紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
月に呼ばれし異端者と漆黒の騎士
「とりあえず、これで身体を拭け。ああ、それからこっちは着替えだ。女物を探したが見つからなくてな。少し大きいかもしれないが、濡れた服をそのまま着ているよりかはマシだろう」
そう言ってアレクはどこからか持ってきたタオルと一緒に、上衣と思しき布切れを、ぽいっ、と膝の上に放り投げる。
人に物を渡すときは投げるのではなく、ちゃんと手で渡しましょう。と幼稚園で習わなかったのか! けしからん! そこに直れい! と思ったが、雨が降った時に漂う独特の臭みが、しとどに濡れた全身から臭い、私は顔を顰めつつ、ありがとう、と短く返すと、受け取ったタオルで濡れた髪を、ごしごし、と拭いた。
もちろんタオルで拭いたくらいでは、雨独特の臭いは取れない。
シャワーを浴びたいなあ、と思いつつ、濡れた服を着たまま、全身を、ごしごしと擦っていたら、アレクが私の隣に腰を下ろした。
私と同じように雨に濡れた髪をタオルで拭いながら、アレクは着ていた黒のコートを脱ぎ捨てる。その様子を何となしに見ていたら、アレクは何のためらいもなく、コートの下に着ていたシャツまでも脱ぎ始めた。
「うえっ!? って、ちょ、ちょ、待って! 何で脱ぐの!」
「何でって……濡れたままの服を着ていたら風邪をひくだろうが。っつーか、お前も早く脱げ」
あわあわと焦る私に構わず、釦を外し終えると、アレクはシャツを脱ぎ捨て、均整の取れた裸の上半身を惜しみなく曝け出したばかりでなく、私にも、服を脱げ、と強要してくる。
これが結婚を反対された相思相愛のカップルが、駆け落ちをしただとか、そういう燃え上がる設定ならば、このあと、裸になった二人が、くんずほぐれつ、まぐわい、激しく絡み合う――……というめくるめく官能の世界が待っているかもしれないが、そんな18禁要素など、一ミリたりともない私は、上半身素っ裸のアレクから視線を逸らすと、ぶるるるるっ、と頭を左右に激しく振り回した。
「ぬ……ぬぬぬぬ、脱げって言われても、着替えるところないしっ!」
「ああ、そういうことか。別に減るものでもあるまいし、珍獣――……いや違った。お前の裸など、見たところで気分が高揚するどころか、興醒めするだけだ。気にせずに脱げ」
舌を噛みつつ、縺れさせつつ、服を脱ぐことを全力で拒否すれば、アレクは悪びれるでもなく、思いっきり、毒を含んだ言葉を投げつけてくる。ってか、珍獣ってなんだそれ!
六歳の頃からの幼馴染であり、大親友の花菜ちゃんに鍛えられたから、多少の毒には耐性がついているものの、さすがに先ほどのアレクの台詞は、聞き捨てするには、あまりにもひどい言い種だ。
興醒めするかどうかは私の磨き上げた美ボディを拝んでから判断なさい!
と声を大にして言ってやりたかったのだが、そもそも人様に曝け出せるほどの美ボディでもなければ、生まれたばかりの赤ちゃんみたく、すっぽんぽんの姿を人様に見せるなんて、そんなクソ恥ずかしいことなど、できるはずもなく。
「後ろ向いててよ! アレク、絶対だからね! 日本では女子高校生の生着替えなんか見ようものなら、即通報されて、軽犯罪法違反で警察にしょっ引かれるんだからね! ってアレク、人の話ちゃんと聞いてる!?」
「ああ、ああ、聞いてるぞ。ってか、お前の生着替えなんて、誰が見たいと思うか。寧ろ、こっちから願い下げだ。それよりも着替え終わったか?」
「ぎゃー! って何で振り向くの! まだ着替えてない! アレクのばかあ! ド変態――っ!!」
「あー! うるさい! ぎゃんぎゃん喚くな! 口を動かしてる暇があるなら、さっさと着替えろ!」
売り言葉に買い言葉が飛び交う中、背後にアレクの気配を感じつつ、私にはデカすぎる上衣を頭から、ずぼり、と被り、その中で雨に濡れたワンピースを脱ぎ捨てる。
そうしてから、ワンピースの腰紐を抜き取ると、私はだぶだぶの上衣を絞るように、ぎゅうっ、と腰に紐を巻きつけた。
ちょっと見てくれは悪いけれど、孤児院に戻るまでの一時凌ぎと思えば、まあ上出来だろう。
そんなことよりパンツがほんのりと湿っていて居心地が悪い。
ワンピースほどずぶ濡れではないものの、シュミーズとパンツもちょっと濡れていたから、穿き替えたかったのだが、物置のような掘っ立て小屋には、下着類までは置いてなく――というより上衣があっただけでも儲けものだったらしい――ひんやりとするパンツを指で摘まみつつ、その辺に落ちていた木を拾って、適当に釘を打ちつけてみましたー! 的なベンチと呼ぶには、あまりにも雑な作りの台に座り直した。
遡ること、今から二十分ほど前の話。
風雨を凌げる場所に移動するぞ、と言われ、アレクに連れて行かれたのは、柱と屋根だけの休憩処から、五分ほど走った先に建っていた、やっつけ仕事感が満載な掘っ立て小屋。
おそらく物置として使われていたのであろう、その小屋の中はかなり狭く、田舎を走るローカル電車の無人駅にある待合室くらいの広さのそこには、チェストもどきの棚が一つと、ベンチもどきの台が一つ。
あとは木の箱を裏返しただけというテーブルもどきが一つ。とその上に載せられた古びた角灯が一つあるくらいで、それ以外は何もなく、奥の方に薄っぺらい板で仕切られたクローゼットもどきが設えられているだけだ。
使われなくなってから、ずいぶんと時間が経っているのか、中は埃っぽく、年季が入った建物独特のカビ臭さが充満している。
床にもうっすらと埃が積もっているし、壁や天井のあちこちには、主を失くした蜘蛛の巣が、ぺったりと張りついているし、雨宿り目的でなければ、あまり立ち寄りたいとは思えない環境だ。
窓がないから外の様子は分からないけれど、打ちつける雨の音と轟く雷鳴は弱まるどころか、ますます激しくなってゆくばかり。
「あ……アレク、これ、忘れないうちに渡しておくね」
着替えを済ませると、これといって他にやることはなく、私はパンツのゴムに挟んでいた本を抜き取ると、ちょっとだけ濡れたそれを、人一人分くらいの間を開けて、ベンチもどきの台に座るアレクに手渡した。
「わざわざ、すまなかったな」
「ううん。レナードのお使いついでだから、気にしないで」
本を受け取りするためだけの短い会話が終わってしまうと、またゆるゆると沈黙が落ちてくる。
毒を吐くときのアレクはびっくりするくらい饒舌になるけれど、それ以外の会話では、あまり自分から話題を振ったりはしない。
どっちかというと寡黙な方だから、アレクとの間に沈黙が生まれることはしょっちゅうで、それほど気にはならないけれど、狭い空間にいるせいか、今日は何だかそわそわとして落ち着かない。
「雨……なかなか止まないね。雷が鳴り止んで小雨になってくれたら、走って帰るんだけどなあー」
壁に寄りかかりながら、独り言に近いそれを口にすれば、テーブルもどきの木箱の上で、ゆらゆらと揺れる角灯を見つめていたアレクの瞳がこちらを向いた。
ぎゃあ、ぎゃあと喚きながら、応戦し合っていたさっきまでとは違って、こちらを見つめるアレクの表情は、とても真剣みを帯びている。
射貫くような眼差しで見つめられ、その鋭さに息を呑むと、私は、しゃきり、と背筋を伸ばして、居住まいを正した。
「え、えっと、その……アレク?」
「お前、俺とヴィクトールとの会話をどこから聞いていたんだ」
前置きもへったくれもなく、単刀直入にぶっこまれたそれに、うぐっ、と声を詰まらせる。
これはもしかして雨が止むまで、お説教コースのフラグが確定したのか!? と焦りつつ、アレクの視線から逃れるように、そうろり、と視線を逸らす。
え、えーっと。どの辺りから聞いてたっけ? と記憶の引き出しを開け閉めして、一生懸命、思い出そうとしていたら、
「いや、どこから、なんてのは関係ないか。お前が盗み聞きをしようが、しまいが、いずれ――……いや今日か明日中には言わなければいけなかったことだしな」
まるで自己完結したから答えは不要だ、みたいなことを言って、アレクは小さく溜め息を吐く。
何だかさっきから少し様子がおかしい。
どうしたんだろう、と少し心配になって、逸らしていた視線を戻すなり、えらく深刻な表情をしたアレクと、またしても目が合ってしまった。
何かを思い詰めたようなその表情は、ここに来るちょっと前にも見たものだ。やっぱり何かが変だ。
アレクにしては珍しいその表情に、水面に広がる波紋のように、不安が膨らんでゆく。
「美緒、お前に話さなければいけないことがある。それはおまえにとって、あまり良くない話だ。だから今までずっと避けてきた。けれど、これ以上、隠し通すのは無理だ。辛いかもしれないが、今後のことも考えて、お前も知っておく必要があるだろう」
深刻な面持ちを浮かべたまま、淡々と話すアレクに、いやだ、聞きたくない。と頭を横に振りたかったのだけれど、思い詰めたようなアレクの表情が、そうすることは許さない、とでも言っているように見えて、きゅうっ、と唇を噛み締める。
話してもいいよ、と頷くわけにもいかず、黙り込んでいたら、アレクが、ちらり、と、こちらを流し見た。
目配せだけで気持ちを酌んでくれないかなあ、と思って見返したけれど、今回ばかりはそれは通用しないようだ。
無言のまま、しばらく見つめ合ったけれど、やがてアレクは形の良い唇を開くと、そうだな、と短い前置きをしてから、私にとってはあまり良くないらしい、その話を滔々と語り始めた。
「この世界は、おおよそ千年に一度の周期で、月に異変が起きるという歴史を遥か太古から、何度も繰り返してきたんだ。お前も何度も目にしているだろう? 血を染め上げたような紅に染まった月を。あれが異変の象徴だ。それは様々な文献でも、揺るがない事実だと、証明されている。そして月が異変を来した際、必ず起こるとされている事象が、もう一つあるんだ。それが『月に呼ばれし異端者』と呼ばれる存在の出現だ」
まるで歴史の授業でも受けているかのような感覚に陥りながら、どうしてアレクはこんな話をするのだろう、と私は不思議に思った。
だって私がセラフィリアに飛ばされた原因は、偶然、現れた時空の歪みに迷い込んだからだろう、と言ったのは、他ならないアレク本人だ。
あくまでも仮説だけれど、それが一番有力な説だろう、って、ずっと聞かされていたから、最近では私もそうかもしれないって思い始めていたのに、なのに、どうして今頃になって、これまで一度も触れたことのない『月に呼ばれし異端者』の話をしだしたのだろう。
それって私には関係のない話なんだよね? と浮かび上がった疑問をぶつける間もなく、アレクの話はどんどん進んでゆく。
「俺が知りうる限りの知識では、様々な悪行によって、腐敗した世を浄化させ、再生させるのが『月に呼ばれし異端者』の役目だとされている。捉えようによっては、それは“救世主”のようにも聞こえるが、“異端者”は穢れた世を無に還すために、全てを破壊し尽くす存在だ。決して女神のように尊ばれるべきものではない。
また“月の異変”と“異端者”この双方の関係性は、表裏一体のような深い繋がりがあるもの。月に異変が起きた象徴が紅に染まった月であるならば、対の存在である『月に呼ばれし異端者』も、必ずこの世界に喚ばれるはずだ。この世界の人間ではない、異世界で生きる者が。
そうして『月に呼ばれし異端者』が顕われる際、月はその姿を完全に消すそうだ。それは俺自身もこの目でしっかりと確認している。今からちょうど一月半前、オルレーヌの丘で、な」
一息に話してアレクはどこか遠くを見つめるように瞳を眇める。
滔々と紡がれる言葉の節々に、不穏が滲んでゆくのを感じながら、アレクの話に耳を傾けていた私はもう『それって私には関係ない話だよね?』とは聞けなくなっていた。
アレクの話を要約すれば、『月に呼ばれし異端者』として喚ばれるのは、異世界に住む人間で、『月に呼ばれし異端者』として選ばれた異界人が、この世界に現れる時には、月はその姿を完全に消すという。
そうしてアレクは月が消えるその瞬間を、自分の目ではっきりと見た、と断言した。
(――……一月半、前に?)
アレクが口にしたそれを心の中で反芻していた私は、ふと頭を過った一つの可能性に、くらり、と眩暈のような感覚に襲われた。
まさかそんなわけがない、と思いたいけれど、こうしてアレクが話をするということは、おそらく頭を過ったそれは『可能性』ではなく、『確たるもの』だということだろう。
これ以上はもう聞くな、と本能が、がんがんと、警鐘を打ち鳴らす。
息が詰まりそうなくらい、重苦しい空気が漂うそこから、今すぐにでも逃げ出したいのに、まるで金縛りにでも遭ったかのように、身体は、ぴくり、とも動かない。
そればかりか、極度の緊張のせいで、声を発することさえできない。
おそらく今の私は誰の目から見ても、色を失くしているようにしか見えないだろう。きっとアレクの目にだって、そんな風に映っているはずだ。
そんなことを思っていたら、アレクと視線が行き交った。
確かに視線は合ったはずなのに、藍色の瞳をわずかに揺らしただけで、アレクは何かに憑依されたみたいに言葉を紡ぎ続ける。
「『紅の月が消えし時、漆黒の騎士に導かれ、オルレーヌの丘陵に“異端者”は降臨されたし』――……これは王家の血筋を引く者に代々受け継がれてきた預言だ。俺は預言だとか、占術といった根拠がないものに、振り回されるのが大嫌いでな。どこの馬の骨ともわからないヤツが遺した予言なんて一切信じていなかったし、寧ろ、見下してバカにしていたくらいだ。
けれど、一か月半前のあの日の夜、バカにして見下していた予言書に記されていたことが、実際に目の前で起こったんだよ。“異端者”を見つけて抹殺せよ――……という陛下の命を実行するために、オルレーヌの丘に赴いた俺の目の前で、な」
内に秘めた悲痛な感情を吐露するように告げられたそれに、心臓が、ぎゅうっ、と委縮する。視界がぐるぐると回って気持ちが悪い。何だか吐きそうだ。
もうこれ以上は聞きたくない。
そう思ったのだけれど。
「――――……美緒、」
静かに落ちてきた自分の名前を呼ぶ声にゆっくりと顔を上げる。視界の先にあったのは、深い海よりも、さらに濃く澱む藍色の瞳。
深く澱むその瞳に囚われたその直後、彫刻のような美しさを湛えたその容貌が微かに歪む。
形の良い唇は弧を描いて、美しい微笑みを浮べているように見えるのに、けれどそれは私の目には、今にも泣き出しそうなくらい、儚いもののように映える。
どうしてアレクがそんな悲しそうな顔をするの? という疑問は、もちろん声にはならない。
「一月半前、月が消えたあの日の夜、漆黒の騎士の異名を持つ俺は、オルレーヌの丘で『月に呼ばれし異端者』であるお前を見つけた」
「――――……っぅ、」
急激に込み上げてきた吐き気を堪えようと、慌てて押さえた指の隙間から、乾いた声が微かに漏れる。
「すぐには受け止められないだろうが、美緒。お前は間違いなく『月に呼ばれし異端者』だ」
凛と響く透き通った声で、自分が『月に呼ばれし異端者』であると、はっきりと宣告されたその瞬間、それまでまったく動かなかった身体が、ぴくり、と反応した。
もう何がなんだかわからない。
かき混ぜられたシェイクみたいに、頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられなかったけれど。
「――――……っ、美緒っ!」
弾けるようなアレクの声が真後ろで響く。
ここにいてはいけない、と訴えかける本能に逆らうことなく、簡素な造りの小屋のドアを開け放った私は、背後で響いたアレクの声を振り切ると、激しく打ちつける雨と、轟く雷鳴が鳴り止まない夜の闇へと飛び出していた。
そう言ってアレクはどこからか持ってきたタオルと一緒に、上衣と思しき布切れを、ぽいっ、と膝の上に放り投げる。
人に物を渡すときは投げるのではなく、ちゃんと手で渡しましょう。と幼稚園で習わなかったのか! けしからん! そこに直れい! と思ったが、雨が降った時に漂う独特の臭みが、しとどに濡れた全身から臭い、私は顔を顰めつつ、ありがとう、と短く返すと、受け取ったタオルで濡れた髪を、ごしごし、と拭いた。
もちろんタオルで拭いたくらいでは、雨独特の臭いは取れない。
シャワーを浴びたいなあ、と思いつつ、濡れた服を着たまま、全身を、ごしごしと擦っていたら、アレクが私の隣に腰を下ろした。
私と同じように雨に濡れた髪をタオルで拭いながら、アレクは着ていた黒のコートを脱ぎ捨てる。その様子を何となしに見ていたら、アレクは何のためらいもなく、コートの下に着ていたシャツまでも脱ぎ始めた。
「うえっ!? って、ちょ、ちょ、待って! 何で脱ぐの!」
「何でって……濡れたままの服を着ていたら風邪をひくだろうが。っつーか、お前も早く脱げ」
あわあわと焦る私に構わず、釦を外し終えると、アレクはシャツを脱ぎ捨て、均整の取れた裸の上半身を惜しみなく曝け出したばかりでなく、私にも、服を脱げ、と強要してくる。
これが結婚を反対された相思相愛のカップルが、駆け落ちをしただとか、そういう燃え上がる設定ならば、このあと、裸になった二人が、くんずほぐれつ、まぐわい、激しく絡み合う――……というめくるめく官能の世界が待っているかもしれないが、そんな18禁要素など、一ミリたりともない私は、上半身素っ裸のアレクから視線を逸らすと、ぶるるるるっ、と頭を左右に激しく振り回した。
「ぬ……ぬぬぬぬ、脱げって言われても、着替えるところないしっ!」
「ああ、そういうことか。別に減るものでもあるまいし、珍獣――……いや違った。お前の裸など、見たところで気分が高揚するどころか、興醒めするだけだ。気にせずに脱げ」
舌を噛みつつ、縺れさせつつ、服を脱ぐことを全力で拒否すれば、アレクは悪びれるでもなく、思いっきり、毒を含んだ言葉を投げつけてくる。ってか、珍獣ってなんだそれ!
六歳の頃からの幼馴染であり、大親友の花菜ちゃんに鍛えられたから、多少の毒には耐性がついているものの、さすがに先ほどのアレクの台詞は、聞き捨てするには、あまりにもひどい言い種だ。
興醒めするかどうかは私の磨き上げた美ボディを拝んでから判断なさい!
と声を大にして言ってやりたかったのだが、そもそも人様に曝け出せるほどの美ボディでもなければ、生まれたばかりの赤ちゃんみたく、すっぽんぽんの姿を人様に見せるなんて、そんなクソ恥ずかしいことなど、できるはずもなく。
「後ろ向いててよ! アレク、絶対だからね! 日本では女子高校生の生着替えなんか見ようものなら、即通報されて、軽犯罪法違反で警察にしょっ引かれるんだからね! ってアレク、人の話ちゃんと聞いてる!?」
「ああ、ああ、聞いてるぞ。ってか、お前の生着替えなんて、誰が見たいと思うか。寧ろ、こっちから願い下げだ。それよりも着替え終わったか?」
「ぎゃー! って何で振り向くの! まだ着替えてない! アレクのばかあ! ド変態――っ!!」
「あー! うるさい! ぎゃんぎゃん喚くな! 口を動かしてる暇があるなら、さっさと着替えろ!」
売り言葉に買い言葉が飛び交う中、背後にアレクの気配を感じつつ、私にはデカすぎる上衣を頭から、ずぼり、と被り、その中で雨に濡れたワンピースを脱ぎ捨てる。
そうしてから、ワンピースの腰紐を抜き取ると、私はだぶだぶの上衣を絞るように、ぎゅうっ、と腰に紐を巻きつけた。
ちょっと見てくれは悪いけれど、孤児院に戻るまでの一時凌ぎと思えば、まあ上出来だろう。
そんなことよりパンツがほんのりと湿っていて居心地が悪い。
ワンピースほどずぶ濡れではないものの、シュミーズとパンツもちょっと濡れていたから、穿き替えたかったのだが、物置のような掘っ立て小屋には、下着類までは置いてなく――というより上衣があっただけでも儲けものだったらしい――ひんやりとするパンツを指で摘まみつつ、その辺に落ちていた木を拾って、適当に釘を打ちつけてみましたー! 的なベンチと呼ぶには、あまりにも雑な作りの台に座り直した。
遡ること、今から二十分ほど前の話。
風雨を凌げる場所に移動するぞ、と言われ、アレクに連れて行かれたのは、柱と屋根だけの休憩処から、五分ほど走った先に建っていた、やっつけ仕事感が満載な掘っ立て小屋。
おそらく物置として使われていたのであろう、その小屋の中はかなり狭く、田舎を走るローカル電車の無人駅にある待合室くらいの広さのそこには、チェストもどきの棚が一つと、ベンチもどきの台が一つ。
あとは木の箱を裏返しただけというテーブルもどきが一つ。とその上に載せられた古びた角灯が一つあるくらいで、それ以外は何もなく、奥の方に薄っぺらい板で仕切られたクローゼットもどきが設えられているだけだ。
使われなくなってから、ずいぶんと時間が経っているのか、中は埃っぽく、年季が入った建物独特のカビ臭さが充満している。
床にもうっすらと埃が積もっているし、壁や天井のあちこちには、主を失くした蜘蛛の巣が、ぺったりと張りついているし、雨宿り目的でなければ、あまり立ち寄りたいとは思えない環境だ。
窓がないから外の様子は分からないけれど、打ちつける雨の音と轟く雷鳴は弱まるどころか、ますます激しくなってゆくばかり。
「あ……アレク、これ、忘れないうちに渡しておくね」
着替えを済ませると、これといって他にやることはなく、私はパンツのゴムに挟んでいた本を抜き取ると、ちょっとだけ濡れたそれを、人一人分くらいの間を開けて、ベンチもどきの台に座るアレクに手渡した。
「わざわざ、すまなかったな」
「ううん。レナードのお使いついでだから、気にしないで」
本を受け取りするためだけの短い会話が終わってしまうと、またゆるゆると沈黙が落ちてくる。
毒を吐くときのアレクはびっくりするくらい饒舌になるけれど、それ以外の会話では、あまり自分から話題を振ったりはしない。
どっちかというと寡黙な方だから、アレクとの間に沈黙が生まれることはしょっちゅうで、それほど気にはならないけれど、狭い空間にいるせいか、今日は何だかそわそわとして落ち着かない。
「雨……なかなか止まないね。雷が鳴り止んで小雨になってくれたら、走って帰るんだけどなあー」
壁に寄りかかりながら、独り言に近いそれを口にすれば、テーブルもどきの木箱の上で、ゆらゆらと揺れる角灯を見つめていたアレクの瞳がこちらを向いた。
ぎゃあ、ぎゃあと喚きながら、応戦し合っていたさっきまでとは違って、こちらを見つめるアレクの表情は、とても真剣みを帯びている。
射貫くような眼差しで見つめられ、その鋭さに息を呑むと、私は、しゃきり、と背筋を伸ばして、居住まいを正した。
「え、えっと、その……アレク?」
「お前、俺とヴィクトールとの会話をどこから聞いていたんだ」
前置きもへったくれもなく、単刀直入にぶっこまれたそれに、うぐっ、と声を詰まらせる。
これはもしかして雨が止むまで、お説教コースのフラグが確定したのか!? と焦りつつ、アレクの視線から逃れるように、そうろり、と視線を逸らす。
え、えーっと。どの辺りから聞いてたっけ? と記憶の引き出しを開け閉めして、一生懸命、思い出そうとしていたら、
「いや、どこから、なんてのは関係ないか。お前が盗み聞きをしようが、しまいが、いずれ――……いや今日か明日中には言わなければいけなかったことだしな」
まるで自己完結したから答えは不要だ、みたいなことを言って、アレクは小さく溜め息を吐く。
何だかさっきから少し様子がおかしい。
どうしたんだろう、と少し心配になって、逸らしていた視線を戻すなり、えらく深刻な表情をしたアレクと、またしても目が合ってしまった。
何かを思い詰めたようなその表情は、ここに来るちょっと前にも見たものだ。やっぱり何かが変だ。
アレクにしては珍しいその表情に、水面に広がる波紋のように、不安が膨らんでゆく。
「美緒、お前に話さなければいけないことがある。それはおまえにとって、あまり良くない話だ。だから今までずっと避けてきた。けれど、これ以上、隠し通すのは無理だ。辛いかもしれないが、今後のことも考えて、お前も知っておく必要があるだろう」
深刻な面持ちを浮かべたまま、淡々と話すアレクに、いやだ、聞きたくない。と頭を横に振りたかったのだけれど、思い詰めたようなアレクの表情が、そうすることは許さない、とでも言っているように見えて、きゅうっ、と唇を噛み締める。
話してもいいよ、と頷くわけにもいかず、黙り込んでいたら、アレクが、ちらり、と、こちらを流し見た。
目配せだけで気持ちを酌んでくれないかなあ、と思って見返したけれど、今回ばかりはそれは通用しないようだ。
無言のまま、しばらく見つめ合ったけれど、やがてアレクは形の良い唇を開くと、そうだな、と短い前置きをしてから、私にとってはあまり良くないらしい、その話を滔々と語り始めた。
「この世界は、おおよそ千年に一度の周期で、月に異変が起きるという歴史を遥か太古から、何度も繰り返してきたんだ。お前も何度も目にしているだろう? 血を染め上げたような紅に染まった月を。あれが異変の象徴だ。それは様々な文献でも、揺るがない事実だと、証明されている。そして月が異変を来した際、必ず起こるとされている事象が、もう一つあるんだ。それが『月に呼ばれし異端者』と呼ばれる存在の出現だ」
まるで歴史の授業でも受けているかのような感覚に陥りながら、どうしてアレクはこんな話をするのだろう、と私は不思議に思った。
だって私がセラフィリアに飛ばされた原因は、偶然、現れた時空の歪みに迷い込んだからだろう、と言ったのは、他ならないアレク本人だ。
あくまでも仮説だけれど、それが一番有力な説だろう、って、ずっと聞かされていたから、最近では私もそうかもしれないって思い始めていたのに、なのに、どうして今頃になって、これまで一度も触れたことのない『月に呼ばれし異端者』の話をしだしたのだろう。
それって私には関係のない話なんだよね? と浮かび上がった疑問をぶつける間もなく、アレクの話はどんどん進んでゆく。
「俺が知りうる限りの知識では、様々な悪行によって、腐敗した世を浄化させ、再生させるのが『月に呼ばれし異端者』の役目だとされている。捉えようによっては、それは“救世主”のようにも聞こえるが、“異端者”は穢れた世を無に還すために、全てを破壊し尽くす存在だ。決して女神のように尊ばれるべきものではない。
また“月の異変”と“異端者”この双方の関係性は、表裏一体のような深い繋がりがあるもの。月に異変が起きた象徴が紅に染まった月であるならば、対の存在である『月に呼ばれし異端者』も、必ずこの世界に喚ばれるはずだ。この世界の人間ではない、異世界で生きる者が。
そうして『月に呼ばれし異端者』が顕われる際、月はその姿を完全に消すそうだ。それは俺自身もこの目でしっかりと確認している。今からちょうど一月半前、オルレーヌの丘で、な」
一息に話してアレクはどこか遠くを見つめるように瞳を眇める。
滔々と紡がれる言葉の節々に、不穏が滲んでゆくのを感じながら、アレクの話に耳を傾けていた私はもう『それって私には関係ない話だよね?』とは聞けなくなっていた。
アレクの話を要約すれば、『月に呼ばれし異端者』として喚ばれるのは、異世界に住む人間で、『月に呼ばれし異端者』として選ばれた異界人が、この世界に現れる時には、月はその姿を完全に消すという。
そうしてアレクは月が消えるその瞬間を、自分の目ではっきりと見た、と断言した。
(――……一月半、前に?)
アレクが口にしたそれを心の中で反芻していた私は、ふと頭を過った一つの可能性に、くらり、と眩暈のような感覚に襲われた。
まさかそんなわけがない、と思いたいけれど、こうしてアレクが話をするということは、おそらく頭を過ったそれは『可能性』ではなく、『確たるもの』だということだろう。
これ以上はもう聞くな、と本能が、がんがんと、警鐘を打ち鳴らす。
息が詰まりそうなくらい、重苦しい空気が漂うそこから、今すぐにでも逃げ出したいのに、まるで金縛りにでも遭ったかのように、身体は、ぴくり、とも動かない。
そればかりか、極度の緊張のせいで、声を発することさえできない。
おそらく今の私は誰の目から見ても、色を失くしているようにしか見えないだろう。きっとアレクの目にだって、そんな風に映っているはずだ。
そんなことを思っていたら、アレクと視線が行き交った。
確かに視線は合ったはずなのに、藍色の瞳をわずかに揺らしただけで、アレクは何かに憑依されたみたいに言葉を紡ぎ続ける。
「『紅の月が消えし時、漆黒の騎士に導かれ、オルレーヌの丘陵に“異端者”は降臨されたし』――……これは王家の血筋を引く者に代々受け継がれてきた預言だ。俺は預言だとか、占術といった根拠がないものに、振り回されるのが大嫌いでな。どこの馬の骨ともわからないヤツが遺した予言なんて一切信じていなかったし、寧ろ、見下してバカにしていたくらいだ。
けれど、一か月半前のあの日の夜、バカにして見下していた予言書に記されていたことが、実際に目の前で起こったんだよ。“異端者”を見つけて抹殺せよ――……という陛下の命を実行するために、オルレーヌの丘に赴いた俺の目の前で、な」
内に秘めた悲痛な感情を吐露するように告げられたそれに、心臓が、ぎゅうっ、と委縮する。視界がぐるぐると回って気持ちが悪い。何だか吐きそうだ。
もうこれ以上は聞きたくない。
そう思ったのだけれど。
「――――……美緒、」
静かに落ちてきた自分の名前を呼ぶ声にゆっくりと顔を上げる。視界の先にあったのは、深い海よりも、さらに濃く澱む藍色の瞳。
深く澱むその瞳に囚われたその直後、彫刻のような美しさを湛えたその容貌が微かに歪む。
形の良い唇は弧を描いて、美しい微笑みを浮べているように見えるのに、けれどそれは私の目には、今にも泣き出しそうなくらい、儚いもののように映える。
どうしてアレクがそんな悲しそうな顔をするの? という疑問は、もちろん声にはならない。
「一月半前、月が消えたあの日の夜、漆黒の騎士の異名を持つ俺は、オルレーヌの丘で『月に呼ばれし異端者』であるお前を見つけた」
「――――……っぅ、」
急激に込み上げてきた吐き気を堪えようと、慌てて押さえた指の隙間から、乾いた声が微かに漏れる。
「すぐには受け止められないだろうが、美緒。お前は間違いなく『月に呼ばれし異端者』だ」
凛と響く透き通った声で、自分が『月に呼ばれし異端者』であると、はっきりと宣告されたその瞬間、それまでまったく動かなかった身体が、ぴくり、と反応した。
もう何がなんだかわからない。
かき混ぜられたシェイクみたいに、頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられなかったけれど。
「――――……っ、美緒っ!」
弾けるようなアレクの声が真後ろで響く。
ここにいてはいけない、と訴えかける本能に逆らうことなく、簡素な造りの小屋のドアを開け放った私は、背後で響いたアレクの声を振り切ると、激しく打ちつける雨と、轟く雷鳴が鳴り止まない夜の闇へと飛び出していた。