紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

トラブルに巻き込まれてしまったようです。

「ねえ、美緒。お使いを頼まれてくれないかな?」

 芳醇な香りの紅茶とはちみつ入りのパウンドケーキをたっぷりと堪能し、束の間の休息を終えて、書斎の掃除をしていた私は持っていた分厚い背表紙の本を棚に仕舞うと、日当たりのいい窓辺のソファーに腰をかけて、難しそうな本を片手に持ちながら、紅茶を啜っているレナードへと目を向けた。

「別に構わないけど、お使いって何?」
「アレクから借りていた本を急遽返さないといけなくなったんだけどさ、祈祷依頼が一件入っていて、閉門時間までに間に合いそうにないんだよね」
「ああ、そういうことね。お城に入れるのって夕方六時までだったっけ?」
「うん、そうだよ。他の通用門を利用すれば、時間外でも入れるんだけど、手続きがすごく面倒なうえに時間がかかるんだよね。本当は美緒を一人で行かせたくないけど、他に頼めそうな相手もいないし……」
「そういうことなら任せて! 私が代わりに届けてくるから!」
「本当に? ありがとう、美緒。すごく助かるよ!」

 どーんと胸を叩いてレナードの依頼を快く引き受ければ、レナードは銀色の瞳をきらきらと瞬かせると、嬉しそうに顔を綻ばせる。
 もふもふの子犬がしっぽを振って喜ぶさまを連想させる屈託のないその笑みに、やっぱりレナードはワンコ系だなあ、と癒されていたら、レナードはソファーから立ち上がると、机の引き出しから取り出した小さな袋を私の掌に乗せてくれた。

「城内に入るための通行許可証とお城までの簡易地図が入っているからよろしく頼むよ! それから小銅貨も何枚か入れておいたから、時間があれば、どこかでお茶でも飲んでから帰ってきていいからね」
「わーい! だったらメープル通りに新しくできたお店に寄ってみるわ! この前、買い物に出かけた時に見かけたんだけど、すっごく可愛らしいお店で甘ーい匂いが漂ってて気になってたんだよねえ。うふふ、楽しみー!」
「そうか、それはよかった。ゆっくり楽しんでおいで。ああ、それから路地裏には絶対に立ち入らないこと! これだけは必ず守って欲しいんだ。夕暮れ時は魔物の動きが活発になる時間帯だし、最近では街中にも魔物が現れる事もあるからさ。剣や魔法が使えるなら問題はないけど美緒は使えないだろ?」

 お使いを引き受けたご褒美とばかりに渡されたお駄賃に嬉々としていたら、魔物への注意を促しながら、両開きの大きな棚の中から小瓶を取り出すと、レナードは私の目の前に透明な液体が入った瓶を差し出した。

「……何、これ?」
「それは俺の魔法を封印した聖水だよ」
「聖水!? それってあれだよねっ! 魂を持たないアンデット系モンスターに対して、絶大なダメージを与えてくれる、低レベル駆け出し冒険者にとって、ものすごーくありがたいアイテムだよね!? 聖水ってさ、薬草の数十倍も高いから、冒険し始めの頃は買えないんだよねえ。でも聖水ががっぽり買えるくらい、お金が貯まる頃には、仲間の魔法使いが聖水と同じ効果を持つ魔法を覚えたりするから、結局、あんまり買わないアイテムなんだよねえ。売っても二束三文だし……ってあれ? レナード、なんだか表情がぎこちないけれど大丈夫?」
「え? ああ、うん。大丈夫だから気にしないで。確かにこの聖水には光属性の精霊であるウィスプの魔力が込められているけれど、魔物にダメージを与えられるほどの魔力はないんだ。せいぜい良くても魔物を追い払うくらいの効力しかないよ」
「え!? 待って! レナードって光属性の精霊と契約を結んでいるの!? 光属性の精霊って確か『魔法使い』に準ずる資格がないと契約ができないんじゃなかったっけ?」
「ああ、言ってなかったけど、魔術師免許は一応持っているんだよね。それで癒し系魔法を習得するのに、ウィスプの試練を受けたら合格しちゃってさ」
「ええ!? 高度魔法の試練ってものすごく難しいんでしょう? レナードってすごいんだね!」

 上位精霊が出す試練の突破率は確か10%未満だったはずだ。
 それを合格しちゃってさ、なんて、事なさげにさらりと軽く言い退けるなんてすごい! と初めて知ることとなったレナードの意外な一面に驚いて目を白黒させていたら、レナードは眉尻を下げて、ちょっと困ったような表情で苦く笑う。

「まあ、そうだね。魔法に限って言えば、アレクよりも強いかも知れないけどね。それよりもさっき魔物のことを注意したばかりなのに、そんなに嬉しそうに、はしゃがれたら、心配でおちおちお使いも頼めないんだけど?」
「あ、いやっ、もちろんっ、魔物が危険だってことも、十分認識してるから安心してっ、ね?」

 確かにちょっとはしゃぎすぎてしまったかなあ、と反省しつつ、せっかくもらったお駄賃を奪い返されてはならぬ! と慌てて取り繕えば、不意に伸びてきたレナードの指が、ついっ、と頬を撫でた。

「って、な……ななな何っ!?」
「俺の目が届かないところで大切なお姫様に何かあったら困るからね。万が一にでも、魔物に出くわしたら、必ずその瓶を割るんだよ。いいね?」

“お姫様”なんて単語をさらりと挟み込んで、レナードは真顔で忠告するけれど、不意打ちで頬に触れられてしまい、そのことで頭がいっぱいになってしまって、“お姫様”という単語の余韻に浸る余裕もなければ、彼の忠告をしっかりと頭に叩き込む余裕すらもない。
 今どき頬に触れられたくらいで心臓を跳ね上げて、ドキドキと胸を高鳴らせる女子なんぞ、天然記念物並みに珍しいのかもしれないが、如何せん、それなりに知識はあっても、恋愛経験はほぼ皆無なのだ。
 実践力が足りなさすぎて、たかが頬に触れられただけでも、心臓が爆発してしまいそうだ。

(い……いかん! これ以上、継続されたら確実に悶絶死してしまう!)

 身の危険を感じて、どうにかならないかと解決策を模索していたら、頬に触れていたレナードの指がゆっくりと離れてゆく。途端、かあーっ、と一気に顔が熱くなった。

「――――……っ!」

 レナードの指先の熱がまだ残る頬を押さえつつ、反射的に身を引く。
 その拍子に、ふいっ、と長い睫毛を上げたレナードと何気に目が合ってしまい、私はあっちむいてほい! を実践するがごとくの勢いで、あからさまに目を逸らしてしまった。

(うわっ、気まずっ!)

「と……ととと取りあえず行ってくるねっ!」

 透明な液体が入った瓶をレナードの手から奪い取り、アレクに返さなければならない本を小脇に抱え、逃げるように部屋から飛び出すと、ばたんっ、と背中でドアを閉じる。

(……って、何、意識してんだ、わたしっ!)

 一向に冷めやらない熱を振り切るように、頭をぶんぶんと振り回して雑念を追い払い、熱くなった頬を冷やそうと外に出れば、辺りはいつしか茜色に染まっていた。
 頬を撫でる涼しい風に居心地の良さを感じていたら、かーん、かーん、かーん、と夕刻を知らせる鐘が鳴り響く。
 午後四時を報せる鐘の音にのんびりとしている場合じゃなかったと思い出して、肩から下げていた布製の鞄の中に、アレクに渡す本を二冊と透明な液体が入った瓶を入れ、レナードから渡された小さな袋を開いて、中から地図を取りだす。

(あ……お城の通行許可証って失くしたら大変だよね。落とさないように鞄の中に入れとこう)

 通行許可証を袋ごと鞄の中に放り込み、くるんと小さく丸まった紙を指の先で押し広げると、私は小さな地図をしげしげと眺めやった。
 レナードの仕事場の拠点である教会および私が身を寄せている孤児院は、商業施設のほとんどが集まる“商業地区”と呼ばれる区域の片隅にあり、教会からお城に向かうには、一旦、大通りに出なければならない。
 商業地区は碁盤目にきちんと整備されているので、大通りまでたどり着ければ、そこから先はどのルートを使っても、お城までは簡単に行けるのだが、小高い丘の上に建つお城までは馬車を走らせても、城下町からだと軽くニ十分はかかってしまう。
 それを歩いていくとなれば、どんなに早く歩いても、小一時間はかかるだろう。

(ええっと、今いるのがこの辺りだから、お城へ行く最短のルートは、と……)

 閉門時間までには十分間に合いそうだが、実際、お城へ出向くのは初めてのことだし、途中で迷子になる可能性も考慮して、最短ルートを探るべく、自分がいるであろう場所にポイントを置く。
 そこからお城までのルートを指で追いつつ、方向を定めようと、地図を見ながら身体をくるりと動かして、その直後、どんっ! と身体に強い衝撃を受けたかと思えば、ぶつり、と繊維質が千切れるような鈍い音を鼓膜が拾い上げた。
 何の音だろう、と気にしつつも、ふと前方に目を向ければ、お尻をぶつけた少年が、石畳の上に引っ繰り返っている。
 地図に気を取られていて、前方不注意だった自分が悪いと思って、私は慌てて少年の傍に近寄った。

「ごめんね、大丈夫?」

 尻餅をついたきり、一向に起き上がらない少年のことが心配になって、彼を起こそうと手を差し伸べた途端、ぱしんっ! と乾いた音が響く。

(――――……え?)

 一瞬、何が起きたのか分からず、ぱちくりと目を瞬かせる。
 手の甲にじんとした痛みを感じて、それでようやく手を叩かれた事に気がついた。

(も……もしかして拒絶された?)

 薄っすらと赤みが差す手の甲に視線を落としたまま、呆然としていたら、彼は自力で起き上がると、石畳の上に落ちていた茶色の格子柄のハンチング帽を拾い上げ、表面についた埃を払って、帽子を被り直す。
 目深に帽子を被っているせいで表情はよく見えないけれど、背格好からして十歳前後だと思われる彼は、継ぎ()ぎだらけの煤汚れた上着を羽織っていて、見るからに貧相な身形をしている。

「――……って、ぼうっと突っ立ってんじゃねえよっ!」

 怪我をしていたら、家まで送り届けてあげないといけないよね、と思いつつ、どこの子なんだろう、と彼のことを観察していたら、おおよそ少年らしくない暴言を吐き捨てられた挙句、ギロリと鋭い眼差しまで投げつけられ、私はおっかなびっくり彼の顔を見返した。

(確かにぼうっとしていた私が100%悪いと思うけど、何もそんなに邪険になんなくてもいいんじゃないの?)

 とそんなことを思ったものの、今回ばかりは完全によそ見をしていた自分の落ち度だ。
 少年の迫力にすっかり気圧され、返す言葉もなく、すみません、と無条件で、ぺこり、と頭を下げた私は肩から下げていた鞄が、石畳の上に転げ落ちていることにふと気づいた。
 どうやらぶつかった拍子に肩ひもが千切れてしまったらしい。

(さっきの奇妙な音はひもが千切れた音だったのか。でもあんなに分厚い布で仕立てたひもがそんなに簡単に千切れるものなの? うーん、なんだかしっくりこないなあ……)

 疑問に思いつつも、縫い目が(ほつ)れて緩んでいたのだろう、と無理やりに思うことにして、胸に引っかかる奇妙な違和感を払拭しつつ、アレクに渡す本やら通行許可証が入った鞄を拾おうとして次の瞬間、私よりも素早く動いた少年が落ちていた鞄を引っ掴んだかと思えば、彼は雑踏に紛れるように走り出した。

(――――……え?)

 突然のことに何が起きたのか、すぐには理解できず、しばしの間、呆然と石畳を見下ろしていた私は事の重大さに、はっ、と我に返ると、鞄を奪って逃げた少年の背中を追いかけた。
 ああ、そうだ。思い出した。

『この辺りは物盗りが多いから用心しなきゃダメよ』

 一緒に買い物に出かけた時に、子供たちがそんなことを言っていたことを。
 レナードから魔物が出没するかもって言われてたから、すっかり失念していたけど、彼は物盗り(スリ)だったんだわ! ああ、子供だからってすっかり油断してた!
 あれほど分厚い肩ひもが千切れるなんて可笑しいと思ったけど、ぶつかった時にナイフかなにかで切られたんだわ、きっと!

「ちょっと待ちなさい! こらっ! 待ちなさいってば!」
「ちっ、大声出してんじゃねえよ! あんなところで、ぼうっと突っ立ってるお前が悪いんだろ!」

 自分のやった悪行などは棚に上げ、少年はとんでもない悪態を衝く。
 混雑する人混みを両手で掻き分け、大声で叫びながら、少年の背中を追いかける私と、その私から逃げる少年の追いかけっこに、通りを歩いていた人たちが、何が起きたのかと騒ぎ出す。

「……って大声を出させるような事をしたのはあんたの方でしょっ! ってか、その鞄を返しなさいよ!」
「うるせーな! 返せと言われて盗んだものを大人しく返す盗賊がいると思ってんのか!? ってかマジでしつこいぞ! いい加減諦めろよ!」

 自称・盗賊を名乗った彼は、自分が盗みを叩いたとほのめかしながらも、騒然とする取り巻きを蹴散らして、お城とは真逆の方へ走ってゆく。

 くそ――っ! 盗賊だか何だか知らないけれど、こうなったら、なにがなんでも、とっ掴まえてやるんだから! 孤児院で悪童三人衆を毎日追いかけ回している女子高生の脚力をなめんなよ!

 言いたい放題好き勝手に罵詈雑言を浴びせかける少年の態度に、堪忍袋の尾がぶち切れた私は腕捲りをすると、エンジン全開全力疾走で少年の後を追う。
 あと少しで手が届きそう、というところまで、追い詰めたところで前を走っていた少年が、いきなり回れ右をしたかと思えば、暗くなり始めた路地裏へ、するり、と逃げこむ。

『路地裏には絶対に立ち入らないこと! これだけは必ず守って欲しいんだ』

 お使いを頼まれたとき、レナードに強く言われた言葉が、一瞬、頭の中を掠める。

(でもあの鞄の中にはアレクに返さないといけない本と通行許可証が入っているし)

 迷っている間に少年の背中はどんどん遠ざかってゆく。

(今回はよそ見をしていた自分が100%悪い)

 そう思った私は迷う気持ちをかなぐり捨てると、小さくなりつつある少年の背中を追いかけ、路地裏へと飛び込んだ。

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