紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

弱っているときにそんな風に接するのはズルくないですか?

 喉の奥が張りつくようなひどい渇きを感じて、ふうっと瞼を持ち上げた私が、一番最初に視界に捉えたのは、真っ白い天井だった。

(――……って、ここ、どこ?)

 目だけを動かして見上げていた天井から周辺へと視線を移動させたものの、見覚えがない。

「気がついたか?」

 すぐ傍で響いた声に目を向ければ、椅子から立ち上がったアレクが、上半身を屈めて顔を覗き込む。

「気分はどうだ?」
「……喉、渇いた」
「そうか、少し待っていろ」

 喉の渇きを訴えた私にそう言い残して、アレクはベッドから離れると、二間続きの隣の部屋へ入ってゆく。
 一人残された私はベッドに身体を預けたまま、窓から見える空を見上げた。

(――……もう夜なんだ)

 真っ赤に輝く大きくてまあるい月が、無数の星が瞬く銀色の空に浮かんでいるのを見上げながら、そんな事をぼんやりと考えていたら、おい、とアレクに声をかけられた。

「起きれそうか?」

 アレクらしい端的な問いに小さく頷けば、片手に持っていたグラスをテーブルに置いて、私の背中に腕を回すと、アレクはゆっくりと身体を起こしてくれた。

「ほら、飲めよ」
「……うん」

 テーブルの上のグラスを手に取って、アレクは押しつけるように、グラスを差し出す。
 表面に水滴を含んだグラスを手に持つと、指先にひんやりとした感触が伝わって心地よく、グラスの縁に唇をつけた私は、グラスの中の水を一気に飲み干した。
 冷たい水の感触が、渇き切った咽喉に、すっと溶け込んでゆく。
 幾分か気分が落ち着いて、私はグラスから唇を離すと、深く息を吐いた。

「……ここは?」
「騎士団寄宿舎内にある俺の部屋」
「……そう、」

 さっきからずっと気になっていたことを切り出せば、アレクは素っ気なく返す。
 もう少しツッコんで色々と聞いてみたかったけど、やめた。
 お互いに聞きたいことや、知りたいことがあったから、最初の方こそ、交わす会話の量はそれなりに多かったけれど、回数を重ねれば重ねるほどに、彼と交わす会話の量はどんどん減ってゆき、ある程度の情報を知り得てからは、今みたいな端的な会話しかほとんどしていない。
 話しかければ、それなりにきちんと返してくれるし、質問を投げかければ、こちらが思っている以上に丁寧に答えてくれるから、決して寡黙ではないのだと思うけれど、アレクは必要以上には聞いてこないし、必要以上に話すこともない。
 逆に必要であれば、こっちがびっくりするくらい、饒舌になることもあるのだけれど。

(……助けてもらったお礼を言いたいんだけどなあ)

 そう思いつつも、話し出すタイミングが掴めず、空になったグラスに視線を落とす。

「それにしても、よく気を失うヤツだな」

 自分の方から声をかけるのは、なんだか気が引けて、掌でグラスを転がして沈黙を(もてあそ)んでいたら、そんなことを言って、アレクは苦笑いを溢す。

「そんなに気を失ってるつもりはないんだけどなあ。あ、そうだ。助けてくれてありがとう」
「っていうか、剣も魔法も使えないくせに無茶しすぎだ。無鉄砲にも程がある。お前は猪突猛進のイノシシか」
「だ……だって、ああいう状況だったんだもん。仕方ないでしょ」
「仕方がないとか、どの口が言うんだ? 街中巡回をしていたところに、近隣の住民や店主から物盗りが現れて大騒ぎになっている、と多数報告が入ったから、駆けつけてみれば、あのような事態だ。大事には至らなかったが、あと少しでも報告が遅れていたら、確実に魔物の餌になっていたんだぞ。少しは反省しろ」
「その件については深く反省してますってば~、師団長殿」
「嘘を吐け! お前のその口調は、絶対に反省してないだろ!」
「……あぐうぅううううう」

 なかなかタイミングが掴めず、言い出せなかった言葉を口にすれば、アレクは呆れたように溜め息を吐く。
 超絶に美形なその表情が、わずかに歪んだことに気づき、あれ雲行きがおかしいぞ、と警戒していたら、案の定、たっぷりと毒を含んだお説教を喰らわされた。
 最後の最後に、ぴしゃり、と落ちてきた雷に止めを刺され、きゃいんきゃいんと尻尾を巻きつつ、自称・盗賊を名乗っていた少年のことをふと思い出して、私はなんとなしに、彼のことを聞いてみることにした。

「ねえねえ、アレク。エイリアンもどきに襲われたときに、一緒にいたあの子はどうしたの?」
「ああ、あいつなら窃盗の罪で地下牢に投獄している」
「うわあ、あんな年端もいかない子供を牢屋にぶち込むなんて、なかなかエグイことをするのね」
「年端のいかない子供だろうが罪を犯したことに変わりはないからな。それ相応の罰を受けて当然だろう」
「確かにまあそうだけど、物盗りが多いことを忘れて、ぼうっと突っ立ってた私の不注意が招いた結果でもあるし、それになんていうか、食べるのもままならず、致し方なく……っていう人には言われえぬ、深い事情があったかも知れないじゃない?」
「事情があったからといって罪を犯していい訳じゃないだろ? 貧困に苦しむ民はどこの国にも大勢いる。どんなに苛酷な環境にあっても、全うに生きている人間は幾らでもいるんだ」

 少年の着ていた服が継ぎ接ぎだらけだったことを思い出して、それとはなしに少年を庇護するような発言をすれば、反論する余地さえも与えないほどの完璧な答えを返され、私は口を噤んだ。

「バカだな、被害に遭ったのは、お前だろ?」
「まあ、そうなんだけど……」
「……っていうか、以前から思っていたが、お前は考え方が少し甘い。元いた国がどれほど安全で平和な国だったか知らないが、セラフィリアはお前が思っているほど安全ではない。それを意識して、もう少し警戒心を持て」

 あの少年を助けたい特別な理由があるわけじゃない。
 ただなんとなく事の顛末に後味の悪さを覚えて、もやもやとした気持ちでいた私は、あまりにも的を得すぎているアレクのその忠告に、ぎゅっと唇を強く噛み締めた。
 責め立てるような厳しい口調ではないけれど、告げられた言葉の一つ一つが、胸に突き刺さって痛い。
 もちろんアレクは私のためだと思って言ってくれたのだろう。
 けれどアレクが口にしたそれは、ここは日本じゃないんだっていうことと、どんなに願ってももう日本には戻れないんだっていう、二つの現実を改めて突きつけているかように聞こえて、私はどうしようもなく落ち込んでしまった。

 セラフィリアに飛ばされてから、かれこれ一か月以上。
 日本に戻れないのなら、孤児院で子供たちと一緒に余生を過ごしてもいいかもしれないなあ、なんてことを考えたりもしたけれど、本音を溢せば、今だって日本に帰りたくて帰りたくて仕方がない。
 でもいつになれば帰れるのか確証もなければ、何をどうすれば戻れるのかその方法すらも分からない。
 それどころか下手すれば、一生、この世界で生きていかなければいけないかもしれないのだ。
 戻れるかどうかさえ危うい状況の中、日本にいる家族や友達のことを思い出せば泣いてしまうから、目も回りそうなくらい忙しい孤児院での生活に身を任せて、自分が日本からきたことさえも思い出さないよう、自分なりに防衛線を張っていたのに。

「――……帰りたい、」

 無意識のうちに、ぽろり、と本音が漏れて、目頭が、じん、と痛くなる。
 物盗りの憂き目に遭ったり、エイリアンもどきに襲われたり、今日は厄日かと思うほどの災難に遭って、きっと心が弱り切っていたのだろう。

「――……っ、日本に、帰りたいようぅ、」

 ずっと我慢していた気持ちが、堰を切って、涙と一緒に、ぼろぼろ、と一気に溢れ出す。
 十八にもなって子供みたいに泣くなんてカッコ悪いと思うものの、決壊してしまった涙腺を制御するのは難しく、涙は一向に収まりそうにもない。
 一度ならまだしも、二度までも、アレクの前で大泣きするなんて、と思いつつ、涙を見られたくない一心で俯こうとして、それよりも一瞬早く、腕を掴まれたかと思ったら、そのまんま、ぐいっと、腕を強く引っ張られ、私は抵抗する間もなく、ぼすり、と鼻からアレクの胸元に突っ込んでいた。
 ふわり、と柔らかな香りが身体を包み込む。

「お前の気持ちを無視して、ついキツく当たってしまった。俺が悪かった。だから泣かないでくれ」

 いったい何がどうなっているのか、状況を飲み込めないでいたら、ひどく困惑したような声音でそんなことを言うと、はあ、と息を吐いて、アレクは泣き止まない子供をあやすように、頭と背中を優しく撫でてくれる。
 ……って何それ。
 さんざん毒を吐きまくってたくせに、掌返したみたく、今度はこんな風に優しくするとか、まじでありえないんだけど。っていうか、それ以前、泣くなとか言うんだったら、そんな風に優しくしないでよ。
 心が弱ってる時にそんな風にされたら――……

(全く以って逆効果なんだからああああああああ!!)

 心の中でそんなことを叫びつつ、背中と頭を撫でてくれるその感覚があまりに優しくて、結局、アレクの着ているシャツが、私の涙と鼻水をたっぷりと吸収して、ぐちょんぐちょんになるまで、私はずうっと泣き続けたのであった。

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