紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
酒場での情報収集はRPGの基本だってよく言うけれど、それにしても何だか様子がおかしくありませんか?
「急に立ち止まってどうしたの? 美緒」
「ねえ、レナード。もう一度聞くけど、ここって冒険者ギルドなんだよね?」
「うん、そうだよ。正確に言うと、今から行くのは冒険者ギルド内の酒場だけどね」
「あ、そう。じゃあ何の問題も――……って、うえええええっ!? 酒場っ!? いやいやいや! 私、未成年だから酒場とか入れないし!」
「うん? 何? その“ミセイネン”ってのは?」
何だか嫌な予感を覚えて釘刺しの意味も込めて再度確認してみれば、レナードは、しれっ、とした表情で、そんなことを宣う。
『酒場』なる単語を、あまりにも、さらり、と口にするものだから、思わず右から左へと聞き流しそうになって数秒後、レナードがとんでもないことを口走ったことに気づき、未成年だから無理ー! と入店を拒むなり、レナードは、きょとり、と首を傾げた。
どうやらセラフィリアには『未成年』という単語は存在していないらしい。
「ええっと未成年っていうのは成人――……つまり二十歳未満の男女の事で、日本では二十歳未満はお酒を飲んじゃいけないっていう法律――……じゃなくて、き、規則があるのっ! 私、まだ十八だし、酒場なんてとんでもない!」
「へええええ、そうなんだ。二十歳までお酒が飲めないなんて、ニホンって変な国なんだね。セラフィリアじゃあ、子供でも飲めるのに……」
異世界に飛ばされてまで、クソ真面目に日本の法律を引き合いに出すのもどうなのよ? と思いつつ、『未成年』とはこういうものであるというのを分かりやすく説明して、酒場に入れない理由を言い聞かせれば、レナードは意外なことを聞いたとでも言わんばかり、銀色の瞳を、ぱちくり、と不思議そうに瞬かせたが、私からすれば、子供でもお酒が飲めることの方が驚きだ。
(これが俗にいうカルチャーショックというヤツかー!)
ここが異世界だからとかそういうのは関係なく、あちらの世界でも、住む国が違えば、当然のことながら、文化や風習やルールは、それぞれの国によって、大きく異なる。
セラフィリアに飛ばされてから、かれこれ一か月半近くが経ち、こちらの世界での生活様式にも、だいぶと慣れてきてはいるが、長年培ってきた母国のそれらをあっさりと捨てられるほどには、まだ至ってはいない。
『郷に入っては郷に従え』ということわざがあるが、十八年間、日本人として生きてきた私にとっては、日本の文化、風習、ルールが全てなのだ。
「とにかく、だめなものはだめなの!」
「でもさ、よく考えてごらんよ。二十歳になるまで酒場そのものに立ち入り禁止ってわけではないんだろ? だったら中に入るくらいはいいんじゃないかな? お酒を飲みに来たわけじゃないんだしさ。と言うことで問題解決! さあ、行こう、美緒」
断固として中に入ることを拒否していたら、尤もな意見で以って切り返されてしまい、ぐうの音も出ず、私は、うぐっ、と声を詰まらせてしまった。
『酒場』という単語にばかり気を取られて失念していたが、言われてみれば、日本にいた時だって、あそこのお店の料理がすごく美味しいんだよね、と言って、近所で評判の居酒屋に家族で通っていたし、居酒屋でバイトをしている未成年者なんて、それこそいくらでもいるのだ。
冷静に考えてみたら、お酒さえ飲まなければ、確かに何の問題もなさそうだ、と妙に納得してしまい、レナードに背中を押されるまま、螺旋階段を下り切れば、そこは提供される料理とお酒を嗜む人たちでごった返していた。
酒場というだけのことはあって、壁際の陳列棚には色も形も大きさも違う瓶が、所狭しと並べ立てられていて、床には酒樽がいくつも積み重ねられている。
子供でもお酒を飲めるというのは本当のようで、店内に入ってすぐ横のテーブル席では、小学生くらいにしか見えないチビッ子が、淡い水色をしたお酒――もしかしたらジュースかもしれないけれど――が注がれた大きなジョッキを両手で抱え、ぐびぐびと美味しそうに呑んでいるではないか。
もしかしたら孤児院の子供たちも、夜な夜なお酒を飲んでいるのかもしれない、と考えて、くらり、と軽く眩暈を覚えつつ、レナードの背中を見失わないよう、店内の狭い通路を奥へと突き進む。
地下ということもあって、光を取り込むための窓は一切なく、店内はとても暗く、灯りらしいものと言えば、壁に取り付けられた燭台で、ゆらゆらと揺れる蝋燭と、各テーブルに置かれた小さな角灯くらいしかなく、少しでも気を緩めれば、テーブルの脚にひっかけて躓いてしまいそうだ。
冒険者ギルド内に設けられた酒場という特異性もあってのことだろう。
店内にいるそのほとんどが腕っぷしが強そうな大男ばかりで、バカでかいジョッキを片手に持ち、浴びるようにお酒を飲んでは、やんや、やんや、と騒ぎ立てていて、少し前を歩くレナードと会話をするのは最早不可能だ。
酒を浴びる大男たちの中には『WANTED!』と横文字で表記された指名手配犯のポスターが、いかにも似合いそうな眼つきの鋭い悪人面をした人も、ちらほらと見受けられ、ぶっちゃけ怖い。
そこにきて先ほどから嗅覚を刺激し続けるお酒の匂いに何だか気分が悪くなってきた。
(……外で待ってた方が良かったかも)
強いアルコールの匂いに何度も咽返りそうになりながら、あまりの気分の悪さに立ち止まっていたら、いつの間にやら、レナードの背中が見えなくなっている事に気がついた。
(って、嘘? もしかして、いやもしかしなくても、レナードとはぐれちゃった!?)
それほど広くないとはいえ、お昼の書き入れ時も重なって、店内は溢れんばかりの大勢のお客さんで賑わっていて、たとえそれが見知ったレナードであったとしても、この中から探し出すのは極めて難しそうだ。
声を張り上げて名前を呼ぶという古典的な方法も試みたが、あちらこちらで飛び交う大男たちのがなり立てる声に掻き消されてしまって、まったく以って、その行動は意味を為さない。
焦って辺りをキョロキョロと見回すも、レナードの姿はどこにも見当たらず、とりあえず闇雲に探し回るよりは店の外に出て待つのが正解だろう、と自分なりに答えを弾き出して、くるり、と方向転換をしようとして、その直後。
「あんた一人なんだろう? 俺と一緒に飲まないか?」
そんな声とともに、するり、と伸びてきた毛むくじゃらのごっつい手に、がしりっ、と腕を掴まれてしまった。
何が起きたのか瞬時には理解できず、掴まれた右腕を見遣りつつ、はたり、と固まって。
あれ? これってヤバくない???
……と鈍っていた思考が追いついた時にはすでに遅く、がたり、と音を立てて、椅子から立ち上がった大男に行く手を遮られ、壁際へと背中を追いやられていた。
なんとも危うげな状況に生温い汗が、背中を、つう、と伝い落ちてゆく。
ちろり、と遠慮がちに視線を向ければ、つるっつるの頭に悪趣味な刺青を入れた大男が、アルコールの匂いをぷんぷんとさせながら、分厚い唇の端を歪に曲げて、にやにやと下品な笑みを浮べているではないか。
何だかよく分からないうちに、とんでもなくヤバい状況に巻き込まれてしまったようだ。
許可もなく未成年の女子高生の腕を掴むなんて痴漢も同然の行為だぞ! 警察に通報してやる! と指を突きつけて言ってやろうかと思ったが、警察はおろか通報するための電話なぞ、異世界にあるはずもなく。
「い……いえ、私、お酒は飲めないので結構です。とりあえず痛いので、腕を離してもらえないでしょうか?」
「そんなつれないこと言わずにさあ。ほら、こっちに来いよ」
下手に刺激を与えて逆切れされても困ると思い、そこはかとなく、腕を離すよう、お願いしてみたが、相手は聞く耳など持ち合わせていないようだ。
懇願する私の声を完全に無視して、にたり、と薄っぺらい笑みを浮べたかと思ったら、つるっつる頭の大男は掴んでいた腕を、ぐいっ、と力任せに引っ張った。
さすがに身の危険を感じて、腕を掴む手を振り解こうとしたものの、つるっつる頭の力はありえないくらい強く、あっさりと腕を捻られてしまう。
あまりの痛さに、じわり、と目の縁に涙が浮かんできたが、ここで抵抗するのを諦めてしまえば、相手の思う壺に嵌るだけだ。
そう簡単に屈してなるものか、と思いつつ、腕を掴むつるっつる頭の指に、がぶりっ、と思いっきり噛みついてやったら、反撃に転じるとは思ってもいなかったのだろう。
小さな呻き声を上げて、それほど整ってもいない顔を歪めたつるっつる頭の力が少し緩む。
その一瞬の隙を突いて逃げ出そうとしたが、体勢を立て直したつるっつる頭に、すぐさま腕を捉えられてしまった。
「――……っ、や、離してっ!」
「おとなしそうな顔をしてるくせに意外と気が強えんだな。だが嫌がる女を無理やり服従させるってのも悪くないな。いやむしろ抵抗してくれた方が余興をより楽しめそうだ」
「……って最低っ! この悪趣味のド変態っっ!! ってか離してよ!」
「くっ、面白え。そうだなあ、まずはそのうるさい唇から塞ぐとするか。なあ? お嬢ちゃん」
蹴りをお見舞いしてやろうと思い、自由の利く足を振り回して、じたばたと抵抗したものの、繰り出した攻撃の全てを躱されてしまい、万策尽きて、絶体絶命の危機に陥った私を見下ろし、乾き切った唇に舌を這わせ、ぴちゃり、とわざと音を鳴らして、舌舐めずりをすると、つるっつる頭は嫌がる私の顎を乱暴に掴んだ。
ぎゃあああああッ! って顔を近づけんな! この酔っ払い!
ぐいっ、と顔を寄せてきたつるっつる頭に乙女の貞操の危機を感じて、周りにいる人に救いを求めるものの、いい意味でも悪い意味でも冒険者ギルドという場所は、報酬を伴わない依頼には食指すら動かないらしい。
大勢の人がいるというのに、遠巻きにこちらを見ているだけで、誰も助けようとはしてくれない。それどころか、面白い余興でも始まったとばかり、楽しんでいるかのような雰囲気だ。
「やだやだやだあああああ! ファーストキスの相手が悪趣味のド変態なつるっつる頭だなんて、そんなの絶対にやだあああああああ!!!!」
「――……っ、美緒っ!」
迫りくるつるっつる頭の顔面を押し返しながら、有りっ丈の声を振り絞って泣き喚いていたら、血相を変えたレナードが人集りを掻き分けて駆け寄ってきた。
「もう来るのが遅いようっ!」
「ごめん、美緒。この――……っ、美緒から手を離せ!」
「何だあ、貴様は? 怪我をしたくなかったら引っ込んでろ!」
颯爽――……とまではいかないにしろ、助けに来てくれたレナードに、ほっと胸を撫で下ろしていたら、突然、乱入してきたレナードを見遣り、つるっつる頭は声色を低くさせて凄む。
「ケンカはあまり得意じゃないんだけどなあ……」
そんなことをボヤきながら、果敢に立ち向かうものの、つるっつる頭の大きな手に振り払われ、レナードは勢いのまま、背中からテーブルに突っ込む。
がしゃ――んっ! とけたたましい音とともにテーブルが引っ繰り返り、お酒が入った瓶やらグラスやらが派手な音を立てて割れ、破片が辺りに飛び散る。
「レナードっ、大丈夫!?」
一発KO負けを喫したレナードに驚いて、慌てて声をかければ、レナードは後頭部を擦りながら上半身をむくりと起こす。
「――……ってえ。おい、美緒を離せよ」
どうやらガラス片で切ったらしい。
唇の端から流れる血を手の甲で拭いながら、普段の穏やかな表情からは想像もつかないほど、険しい眼差しを浮かべると、レナードは闘志の宿った瞳で、つるっつる頭を、ぎりっ、と見据えた。
レナードはまだやる気でいるらしいけれど、その実力の差は目に見えていて、草食系男子であるレナードが獰猛な牙を持つ肉食獣を相手に勝てるわけもなく。
「面白え――……ちょうど身体が鈍っていたところだ。少しは楽しませてくれるんだろうなあ? 勇敢なお坊ちゃんよお」
捻り上げていた私の腕を離すと、つるっつる頭は指をばきばき鳴らしながら、レナードの胸ぐらを鷲掴みすると腕を振り上げた。
「レナードっ!」
「待ちな! これ以上、あんたの好き勝手にはさせないよ!」
自分の声に被さるように、凛と澄んだ声が響いたかと思えば、ひゅっ、と空気を裂く音とともに鋭く光る何かが、つるっつる頭の角ばった頬を翳め、たんっ、と乾いた音を立てて、私のすぐ真横の壁に突き刺さる。
「っ……ぅ、」
小さな呻き声を漏らしたかと思えば、つるっつる頭は掴んでいたレナードの胸ぐらから手を離す。
何が起きたのか頭が追いつかず、目をぱちくりさせながら、つるっつる頭の方へと目を向ければ、ぱっかりと裂けた彼の頬から、ぱたぱたぱたっ、と鮮血が滴り落ちる。
古びた床を赤く染めてゆく血に、ひいっ、と慄きつつ、そろり、と壁に目を遣れば、鋭く尖ったナイフの刃が、ぐっさりと突き刺さっているではないか。
誰が投げたのだろうか、と思って、ナイフが飛んできた方を見てみれば、頭の天辺で一つに纏めたピンク色の長い髪を揺らし、仁王立ちしている女の人の姿が視界に映った。
(――……って誰?)
と疑問に思ったのも束の間、つるっつる頭は小さく肩を震わせると、血走った目を彼女に向けた。
「っ、このアマがあぁああああ! 嘗めた真似をしやがって!」
仁王立ちで見据えるピンク色の長い髪の彼女へと標的を変えたつるっつる頭はテーブルや椅子を蹴散らしながら、彼女に飛びかかろうとした。
「ふん、甘いわね」
今にも襲いかからんとするつるっつる頭に臆するでもなく、ぼそり、と小声でそんなことを呟いたかと思えば、彼女は胸元が大きく開いた真っ赤なドレスの裾を素早く捲り上げた。
露わとなった彼女の艶やかな太腿の付け根に装着されていたのは、艶めかしく黒光りするガーターベルト――……とベルトの間に仕込まれた小型のナイフがずらり!
映画に登場する女スパイのようなその出で立ちに唖然としていたら、太腿に仕込んだナイフを二本手に取り、指と指の間にナイフを器用に挟むと、彼女はすらっとした長い腕を真っ直ぐに伸ばし、お約束のごとく、びしっと決め台詞を言い放つ。
「このナイフが目に入らないのかいっ!」
と、まあここまで追い詰められたら、参りましたー! と土下座して謝るのが、映画ではよくあるパターンなのだけれど、頭に血が昇っている+酔った勢いのせいか。
「こ……このアマぁ…………っ!」
彼女の決め台詞を無視して、床を強く蹴り上げると、つるっつる頭は猛烈な勢いで、彼女の懐へ突っ込もうとした。
――……のだけれど。
「まったく学習能力がないわねえ」
呆れたような表情でそんなことを呟きながら、つるっつる頭が打ち放った捨て身の一撃を華麗な動きで躱すと、ピンク色の長い髪の彼女は指と指の間に挟み込んだナイフを放った。
ひゅっ、と風を切って放たれたナイフは寸分違わず、つるっつる頭の大きな体躯を捉える。
彼女が放ったナイフの一本が、つるっつる頭の右腕を翳め取り、もう一本は額のど真ん中に、さっくりと突き刺さった。
「う……うぎゃああああああ――――っ!!!!」
「き……きゃあああああああああ!!!!」
つるっつる頭の絶叫と私の悲鳴が交差する。
ナイフが刺さった額を押さえ、悶絶するつるっつる頭の額から、止め処なく溢れ出した血が、瞬く間に床を真っ赤に染めてゆく。
その様子をしっかりと目に焼きつけてしまい、目の前が真っ白になって、くらり、と身体をよろめかせた私の腕を、ピンク色の長い髪の彼女が、がっしりと掴む。
そして私にこう告げたのだ。
「気を失ってる場合じゃないよ。今のうちに逃げるよ!」
――――――と。
「ねえ、レナード。もう一度聞くけど、ここって冒険者ギルドなんだよね?」
「うん、そうだよ。正確に言うと、今から行くのは冒険者ギルド内の酒場だけどね」
「あ、そう。じゃあ何の問題も――……って、うえええええっ!? 酒場っ!? いやいやいや! 私、未成年だから酒場とか入れないし!」
「うん? 何? その“ミセイネン”ってのは?」
何だか嫌な予感を覚えて釘刺しの意味も込めて再度確認してみれば、レナードは、しれっ、とした表情で、そんなことを宣う。
『酒場』なる単語を、あまりにも、さらり、と口にするものだから、思わず右から左へと聞き流しそうになって数秒後、レナードがとんでもないことを口走ったことに気づき、未成年だから無理ー! と入店を拒むなり、レナードは、きょとり、と首を傾げた。
どうやらセラフィリアには『未成年』という単語は存在していないらしい。
「ええっと未成年っていうのは成人――……つまり二十歳未満の男女の事で、日本では二十歳未満はお酒を飲んじゃいけないっていう法律――……じゃなくて、き、規則があるのっ! 私、まだ十八だし、酒場なんてとんでもない!」
「へええええ、そうなんだ。二十歳までお酒が飲めないなんて、ニホンって変な国なんだね。セラフィリアじゃあ、子供でも飲めるのに……」
異世界に飛ばされてまで、クソ真面目に日本の法律を引き合いに出すのもどうなのよ? と思いつつ、『未成年』とはこういうものであるというのを分かりやすく説明して、酒場に入れない理由を言い聞かせれば、レナードは意外なことを聞いたとでも言わんばかり、銀色の瞳を、ぱちくり、と不思議そうに瞬かせたが、私からすれば、子供でもお酒が飲めることの方が驚きだ。
(これが俗にいうカルチャーショックというヤツかー!)
ここが異世界だからとかそういうのは関係なく、あちらの世界でも、住む国が違えば、当然のことながら、文化や風習やルールは、それぞれの国によって、大きく異なる。
セラフィリアに飛ばされてから、かれこれ一か月半近くが経ち、こちらの世界での生活様式にも、だいぶと慣れてきてはいるが、長年培ってきた母国のそれらをあっさりと捨てられるほどには、まだ至ってはいない。
『郷に入っては郷に従え』ということわざがあるが、十八年間、日本人として生きてきた私にとっては、日本の文化、風習、ルールが全てなのだ。
「とにかく、だめなものはだめなの!」
「でもさ、よく考えてごらんよ。二十歳になるまで酒場そのものに立ち入り禁止ってわけではないんだろ? だったら中に入るくらいはいいんじゃないかな? お酒を飲みに来たわけじゃないんだしさ。と言うことで問題解決! さあ、行こう、美緒」
断固として中に入ることを拒否していたら、尤もな意見で以って切り返されてしまい、ぐうの音も出ず、私は、うぐっ、と声を詰まらせてしまった。
『酒場』という単語にばかり気を取られて失念していたが、言われてみれば、日本にいた時だって、あそこのお店の料理がすごく美味しいんだよね、と言って、近所で評判の居酒屋に家族で通っていたし、居酒屋でバイトをしている未成年者なんて、それこそいくらでもいるのだ。
冷静に考えてみたら、お酒さえ飲まなければ、確かに何の問題もなさそうだ、と妙に納得してしまい、レナードに背中を押されるまま、螺旋階段を下り切れば、そこは提供される料理とお酒を嗜む人たちでごった返していた。
酒場というだけのことはあって、壁際の陳列棚には色も形も大きさも違う瓶が、所狭しと並べ立てられていて、床には酒樽がいくつも積み重ねられている。
子供でもお酒を飲めるというのは本当のようで、店内に入ってすぐ横のテーブル席では、小学生くらいにしか見えないチビッ子が、淡い水色をしたお酒――もしかしたらジュースかもしれないけれど――が注がれた大きなジョッキを両手で抱え、ぐびぐびと美味しそうに呑んでいるではないか。
もしかしたら孤児院の子供たちも、夜な夜なお酒を飲んでいるのかもしれない、と考えて、くらり、と軽く眩暈を覚えつつ、レナードの背中を見失わないよう、店内の狭い通路を奥へと突き進む。
地下ということもあって、光を取り込むための窓は一切なく、店内はとても暗く、灯りらしいものと言えば、壁に取り付けられた燭台で、ゆらゆらと揺れる蝋燭と、各テーブルに置かれた小さな角灯くらいしかなく、少しでも気を緩めれば、テーブルの脚にひっかけて躓いてしまいそうだ。
冒険者ギルド内に設けられた酒場という特異性もあってのことだろう。
店内にいるそのほとんどが腕っぷしが強そうな大男ばかりで、バカでかいジョッキを片手に持ち、浴びるようにお酒を飲んでは、やんや、やんや、と騒ぎ立てていて、少し前を歩くレナードと会話をするのは最早不可能だ。
酒を浴びる大男たちの中には『WANTED!』と横文字で表記された指名手配犯のポスターが、いかにも似合いそうな眼つきの鋭い悪人面をした人も、ちらほらと見受けられ、ぶっちゃけ怖い。
そこにきて先ほどから嗅覚を刺激し続けるお酒の匂いに何だか気分が悪くなってきた。
(……外で待ってた方が良かったかも)
強いアルコールの匂いに何度も咽返りそうになりながら、あまりの気分の悪さに立ち止まっていたら、いつの間にやら、レナードの背中が見えなくなっている事に気がついた。
(って、嘘? もしかして、いやもしかしなくても、レナードとはぐれちゃった!?)
それほど広くないとはいえ、お昼の書き入れ時も重なって、店内は溢れんばかりの大勢のお客さんで賑わっていて、たとえそれが見知ったレナードであったとしても、この中から探し出すのは極めて難しそうだ。
声を張り上げて名前を呼ぶという古典的な方法も試みたが、あちらこちらで飛び交う大男たちのがなり立てる声に掻き消されてしまって、まったく以って、その行動は意味を為さない。
焦って辺りをキョロキョロと見回すも、レナードの姿はどこにも見当たらず、とりあえず闇雲に探し回るよりは店の外に出て待つのが正解だろう、と自分なりに答えを弾き出して、くるり、と方向転換をしようとして、その直後。
「あんた一人なんだろう? 俺と一緒に飲まないか?」
そんな声とともに、するり、と伸びてきた毛むくじゃらのごっつい手に、がしりっ、と腕を掴まれてしまった。
何が起きたのか瞬時には理解できず、掴まれた右腕を見遣りつつ、はたり、と固まって。
あれ? これってヤバくない???
……と鈍っていた思考が追いついた時にはすでに遅く、がたり、と音を立てて、椅子から立ち上がった大男に行く手を遮られ、壁際へと背中を追いやられていた。
なんとも危うげな状況に生温い汗が、背中を、つう、と伝い落ちてゆく。
ちろり、と遠慮がちに視線を向ければ、つるっつるの頭に悪趣味な刺青を入れた大男が、アルコールの匂いをぷんぷんとさせながら、分厚い唇の端を歪に曲げて、にやにやと下品な笑みを浮べているではないか。
何だかよく分からないうちに、とんでもなくヤバい状況に巻き込まれてしまったようだ。
許可もなく未成年の女子高生の腕を掴むなんて痴漢も同然の行為だぞ! 警察に通報してやる! と指を突きつけて言ってやろうかと思ったが、警察はおろか通報するための電話なぞ、異世界にあるはずもなく。
「い……いえ、私、お酒は飲めないので結構です。とりあえず痛いので、腕を離してもらえないでしょうか?」
「そんなつれないこと言わずにさあ。ほら、こっちに来いよ」
下手に刺激を与えて逆切れされても困ると思い、そこはかとなく、腕を離すよう、お願いしてみたが、相手は聞く耳など持ち合わせていないようだ。
懇願する私の声を完全に無視して、にたり、と薄っぺらい笑みを浮べたかと思ったら、つるっつる頭の大男は掴んでいた腕を、ぐいっ、と力任せに引っ張った。
さすがに身の危険を感じて、腕を掴む手を振り解こうとしたものの、つるっつる頭の力はありえないくらい強く、あっさりと腕を捻られてしまう。
あまりの痛さに、じわり、と目の縁に涙が浮かんできたが、ここで抵抗するのを諦めてしまえば、相手の思う壺に嵌るだけだ。
そう簡単に屈してなるものか、と思いつつ、腕を掴むつるっつる頭の指に、がぶりっ、と思いっきり噛みついてやったら、反撃に転じるとは思ってもいなかったのだろう。
小さな呻き声を上げて、それほど整ってもいない顔を歪めたつるっつる頭の力が少し緩む。
その一瞬の隙を突いて逃げ出そうとしたが、体勢を立て直したつるっつる頭に、すぐさま腕を捉えられてしまった。
「――……っ、や、離してっ!」
「おとなしそうな顔をしてるくせに意外と気が強えんだな。だが嫌がる女を無理やり服従させるってのも悪くないな。いやむしろ抵抗してくれた方が余興をより楽しめそうだ」
「……って最低っ! この悪趣味のド変態っっ!! ってか離してよ!」
「くっ、面白え。そうだなあ、まずはそのうるさい唇から塞ぐとするか。なあ? お嬢ちゃん」
蹴りをお見舞いしてやろうと思い、自由の利く足を振り回して、じたばたと抵抗したものの、繰り出した攻撃の全てを躱されてしまい、万策尽きて、絶体絶命の危機に陥った私を見下ろし、乾き切った唇に舌を這わせ、ぴちゃり、とわざと音を鳴らして、舌舐めずりをすると、つるっつる頭は嫌がる私の顎を乱暴に掴んだ。
ぎゃあああああッ! って顔を近づけんな! この酔っ払い!
ぐいっ、と顔を寄せてきたつるっつる頭に乙女の貞操の危機を感じて、周りにいる人に救いを求めるものの、いい意味でも悪い意味でも冒険者ギルドという場所は、報酬を伴わない依頼には食指すら動かないらしい。
大勢の人がいるというのに、遠巻きにこちらを見ているだけで、誰も助けようとはしてくれない。それどころか、面白い余興でも始まったとばかり、楽しんでいるかのような雰囲気だ。
「やだやだやだあああああ! ファーストキスの相手が悪趣味のド変態なつるっつる頭だなんて、そんなの絶対にやだあああああああ!!!!」
「――……っ、美緒っ!」
迫りくるつるっつる頭の顔面を押し返しながら、有りっ丈の声を振り絞って泣き喚いていたら、血相を変えたレナードが人集りを掻き分けて駆け寄ってきた。
「もう来るのが遅いようっ!」
「ごめん、美緒。この――……っ、美緒から手を離せ!」
「何だあ、貴様は? 怪我をしたくなかったら引っ込んでろ!」
颯爽――……とまではいかないにしろ、助けに来てくれたレナードに、ほっと胸を撫で下ろしていたら、突然、乱入してきたレナードを見遣り、つるっつる頭は声色を低くさせて凄む。
「ケンカはあまり得意じゃないんだけどなあ……」
そんなことをボヤきながら、果敢に立ち向かうものの、つるっつる頭の大きな手に振り払われ、レナードは勢いのまま、背中からテーブルに突っ込む。
がしゃ――んっ! とけたたましい音とともにテーブルが引っ繰り返り、お酒が入った瓶やらグラスやらが派手な音を立てて割れ、破片が辺りに飛び散る。
「レナードっ、大丈夫!?」
一発KO負けを喫したレナードに驚いて、慌てて声をかければ、レナードは後頭部を擦りながら上半身をむくりと起こす。
「――……ってえ。おい、美緒を離せよ」
どうやらガラス片で切ったらしい。
唇の端から流れる血を手の甲で拭いながら、普段の穏やかな表情からは想像もつかないほど、険しい眼差しを浮かべると、レナードは闘志の宿った瞳で、つるっつる頭を、ぎりっ、と見据えた。
レナードはまだやる気でいるらしいけれど、その実力の差は目に見えていて、草食系男子であるレナードが獰猛な牙を持つ肉食獣を相手に勝てるわけもなく。
「面白え――……ちょうど身体が鈍っていたところだ。少しは楽しませてくれるんだろうなあ? 勇敢なお坊ちゃんよお」
捻り上げていた私の腕を離すと、つるっつる頭は指をばきばき鳴らしながら、レナードの胸ぐらを鷲掴みすると腕を振り上げた。
「レナードっ!」
「待ちな! これ以上、あんたの好き勝手にはさせないよ!」
自分の声に被さるように、凛と澄んだ声が響いたかと思えば、ひゅっ、と空気を裂く音とともに鋭く光る何かが、つるっつる頭の角ばった頬を翳め、たんっ、と乾いた音を立てて、私のすぐ真横の壁に突き刺さる。
「っ……ぅ、」
小さな呻き声を漏らしたかと思えば、つるっつる頭は掴んでいたレナードの胸ぐらから手を離す。
何が起きたのか頭が追いつかず、目をぱちくりさせながら、つるっつる頭の方へと目を向ければ、ぱっかりと裂けた彼の頬から、ぱたぱたぱたっ、と鮮血が滴り落ちる。
古びた床を赤く染めてゆく血に、ひいっ、と慄きつつ、そろり、と壁に目を遣れば、鋭く尖ったナイフの刃が、ぐっさりと突き刺さっているではないか。
誰が投げたのだろうか、と思って、ナイフが飛んできた方を見てみれば、頭の天辺で一つに纏めたピンク色の長い髪を揺らし、仁王立ちしている女の人の姿が視界に映った。
(――……って誰?)
と疑問に思ったのも束の間、つるっつる頭は小さく肩を震わせると、血走った目を彼女に向けた。
「っ、このアマがあぁああああ! 嘗めた真似をしやがって!」
仁王立ちで見据えるピンク色の長い髪の彼女へと標的を変えたつるっつる頭はテーブルや椅子を蹴散らしながら、彼女に飛びかかろうとした。
「ふん、甘いわね」
今にも襲いかからんとするつるっつる頭に臆するでもなく、ぼそり、と小声でそんなことを呟いたかと思えば、彼女は胸元が大きく開いた真っ赤なドレスの裾を素早く捲り上げた。
露わとなった彼女の艶やかな太腿の付け根に装着されていたのは、艶めかしく黒光りするガーターベルト――……とベルトの間に仕込まれた小型のナイフがずらり!
映画に登場する女スパイのようなその出で立ちに唖然としていたら、太腿に仕込んだナイフを二本手に取り、指と指の間にナイフを器用に挟むと、彼女はすらっとした長い腕を真っ直ぐに伸ばし、お約束のごとく、びしっと決め台詞を言い放つ。
「このナイフが目に入らないのかいっ!」
と、まあここまで追い詰められたら、参りましたー! と土下座して謝るのが、映画ではよくあるパターンなのだけれど、頭に血が昇っている+酔った勢いのせいか。
「こ……このアマぁ…………っ!」
彼女の決め台詞を無視して、床を強く蹴り上げると、つるっつる頭は猛烈な勢いで、彼女の懐へ突っ込もうとした。
――……のだけれど。
「まったく学習能力がないわねえ」
呆れたような表情でそんなことを呟きながら、つるっつる頭が打ち放った捨て身の一撃を華麗な動きで躱すと、ピンク色の長い髪の彼女は指と指の間に挟み込んだナイフを放った。
ひゅっ、と風を切って放たれたナイフは寸分違わず、つるっつる頭の大きな体躯を捉える。
彼女が放ったナイフの一本が、つるっつる頭の右腕を翳め取り、もう一本は額のど真ん中に、さっくりと突き刺さった。
「う……うぎゃああああああ――――っ!!!!」
「き……きゃあああああああああ!!!!」
つるっつる頭の絶叫と私の悲鳴が交差する。
ナイフが刺さった額を押さえ、悶絶するつるっつる頭の額から、止め処なく溢れ出した血が、瞬く間に床を真っ赤に染めてゆく。
その様子をしっかりと目に焼きつけてしまい、目の前が真っ白になって、くらり、と身体をよろめかせた私の腕を、ピンク色の長い髪の彼女が、がっしりと掴む。
そして私にこう告げたのだ。
「気を失ってる場合じゃないよ。今のうちに逃げるよ!」
――――――と。