紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

異世界でUMA(未確認生物)と遭遇しちゃいました!

 出かける準備を済ませ、レナードに連れられ、辿り着いたのは、街外れに建つ大きなお屋敷だった。

 三階建ての孤児院よりも、さらに大きな佇まいのお屋敷の前には、手入れの行き届いた庭が広がり、咲き誇る大輪の花と薄く色づいた蕾に彩られた薔薇のアーチが、玄関口へと繋がる小径を飾り立て、辺り一面が濃密な芳香を放つ薔薇の甘い香りに包まれている。
 可憐な薔薇のアーチの前には、看板と思しきものが置かれ、つらつらと書き連ねられた文字――……というよりは、絵に近いそれらの下には、落書きのようなイラストが添えられている。
 文字の羅列よりも、そちらの方が気になり、私は看板に描かれた絵を、じいっと見据えた。
 背中に翼らしきものを持つ蜥蜴(とかげ)のような生き物が、後ろ足で立ち上がっているイラストは、お世辞にも上手いとは言えない。

(う――ん……何だろうなあ、これ)

 看板を見据えつつ、あれこれと考えてみたものの、ある意味、芸術的に下手すぎるイラストを何度見たところで、それが何なのか、皆目見当がつかない。

「ねえ、ここって、何のお店なの?」
「それは中に入ればわかるよ」

 薔薇のアーチを潜り抜けて、先に進もうとしたレナードの袖を掴んで引き止め、看板のイラストを指差して聞いてみたものの、意味深な笑みを浮べるだけで、私の投げかけた質問に対して、明確な答えを提示しないまま、レナードは、ほら行くよ、と言って、背中を、ぐいっと押す。

(……何だか怪しいなあ)

 レナードの態度が怪しければ、看板に描かれたヘンテコな生き物の絵も怪しい。
 本能的に危険な香りを感じて、中に入るのを渋がったものの、レナードは、いいから、いいから、の一点張りで、こちらの意見になど、まったく耳を傾けてくれない。
 半ば強引に押し切られる形で、屋敷の大きな玄関の扉を開けば、からんころん、と涼しげな鈴の音が鳴り響いた。

「あー、ちょっと待っておくれ!」

 鈴の音が鳴り止まないうちから、カウンターの奥から店主が発したと思しき、大きな声が飛んでくる。
 姿の見えない店主の声に、はあーい、と返しつつ、私は広い店内を、ぐうるり、と見回した。

 見上げた先には視界を遮る天井はなく、頭のずうっとずっと上の方に、大きな屋根を支える骨組みの太い柱が何本か立っているのが見える。
 三階もしくは四階建てだとばかり思っていたが、どうやら、とんでもなくどデカい平屋建てのようだ。
 屋根まで吹き抜けた空間は開放感に溢れているが、四方は高い壁に囲まれていて、訪れた客を迎え入れる店舗スペースは、外から見た建物の大きさからすれば、ずいぶんと狭いように感じる。
 実際、店内にあるのは受付カウンターと、その後ろに顧客簿と思しきものが、ずらり、と並ぶ棚が一つ備え付けられているだけで、それ以外に商品らしい商品なんてものは一切見当たらない。

(――……って、お店じゃないのかなあ?)

 あまりにも簡素な造りの店内を見回しつつ、そんなことを思っていたら、カウンターの後ろのドアが、ぎいっ、と軋んだ音を立てて開き、その向こう側から満月みたく、まあるい顔をした小太り……否、少しばかり豊満な身体つきをしたおばさんが、ひょこり、と顔を覗かせた。

「いらっしゃい、待たせたね! おや? あんたはノヴェム教会の坊ちゃんじゃないかい! 坊ちゃんがうちを訪ねてくるなんて珍しいねえ? 今日はどうしたんだい?」

 どうやらレナードとは顔見知りらしい。
 豪快な声で出迎えの挨拶をしたおばさんはレナードの顔を見て、銀歯が刺さった前歯を覗かせて、にかりっ、と愛想よく笑う。

「久しぶりだね、エレーヌさん。それより俺ももう二十歳になったんだし、坊ちゃんって呼ぶのは、そろそろ止めて欲しいんだけどなあ」
「なにを言ってるんだい! おばさんからすれば、何歳になろうが、あんたはいつまで経っても、ノヴェム教会の坊ちゃんに変わりはないよ!」
「うーん、そう言われると困るんだけどなあ。それはそうと厩舎の方に行ってもいいかな?」
「ああ、もちろん、構わないよ……とその前にお待ち! あんたの隣にいる可愛らしいお嬢さんは誰なんだい? 見かけない顔だけど、もしかして彼女でも連れてきたのかい?」
「うん、まあ、そんなところかな」
「……って、ち、違います! 彼女なんかじゃ……」
「んまああああああああああああ! あんた、いつの間にこんなに可愛らしいお嬢さんと良い仲になったんだい!? どういう経緯でお嬢さんと知り合ったのか、これはじっくりと話を聞かせてもらわないといけないわね!」

 エレーヌさんの口から洩れた『彼女』発言を否定するどころか、認めるような発言をかましたレナードに驚いて、違いますうぅうううう! と即座に言い募ったものの、私の声はその直後に響き渡ったエレーヌさんの甲高い声に掻き消されてしまった。

「ちょっとレナード! エレーヌさんが変な誤解をしちゃったじゃない!」
「まあまあ、いいから、いいから。エレーヌさん、今から急いでハイゼンティアに向かわないといけないんだ。彼女のことはまた後日改めてゆっくり話すよ。ほら、美緒、行こう」

 ふっくらとした頬を紅潮させて、ひどく興奮するエレーヌさんの誤解を解くでもなく、寧ろ、思わせぶりな台詞を、さらり、と口にすると、レナードは手慣れた様子で、カウンターの左半分を折り畳み、金魚みたいに口をパクパクさせて絶句している私の手を引いて、今しがたエレーヌさんが出てきたドアの向こうへ私を連れてゆく。

「……って、ちょ、レナード!」

 控えめなワンコ系男子だとばかり思っていたのに、いつもとは様子が違う強引な一面を見せつけられ、そのギャップの差に戸惑いながらも、何で誤解を招く発言ばかりするのよ! と彼の言動を問い詰めようとして、ずぅうううぅん、と地面を揺るがす重低音とともに、足元の地面が、ぐらぐらと波打った。
 地震でも起きたのかと思って、目の前に立つレナードの胸元にしがみつきながら、辺りを見回して、その直後、私は自分の視界が捉えたあり得ない光景に、ぴきり、と固まってしまった。

 …………って、今のなに?

 天窓が開け放たれているのだろうか。
 眩いばかりの明るい陽射しが、頭上から燦々と降り注ぎ、赤土が剥き出しになった地面に、自分の影が長く伸びる。
 地面に伸びる影を見下ろしつつ、ついさきほど自分が見てしまったものは、きっと見間違いだったんだわ! と思って、ごしごしと目を擦っていたら、またしても、ずぅうううぅん、と響く重低音が腹の底を震わせた。
 と、ぐらぐらと波打つ地面に伸びた自分の影の上を、とてつもなく大きな影が通り過ぎてゆく。

 ………………いや、だから、あれはなに?

 地面に映った巨大な影を一頻り眺め、息を押し殺したまま、私は目の前を横切る影をゆっくりと見上げた。
 そうなのだ。
 今、目の前を横切っているそれは首が痛くなるほど見上げなければ、その全容を見れないくらいに大きく……いや、大きいなんて形容詞が通用するような生易しい代物ではない。
 二本足で立つそれは軽く見積もっても、五~六メートルはあるんじゃなかろうか? と思えるほど巨大な体躯を持っているのだ。

 見るからにごつごつとした硬そうな皮膚は鱗のようなものにびっしりと覆われ、その背中には嫌でも目につく、大きな翼が広がっているのだが、それは鳥みたく羽毛に覆われた柔らかいものではなく、どちらかといえば、蝙蝠(こうもり)が持つ羽と良く似た形をしている。
 だがしかしその大きさは蝙蝠のそれとは比べ物にならないほど大きいのだ。
 そうして滑り台のような曲線を描きながら、下に(くだ)る背中を目で追えば、その終点付近で蜥蜴(とかげ)のそれを巨大化させたような太くて大きな尻尾が目につく。
 左右に揺れる巨大な尻尾が地面を打つたび、もわんっ、と土埃が宙に舞い、大きな鼻の孔から息が吐き出されようものなら、その風圧で髪がふわりと靡く。
 巨大な体躯を支える後ろ脚は木の幹ほども太く、その先に伸びる鋭く尖った四本の(かぎ)爪を地面に食い込ませ、二本脚で立つその姿ときたら、看板に描かれていたイラストと瓜二つではないか!

(とんでもなく下手くそな絵だと思ってたけど、意外と忠実に描かれたものだったのねえええええ!)

 芸術的なまでに下手くそな絵だなんて思ってすみませんでしたあああ! と看板に絵を描いたであろうどこぞの巨匠に心の中で土下座しつつ、息を押し殺して目の前のそれをじっくりと観察していたらば、爛々と光る金色の瞳と視線が、がっつりと合ってしまった。
 ぐううぅうううぅう、と低い唸り声を上げ――実際はきゅるるるるる、と可愛らしい声を出していたそうだが、そのときの私に声を聴き分けられるほどの余裕なんてあるはずもなく、かぱあっ、と大きく開いた口から覗く太くて鋭い牙から、ぽたり、と粘り気を含んだ唾液が滴り落ちるのを見てしまい。

「ひ……ひぎゃああああああああああああああああっ!!!!」

 天にも轟く大悲鳴を上げると、無我夢中で回れ右をし、巨大なそれに背を向けると、私はさきほど入ってきたばかりのドアを目掛け、全力で逃げ出していた。
 これ以上ないくらい、足と腕を振り切って猛ダッシュをし、ドアまであともう少しというところで、弾力性のある柔らかいなにかに顔から突っ込み、ばいんっ、と跳ね返され、私はお尻から地面の上へと引っ繰り返っていた。

「い……いたたたたたっ、」
「おやおや、随分と慌ててどうしたんだい? ……というか、今さっき聞こえた絹を裂くような大きな悲鳴はお嬢ちゃんが上げたのかい?」

 しこたまぶつけたお尻と鼻の先を擦っていたら、エレーヌさんの暢気な声が響く。
 恐る恐る見上げれば、エレーヌさんが目を丸くして、こちらを見下ろしていた。
 どうやら、エレーヌさんの豊満な身体にぶち当たって跳ね飛ばされたらしい。

「きっ、ききききききき、きょっ、恐竜があぁああぁあああっ!!」
「キョウリュウ?? ……っていったい何のことだい?」
「ああああああれです! あの巨大な化け物のことですぅううう!!」

 巨大な体躯を持つそれの固有名詞が分からず、一番近いであろう姿をした恐竜という単語を口にしたのだが、どうやらこの世界には存在していない単語のようだ。
 完全に腰砕けになってしまい、立ち上がれず、へなり、と地面に座り込んだまま、エレーヌさんの逞しい太腿に、がばりっ! と、しがみつき、自分の背後を指差して、わあわあと騒ぎ立てれば、エレーヌさんは豊満な身体をゆっさゆさと揺らしながら、あーはっはっはと天を仰いで笑う。

「って、わ……笑い事じゃないです! あの化け物はいったい何なんですかっ!?」

 目の縁に涙を溜めながら大声で喚き散らせば、天を仰いで豪快に笑い飛ばしていたエレーヌさんは笑うのを止めると、きょとんとした表情で、私の顔をじいっと覗き込んだ。

「お嬢ちゃんは翼竜を見るのは初めてなのかい?」
「よ……翼竜?」
「翼竜なんてそう珍しいものでもないんだけどねえ。もしかしてお嬢ちゃんは異世界から来たのかい? ……って、よく見てみたら、お嬢ちゃんの瞳は黒いじゃあないかい! まああああああ、珍しいもんだねえ! 噂には聞いたことがあるけれど、おばさん、黒い瞳を持つ人間に会うのは初めてだよ!」

 翡翠色のまんまるい瞳をこれ以上ないくらい大きく見開き、物珍しそうに顔を覗き込みながら、エレーヌさんはつい先日ジオルドが言ったことと、ほぼ変わらない台詞を口にする。
 背中の真後ろに感じる大きな翼竜の気配も怖いが、へええええ、と驚嘆の声を上げながら、今にもキスをしそうな勢いで、ぐいっ、と顔を近づけ、食い入るように、じいいいいっ、と顔を覗き込むエレーヌさんはもっと怖い。

 って、ち……ちかい、ちかい、ちかいいいぃいいいぃい――っ!!

 鼻息が吹きかかるくらい距離を詰めて、にじり寄るエレーヌさんに危機感を覚え、上半身を逸らせようとしたが、二の腕をがっちりと掴まれていて身動きが取れない。
 迫りくるエレーヌさんに戦々恐々としつつ、誰か助けてえええええー! と心の中で泣き叫んでいたら、レナードが後ろから両脇を抱えて、ひょいっ、と立たせてくれた。

「大丈夫か? 美緒」
「あ……ありが……うぎゃあああぁあああ――――っ!?!?」

 颯爽と助け出してくれたレナードにお礼を言おうとして、背後からぬうっと飛び出してきた紫色の大きくて長い舌が、べろりっ、と顔を舐め回す。
 ぬめぬめとした生暖かい舌が、顔を這いずり回るその感触に、ひいいいいと背中を震わせつつ、再び大絶叫を上げると、私は思わず、本当に思わず、目の前にいたレナードに、がばりっ、と勢いよく抱きついてしまった。

「怖がらなくても大丈夫だよ、美緒。こいつは“シルフドラゴン”っていう種で性格も温厚だし、人によく懐いて頭も賢いんだ。人を襲うようなことはしないから安心しなよ」

 怯えてしがみつく私をあやすように優しく背中を撫でながら、空いた方の腕を伸ばすと、レナードは目の前にいる恐竜……否、翼竜が突き出した鼻先にそっと触れる。
 触れられたことがよほど嬉しかったのか。
 くるるるるるっ、とその巨大な体躯からは想像もつかないくらい、可愛いらしい鳴き声を上げると、青い鱗に覆われた翼竜はレナードの頬に鼻先を擦りつけてきた。
 きゅうきゅうと鳴き声を上げて、甘えるその様子を見る限りでは、確かに人に危害を加えるようには見えない。
 でもだからと言って油断はできない。
 どれだけおとなしい種だと言われても、相手は鋭い牙を持つ魔物なのだ。
 気を緩めた隙に、ぱくりっ、と喰われなんかしたら、死んでも死に切れないほど、悔やむこととなるだろう。

「がたいは大きいけれど、根は優しくていい子たちばかりだよ。お嬢ちゃんに構って欲しくて、ついてきちゃったんだろうねえ。大丈夫だから触ってごらん?」

 レナードに抱きついたまま、一向に警戒心を緩めようとしない私の隣に立つと、エレーヌさんは満面に笑みを浮べ、そら恐ろしい力で、私の手首を、がしっ、と鷲掴みする。

「おばさんが手塩にかけて育てた子たちだから、怖くないよ? ほうら、触ってごらん?」

 弧を描く口許は笑っているのに、こちらを見つめるエレーヌさんの目は、全くと言っていいほど笑っていなくて、心臓が縮こまりそうなくらい恐ろしい。
 しかも二度目の「触ってごらん」発言の声は微かに震えていて、その声色はとても低く、何だか脅されているような気分だ。
 だがしかし触れと言われて、すぐに触れるほど、肝が据わっているわけでもなく、鬼気迫るエレーヌさんの迫力に慄きつつも、触ってなるものか、と必死に抵抗をしていたらば。

「エレーヌさんの言うとおり、少し触り慣れていた方がいいと思うよ。ハイゼンティアまで翼竜に乗って行くんだしね?」

 レナードが信じられないような一言を、ぼそり、と口にする。

「は……はい? 今、これに乗るとか言いました?」
「うん、言ったよ」

 耳を疑うようなレナードの発言が嘘であることを祈りつつ、青い鱗に覆われた翼竜を指差して聞き返せば、レナードは屈託のない笑みを溢すと、何のためらいもなく頷く。


 その数秒後。
 本日、三度目の大絶叫が辺りに木霊したのは言うまでもないだろう。
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