(みくび)っちゃダメですよ!」
「分かった、分かった! 分かったから大声で喚くな!」

 消去法の素晴らしさについて語っていたら、つい熱が入ってしまって、声高になった私をアレクが叱り飛ばすが、アレクの声の方が全然大きいではないか!
 自分のことは棚に上げて叱るなんてけしからんぞ! と注意してやりたかったのだが、話はまだ序の口。中盤にすら差しかかっていない。文字数に換算すれば、おそらく二千文字にも到達していないだろう。
 まだまだ先は長そうだし、やたらと『無駄』の二文字を強調してくるアレクに配慮して、今回は甘んじて目を瞑ることにし、次なる事案を提示すべく、温かい紅茶を一口啜って喉を潤わせると、私はふたたび口を開いた。

「……で、次に考えられるのが何らかの理由により、別世界の人間に何らかの方法で召喚される、というパターンですね」
「それがお前が言っていた『異世界から花嫁候補を召喚する』というやつか?」
「うわあ、まだその話蒸し返します? アレクって悪趣味ですね。最近は花嫁候補として呼び出されるパターンが多いってだけの話で、もちろん、その他にも色々とありますよ。世界を救う勇者だとか聖女様だとか。たまに間違って召喚しちゃいました! ごめんなさい! っていうパターンもあります。一番最後のは土下座して謝罪ものですよね! このパターンの場合、その多くは異世界で一番最初に出会った人物が召喚者本人だったりするのですが……」

 そこまで話して、ちろり、とアレクに目を向ければ、彼はものすごく嫌そうに眉を顰める。

「言っておくが俺は花嫁候補など探していないし、それ以前、召喚魔法など使えん」
「……ですよねえ。となると、この『別世界の人間によって召喚される』というパターンもないと思うんです。念のために伺いますが、この世界のどこかの国の王様もしくは王子様が花嫁を探しているというような話を小耳に挟んだことはありませんか?」
「少なくても定例会議の議題で、そのような話が上がったことは、一度もないな。仮に他国で秘かにそのような計画が執り行われていたとしても、この世界で使われているのは、あくまで『時空魔法』だ。その対象は術者自身であり、別の世界から何かを喚ぶような魔法ではない。むろん『召喚魔法』もあると聞いたことはあるが、それは契約精霊に認められたごく一部の魔術師のみにしか扱いは許されていない希少なものだ。たかが花嫁を探すためだけに使われるとは到底思えないがな」
「もうー! だから花嫁候補探しは一例なんですってば! じゃあ、『この世界を支配してやる! 人間どもよ! 泣き叫び、恐怖に慄くがいい! ふははははは!』的なセリフを吐いて、外からは一切侵入不可能な結界を施した城に引き籠っている大魔王みたいなのはいませんか?」
「そうだな。子供向けの絵本とかで見たことはあるが?」
「今、ちょっと、私のことを小馬鹿にしましたよね?」
「別に小馬鹿にしたつもりはないぞ。お前の妄想があまりにも壮大すぎて、少し驚いただけだ」

 って、その投げやり且つ棒読みな口調は絶対にバカにしてるよねええええ!?

「とにかく『別世界の人間によって召喚される』という可能性は極めて低いと思われますので、次の事案に移りますね」
「まだあるのか」
「ええ、ここでようやく中盤に差しかかったところです」
「明日の朝にまで及ぶことはなさそうだが、確実に日は暮れそうだな」

 はあ、と盛大な溜め息を吐いて、アレクは力が抜け落ちたみたいに姿勢を崩すと、椅子の背凭れにぐったりと背中を預ける。なんだかとっても疲れているようだ。

「あの、クッキー美味しいですよ? ほら、よく言うじゃないですか。甘いものを食べると疲れが吹き飛ぶって」
「甘いものは苦手なんだ。口に合わない。俺のことは気にしなくていいから、好きなだけ食え」
「そうなんですか。こんなに美味しいのに食べられないなんて不幸ですね」
「甘いものが食えなくて、不幸だと思ったことなど、一度もないがな」

 そっと差し出したクッキーを突き返しながら、アレクは苦く笑う。
 笑顔ではないが、こうしてたまに笑うこともあるのだなあ、と思いつつ、突き返されたクッキーを口の中に放り込めば、星型を模ったクッキーの中に練り込まれたジャムが、舌の上で甘く蕩けてゆく。

(ああ、幸せ)

 甘く蕩けてゆくその味覚に至福を感じつつ、クッキーが入ったお皿に手を伸ばして、今度はまあるい形のクッキーを口の中に放り込む。
 気がつけば、山ほどもあったクッキーは、もうすでに半分以上も減ってしまっている。
 ちょっと食べすぎかなあ、と思ったけれど、目覚めてから、ろくに食事も摂っていないし、まあ今日くらいは糖分過剰摂取しても問題ないわよね。うん。
 糖分過剰摂取する理由を無理やりにこじつけ、追加でクッキーを五枚ほど、ぺろり、と平らげ、紅茶で口直しをすると、私は一時停止していた話を再開させた。

「それで次の話なんですが、私としては、このパターンに当てはまるのではないかと思うのです」
「ほう、それはどういったものなんだ?」
「えーっとですね、いわゆる『巻き込まれ型およびその他もろもろ異世界トリップ』というやつです。たとえば階段で足を滑らせたとか、車――……ええっと鉄の塊のような乗り物に跳ね飛ばされたとか。あとは事件に巻き込まれて鋭利なナイフで刺されたとか。私のように原因不明の体調不良に襲われて倒れるとか。主に事故、事件に巻き込まれるパターンが多いですが、何の前触れもなく、瞬きをした一瞬に見知らぬ場所にいたっていうのもありますね。ちょっと前までは世界を救う勇者だとか聖女様だとかが主体だったんですが、最近はスキル……ええっと特技や趣味を活かして活躍するものが多いです。お医者さんや看護師さんや薬剤師といった医療関係に従事する主人公が、その知識と技術で異世界の人たちの病気を治したり、保育士が異世界で子供たちの面倒を見たり、建築士が滅びた街を一から復興させたり、そのパターンは多種多様多岐に渡っていますが、中でも一番多いのは料理の腕前を活かして、お店を開くというのが多いですね。ちなみにスキルをあまり持っていない学生は、王宮で侍女として働いたりすることもあるようです」
「それでお前はその『スキル』とやらを持っているのか?」
「ええっと、私は学生ですので、胸を張ってこれです! と言えるものはほとんどありません。強いて言うなら料理は得意ですが、お店を開けるほどの腕前はないですし、やはり一番適切なのは侍女として働くことでしょうか。今のところ、元の世界には戻れなさそうですし、最低限の衣食住は確保しなければいけないんです! さっき窓から見えたあのお城で住み込みで求人募集とかしてませんか!?」

 何せ、ここは右も左もわからぬ異世界。
 身寄りがなければ、この世界で生きていくための知識も、お金も当然なく、これといった特殊能力も持ち合わせていない。
 何もかもがないない尽くしの身の上としては、どんなに横柄な態度を取られようとも、どんなに辛辣な毒を吐かれようとも、平身低頭、媚を打ってでも縋りついて、最低限必要な衣食住だけは確保しなければならないのだ。
 とりあえず侍女であれば、スキルに乏しい自分でも、どうにか勤まるのではないかと、涙ながらにアレクに訴えかければ。

「ああ、そういうことなら心配するな。お前の処遇が決まるまでは、施設の世話になればいい」
「施設、ですか?」
「ああ、そうだ。ここは様々な事情で帰る場所を失くした子供たちが暮らしている孤児院だ。今のお前にはちょうどいいだろう。子供たちが話す言葉には余計なものはないから、大人から話を聞くよりも分かりやすい。まずは子供たちから、この世界のことを色々と学べ。城で働く云々はその後だ」

 アレクの言葉に、ほうっ、と息を吐く。
 とりあえず無一文で路頭に迷った挙句、野垂れ死ぬというのだけは回避できたようだ。

「あ……ありがとうございます! アレクシオさん!」

 あまりの嬉しさに思わず敬称をつけて、彼の名前を呼んだら、ぎろり、と睨まれてしまった。

「それにしても、これだけ長々と無駄話を聞かされて、収穫になるものは何一つとしてなかったな。まあ仕方ないだろう。お前の処遇については、これから皆で話し合う。決まり次第、騎士団の方から報告させてもらう。ああ、それから――……」

 やれやれと凝り固まった肩を揉み解しながら、椅子から立ち上がったアレクが、つい、とこちらに視線を向ける。思っていた以上に、真剣さを帯びた藍色の瞳に射抜かれるように見つめられ、すっかり気が抜けていた私はしゃきんと背筋を伸ばした。

「この世界ではあまり聞かない妙な言葉や、お前の生まれだとか家族などの話は、処遇が決まるまでは、俺以外の人間には話すな。いいか。これは命令だ」

『これは師団長様の命令なのです。逆らうことなんて絶対に許されないことなのですよ』と言っていたリリアの言葉を思い出して、息を呑む。
 どうして話してはいけないのか、その理由を聞きたかったけれど、そうすることは止めた。
 最低限必要な衣食住を用意してくれたのはアレクだ。
 しかもこの世界に関する知識を学ぶことまでを考えてくれていたのだ。
 感謝こそすれど、彼の計らいを土足で踏み躙るような真似だけは絶対にしてはいけない。

「はい、わかりました。誰にも言いません」

 アレクの下した命令を素直に聞き入れれば、アレクは少し安心したように、その表情を和らげる。

 この時、私はすっかり忘れていた。

 この世界に飛ばされるより少し前から時々見ていた、自分の名前を呼ぶ不思議な夢のことを。
 突然、巻き起こった桜吹雪の向こうに、人影のようなものが、すう、と動いたことや、夢の中で名前だけしか紡がなかった声が、助けを求める強い声に変わったことを。

 他に伝えなければいけない大切なことがあったのに、それらすべてを忘れて、私は最低限の衣食住を確保できたことに、ただただ安堵していた。

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