紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
激動の果て①
「――……っ、ディハルト! お前、いつからそこに……」
「まるで俺が盗み聞きしてたみてえな言い方しやがって……胸糞わりい。言っておくが、俺はたまたまここで雨宿りをしていただけだぜ? 師団長さんよお」
弾けるように頭上を仰いだアレクを見下ろして、ちっ、と舌を打つと、嘲りと皮肉を含んだ言葉を忌々しげに吐き捨てて、ディハルトは寄りかかっていた民家の露台の手摺りから身体を起こす。
底知れぬ冷酷さを秘めた紫紺の瞳が、冷然とアレクを見据えるのに、雨に打たれた寒さとは、また別の冷たさを感じて、背筋が、ぞくり、と震える。
「それにしても驚いたぜ。まさかその小娘が『月に呼ばれし異端者』だったとはな」
「――――……っ、」
「大丈夫だ、美緒。俺がいる」
薄く笑って、こちらに視線を向けるディハルトに怖さを感じて、無意識のうちにアレクの腕を、ぎゅうっ、と掴めば、私にしか聞き取れないような小声で囁いて、すっ、と立ち上がりながら、私の前に出ると、アレクはその大きな背中の後ろに私を庇う。
そんな私たちの様子を仄暗い紫紺の瞳で、眺めやっていたディハルトは、小馬鹿にしたように鼻の先でせせら笑うと、二階に突き出た露台の手摺りを軽々と飛び越え、私たちの目の前に、たん、と降り立った。
「はっ! おもしれえ。師団長ともあろうお方が、ずいぶんとご執心のようだな。さあて、どうするかな。その小娘が『月に呼ばれし異端者』だったならば、とんでもねえ騒ぎになりそうだよなあ?」
「何を勘違いしているんだ? ディハルト。彼女は『月に呼ばれし異端者』なんかじゃ――……」
「うるせえ、てめえは黙っていろ。生憎、俺は自分以外の人間は信用しねえ性質なんだよ。その小娘が『月に呼ばれし異端者』であるかどうかは、俺自身が確かめるまでだ――……だが、その前に英雄気取りの師団長殿には消えてもらうとするか」
挑みかけるように紫紺の瞳を細め、ディハルトが鞘から剣を引き抜く。
「さあ、どうする? 師団長殿。そのお荷物を抱えたまま、俺と一戦交えるつもりか? 師団長殿と違って、俺は目的のためなら手段は選ばねえ。その小娘に怪我をさせないよう、せいぜい護ってやることだな」
「残念だな。貪欲なまでの、その闘争心を俺ではなく、もう少し違う方面に向けていたならば、お前は疾うの昔に第一騎士団の師団長になれていたはずだ」
「――……っ、何だと!?」
「褒めてやったつもりだが、聞こえなかったのか?」
すらりとした長い刀身を持つ剱の切っ先を、額に突きつけられてもなお、アレクは動じるでもなく、凛然とした瞳でディハルトを見据え、ともすれば挑発とも取れるような台詞を吐く。
何にも動じないアレクの落ち着き払ったその態度は見上げたものだし、すごいなあ、と感心するけれど、でもこういう一触即発の危うい状況のときに、相手を煽るような発言は、よろしくないんでない?
アレクの背中の後ろに隠れつつ、そんなことを考えていたら、やっぱりアレクが放った一言は、自尊心がものすごく高そうなディハルトの逆鱗に触れたらしい。
「まじで胸糞わりい。むかつくんだよ。てめえのその見下したような態度がむかつくんだよ!」
激しい怒気を含んだディハルトの声が弾ける。
激昂に身を震わせ、冷酷さが滲み出たその表情を歪めると、ディハルトは、ぬらぬらと黒光りする刃を頭上に振り翳した。
渦巻くどす黒い私怨に取り憑かれた紫紺の瞳は、人を斬ることへの躊躇なんて、微塵も感じさせない。
「ア……アレク、っ、」
ほらー! やっぱりぶち切れたじゃないかー! どうすんのよー! と、あわあわしながら、早く逃げぬか! とアレクの着ている黒のロングコートを、後ろから、ぐいぐいと引っ張るものの、アレクは身動ぎすらしない。
王立騎士団に所属する騎士として、毎日のように稽古に明け暮れ、何にも動じぬ精神を鍛え上げ、このような修羅場など慣れっこなのかもしれないが、迎え撃つ相手は性根が曲がりに曲がってそうなディハルトなのだ。
いくらアレクが百戦錬磨の腕前を持っていようが危険なものは危険だ。
そんなことを思いつつ、渾身の力を込めて、えいや、と、微動だにしないアレクの腕を引っ張ろうとして。
「上に立つ者として一つ忠告しておいてやろうか? ディハルト、お前のその己への絶対的な過信が命取りになることを、」
ディハルトの怒りをさらに増長させるようなセリフを吐き捨てると、アレクは聞き慣れない言の葉を紡ぎ出した。
自動翻訳機では変換されない音色に近いそれは響きこそ違うけれど、占ってやると言ってくれたマルティーヌさんが紡いだものと全く同じものだ。
「――……っ、ちいっ、魔法か!」
唄でも謳うかのように奏でられるその音色が、ディハルトが漏らしたその一言で、魔法を放つための呪文であることを理解するのと同時に、アレクが手のひらをディハルトに向けた。
え!? 魔法!? どんなのか見たいー! と好奇心が先立ち、アレクの手のひらに目を向ければ、そこにはバレーボールくらいの大きさまで膨らんだ球体が浮いているではないか。
おおー! あれが魔法なのかー! と初めて見る生魔法に興奮していたら、魔法を詠唱し終えたらしいアレクが、黒い炎みたいなものを纏わせたその球体を、ディハルト目がけて撃ち放った。
至近距離から放たれた魔法は軌道から逸れることなく、光を伝播するかのごとく速さで、一直線にディハルトに向かってゆく。
「ちいっ、くそがあ!」
アレクが放った魔法を避けようと身を捻るものの、向かってくるそれを躱すには遅く、剣を握り締めたまま、ディハルトが胸の前で両腕を交差させた瞬間、黒い炎のようなものを纏った球体が彼の全身を呑み込んだ。
「美緒! こっちに来い!」
目まぐるしく展開される攻防の一つ一つを、息を呑んで追っていたら、いきなり腕を引っ掴まれたかと思えば、頭を抱えこむように、アレクが私の身体を強く抱きしめる。
その行動に驚く暇もなく、私を抱きかかえたまま、地面を強く蹴り上げると、アレクは真横に跳んだ。
「――……っ、や、怖……っ!」
胃袋を持ち上げられるような浮遊感に襲われ、目を閉じようとして、次の瞬間、弾け飛ぶように瞬いた眩い閃光が、闇に包まれた辺りを明るく照らす。
続いて空気を震わせる大きな爆発音が、夜の静寂に響き渡った。
巻き起こった爆風が土埃を辺りに撒き散らす。
(――……これが、魔、法?)
まるで映画の特殊撮影でも見ているかのような光景に、声を失って呆然としていたら、どさり、と軽い衝撃を伴って、地面の上に身体を投げ出された。
「――……っ、う、」
呻き声を漏らしながら、身体を起こして前を見れば、収まり始めた土埃の向こう側で、激しく燃え上がる炎に、身体ごと呑まれるディハルトの姿が見える。
「何をしている! 早く安全な場所へ逃げろ! この程度の魔法では、あいつを仕留められない。すぐに反撃に出るはずだ! 早くしろ!」
信じられない光景に息を呑んでいたら、アレクの鋭い声が飛んできた。
(……って、これのどこがこの程度なのよっ!?)
絶対に感覚おかしいから! とツッコミつつ、魔法が持つ凄まじいまでの破壊力に恐々としながら、ふらふらと立ち上がると、私は背中を向けて立つアレクに声をかけた。
「に……逃げろって、アレクはどうするの!?」
「俺のことを心配している場合か! 早く逃げろ!」
「でもアレクを残して、私一人だけ逃げられないよ!」
「ご託を並べている暇なんてない! 早くしろ! どっちにしても俺はディハルトを止めなきゃいけない。剣も魔法も使えないお前は足手纏いだ! さっさと行け!」
苛立たしげな表情を浮かべ、言葉尻を荒げて怒鳴りつけると、アレクは怖いくらい、きつい眼差しで睨みつける。それでも決断がつかず、でも、と、ぐずれば。
「何度も言わせるな、早く行け!」
威嚇するように声を張り上げたアレクに、私は、びくり、と身体を強張らせた。
揺らがない強い意志を秘めた瞳は、これ以上の反論を挟む余地を、与えようとはしてくれない。
「――……っ、わかった」
アレクを残して、自分一人だけ、逃げるのは心苦しい。
けれど、自分がいたからって、なにか力になれるわけでもない。寧ろ、邪魔になるだけだ。今、私にできることがあるのだとすれば、それは全力で逃げるくらいだろう。
だったらせめて足手纏いにならないよう、全力で走るしかない。
そう思うと、私は振り返りたい気持ちをかなぐり捨て、地面を蹴って駆けだした。
よりいっそう濃くなった夜の闇が辺りを包み込む。
地面の泥濘に何度か足を取られそうになりながら、勝手の分からない街中を灯かりを求め、全力で走っていたら、突然、起きた騒動に避難してきた人達だろう。
前を行く複数の人影が見えた。
どこに向かっているのか分からないけれど、とにかく彼らについて行けば、何とかなるだろうと思い、彼らの後を追いかけようとした。
「うおおおおおおおおっ!!!!」
獣のような咆哮が背後で響く。
驚いて振り返れば、ディハルトが身体に纏わりつく炎を弾き飛ばした。
「――……逃がさねえ」
魔法をまともに喰らったはずなのに、ほとんどダメージを受けていないらしく、視界の中に私を捉えると、ディハルトは薄い唇を歪に曲げた。
さっきアレクがそうしたように、薄い唇を小さく動かして、ディハルトが魔法を詠唱し始める。
ばちばちっ、と火花を散らしながら、鬼火のような真っ黒い球体が、魔法を詠唱するディハルトの掌で渦巻く。
ディハルトの掌に浮かび上がった球体は、見る見るうちに、その大きさを変化させてゆき、やがて、その球体はアレクが放った魔法の倍以上もの大きさにまで膨らんでゆく。
「止めろ、ディハルト! 周辺もろとも吹き飛ばす気か!?」
「うるせえ! 雑魚は黙ってろ!」
血の気を失くしたアレクが制止するけれど、ディハルトの耳には届かないらしい。
歪に曲がった唇を薄く開き、くっ、と低く嗤うと、ディハルトは火花を散らしながら、今もなお大きく膨れ上がる漆黒を纏った球体を、迷うことなく、私へと向けた。
突然のことに足が竦んでしまい、一歩も動けない。
「う……そ、」
「くそっ! 美緒! 手を伸ばせ!」
ばちばちっ、と音を立てて、激しく火花を散らす球体が、今まさにディハルトの掌から放たれようとしている。その瞬間ですら、動けずにいたら、弾けるようなアレクの声が、すぐ傍で響いた。
はっ、と我に返って、アレクの声がした方に向かって、手を伸ばせば、駆け寄ってきたアレクが素早く掴み取り、動けないでいる私を、その腕の中に掻っ攫う。
アレクの身体能力はバカみたいにすごくて、目の前に立ち塞がっていた壁を片足で蹴り上げると、私を抱えたまま、アレクは身体を捻るようにして真横に跳んだ。
「――――……っ、!」
突き上げるような浮遊感に襲われ、視界が、二転、三転する。まるで遊園地のアトラクションに乗っているみたいだ。
自分が上を向いているのか、下を向いているのか、それさえも分からない。
胸を強く圧迫され、呼吸をすることもままならず、激しい動きについていけず、振り落とされそうになって、必死にアレクにしがみついていたら、大きな黒い塊が、すぐ真横を、ひゅっ、と風を切って掠めた。
ほんのわずかの差で標的を失った魔法は、耳を劈く轟音を辺りに轟かせながら、真正面の民家へ衝突すると、目も開けられないような閃光を放ち、凄まじいまでの爆発と爆風を巻き起こして、周辺にあるものを一瞬で呑みこむ。
「き……きゃあああああっ!」
「しっかり掴まっていろ、美緒!」
爆風に煽られ、アレクの身体もろとも、ものすごい勢いで弾き飛ばされる。
堪らず、悲鳴を上げれば、アレクが、身体を、ぎゅっと強く抱き締める、と次の瞬間、どさり、と鈍い音と共に地面の上に激しく叩きつけられた。
衝撃で身体が大きく跳ねる。
けれど背中に回されたアレクの手が、しっかりと身体を掴んでくれていたお陰で、私は地面に投げだされずに済んだ。
「……っ、アレクっ!?」
とっさに閉じた瞼をゆっくりと見開いた私は、アレクを下敷きにしていることに気づき、慌てて飛び退くと、仰向けで倒れているアレクの顔を覗き込んだ。
「だ……っ、だだだ大丈夫っ!?」
「俺は大丈夫、だ――……お前の方こそ、怪我、してないか?」
「してないしてないしてないっ! アレクが庇ってくれたから私は全然平気! それよりもアレクの方が、」
ぶんぶん頭を振りながら、藍色の瞳を見返す。
私を庇うばかり、背中を強く打ちつけたはずだ。
さっき受けた衝撃の強さを思えば、身体に受けた痛みは、とても大きいだろう。
「ってか、人の心配をしてる場合じゃないでしょ!」
「はっ、そのセリフ、そのままそっくり、お前に返してやるよ。さっき逃げろ、って言っても、逃げようとしなかったのはどこの誰だ?」
きっと背中が痛むのだろう。
アレクの表情はどこか苦しそうだ。
それなのに平気そうに笑うアレクに何だか無性に腹が立った。
「ってなんでこういう時まで、そういう減らず口が叩けるのよ!」
「そういうお前こそ、ぎゃあぎゃあと喚いてないで早く逃げ……」
ゆっくりと身体を起こしながら、口を開いたアレクが、話の途中で表情を強張らせる。え、なに、どうしたの? と首を傾げた矢先、ごごごごごご、と地を這う低い響きと共に地面が小刻みに揺れだした。
「え……って、な、なに? じ……地震!?」
ぐらぐらと揺れ動く地面に驚いていたら、今度はぱらぱらと頭上から何かが落ちてきた。なんだこれ。と思いながら、地面に落っこちた欠片を手に取って見てみれば、なにかの破片のようだ。
「破片? なんだか煉瓦みた――……」
「――……っ、美緒! 伏せろ!」
私の声を遮るようにアレクが腕を掴む。
くるり、と視界が反転して、一瞬開いた空に見えたのは、大きく斜めに傾いた煉瓦造りの家が、今まさにこちらへと向かって倒れてくる瞬間、だった。
「まるで俺が盗み聞きしてたみてえな言い方しやがって……胸糞わりい。言っておくが、俺はたまたまここで雨宿りをしていただけだぜ? 師団長さんよお」
弾けるように頭上を仰いだアレクを見下ろして、ちっ、と舌を打つと、嘲りと皮肉を含んだ言葉を忌々しげに吐き捨てて、ディハルトは寄りかかっていた民家の露台の手摺りから身体を起こす。
底知れぬ冷酷さを秘めた紫紺の瞳が、冷然とアレクを見据えるのに、雨に打たれた寒さとは、また別の冷たさを感じて、背筋が、ぞくり、と震える。
「それにしても驚いたぜ。まさかその小娘が『月に呼ばれし異端者』だったとはな」
「――――……っ、」
「大丈夫だ、美緒。俺がいる」
薄く笑って、こちらに視線を向けるディハルトに怖さを感じて、無意識のうちにアレクの腕を、ぎゅうっ、と掴めば、私にしか聞き取れないような小声で囁いて、すっ、と立ち上がりながら、私の前に出ると、アレクはその大きな背中の後ろに私を庇う。
そんな私たちの様子を仄暗い紫紺の瞳で、眺めやっていたディハルトは、小馬鹿にしたように鼻の先でせせら笑うと、二階に突き出た露台の手摺りを軽々と飛び越え、私たちの目の前に、たん、と降り立った。
「はっ! おもしれえ。師団長ともあろうお方が、ずいぶんとご執心のようだな。さあて、どうするかな。その小娘が『月に呼ばれし異端者』だったならば、とんでもねえ騒ぎになりそうだよなあ?」
「何を勘違いしているんだ? ディハルト。彼女は『月に呼ばれし異端者』なんかじゃ――……」
「うるせえ、てめえは黙っていろ。生憎、俺は自分以外の人間は信用しねえ性質なんだよ。その小娘が『月に呼ばれし異端者』であるかどうかは、俺自身が確かめるまでだ――……だが、その前に英雄気取りの師団長殿には消えてもらうとするか」
挑みかけるように紫紺の瞳を細め、ディハルトが鞘から剣を引き抜く。
「さあ、どうする? 師団長殿。そのお荷物を抱えたまま、俺と一戦交えるつもりか? 師団長殿と違って、俺は目的のためなら手段は選ばねえ。その小娘に怪我をさせないよう、せいぜい護ってやることだな」
「残念だな。貪欲なまでの、その闘争心を俺ではなく、もう少し違う方面に向けていたならば、お前は疾うの昔に第一騎士団の師団長になれていたはずだ」
「――……っ、何だと!?」
「褒めてやったつもりだが、聞こえなかったのか?」
すらりとした長い刀身を持つ剱の切っ先を、額に突きつけられてもなお、アレクは動じるでもなく、凛然とした瞳でディハルトを見据え、ともすれば挑発とも取れるような台詞を吐く。
何にも動じないアレクの落ち着き払ったその態度は見上げたものだし、すごいなあ、と感心するけれど、でもこういう一触即発の危うい状況のときに、相手を煽るような発言は、よろしくないんでない?
アレクの背中の後ろに隠れつつ、そんなことを考えていたら、やっぱりアレクが放った一言は、自尊心がものすごく高そうなディハルトの逆鱗に触れたらしい。
「まじで胸糞わりい。むかつくんだよ。てめえのその見下したような態度がむかつくんだよ!」
激しい怒気を含んだディハルトの声が弾ける。
激昂に身を震わせ、冷酷さが滲み出たその表情を歪めると、ディハルトは、ぬらぬらと黒光りする刃を頭上に振り翳した。
渦巻くどす黒い私怨に取り憑かれた紫紺の瞳は、人を斬ることへの躊躇なんて、微塵も感じさせない。
「ア……アレク、っ、」
ほらー! やっぱりぶち切れたじゃないかー! どうすんのよー! と、あわあわしながら、早く逃げぬか! とアレクの着ている黒のロングコートを、後ろから、ぐいぐいと引っ張るものの、アレクは身動ぎすらしない。
王立騎士団に所属する騎士として、毎日のように稽古に明け暮れ、何にも動じぬ精神を鍛え上げ、このような修羅場など慣れっこなのかもしれないが、迎え撃つ相手は性根が曲がりに曲がってそうなディハルトなのだ。
いくらアレクが百戦錬磨の腕前を持っていようが危険なものは危険だ。
そんなことを思いつつ、渾身の力を込めて、えいや、と、微動だにしないアレクの腕を引っ張ろうとして。
「上に立つ者として一つ忠告しておいてやろうか? ディハルト、お前のその己への絶対的な過信が命取りになることを、」
ディハルトの怒りをさらに増長させるようなセリフを吐き捨てると、アレクは聞き慣れない言の葉を紡ぎ出した。
自動翻訳機では変換されない音色に近いそれは響きこそ違うけれど、占ってやると言ってくれたマルティーヌさんが紡いだものと全く同じものだ。
「――……っ、ちいっ、魔法か!」
唄でも謳うかのように奏でられるその音色が、ディハルトが漏らしたその一言で、魔法を放つための呪文であることを理解するのと同時に、アレクが手のひらをディハルトに向けた。
え!? 魔法!? どんなのか見たいー! と好奇心が先立ち、アレクの手のひらに目を向ければ、そこにはバレーボールくらいの大きさまで膨らんだ球体が浮いているではないか。
おおー! あれが魔法なのかー! と初めて見る生魔法に興奮していたら、魔法を詠唱し終えたらしいアレクが、黒い炎みたいなものを纏わせたその球体を、ディハルト目がけて撃ち放った。
至近距離から放たれた魔法は軌道から逸れることなく、光を伝播するかのごとく速さで、一直線にディハルトに向かってゆく。
「ちいっ、くそがあ!」
アレクが放った魔法を避けようと身を捻るものの、向かってくるそれを躱すには遅く、剣を握り締めたまま、ディハルトが胸の前で両腕を交差させた瞬間、黒い炎のようなものを纏った球体が彼の全身を呑み込んだ。
「美緒! こっちに来い!」
目まぐるしく展開される攻防の一つ一つを、息を呑んで追っていたら、いきなり腕を引っ掴まれたかと思えば、頭を抱えこむように、アレクが私の身体を強く抱きしめる。
その行動に驚く暇もなく、私を抱きかかえたまま、地面を強く蹴り上げると、アレクは真横に跳んだ。
「――……っ、や、怖……っ!」
胃袋を持ち上げられるような浮遊感に襲われ、目を閉じようとして、次の瞬間、弾け飛ぶように瞬いた眩い閃光が、闇に包まれた辺りを明るく照らす。
続いて空気を震わせる大きな爆発音が、夜の静寂に響き渡った。
巻き起こった爆風が土埃を辺りに撒き散らす。
(――……これが、魔、法?)
まるで映画の特殊撮影でも見ているかのような光景に、声を失って呆然としていたら、どさり、と軽い衝撃を伴って、地面の上に身体を投げ出された。
「――……っ、う、」
呻き声を漏らしながら、身体を起こして前を見れば、収まり始めた土埃の向こう側で、激しく燃え上がる炎に、身体ごと呑まれるディハルトの姿が見える。
「何をしている! 早く安全な場所へ逃げろ! この程度の魔法では、あいつを仕留められない。すぐに反撃に出るはずだ! 早くしろ!」
信じられない光景に息を呑んでいたら、アレクの鋭い声が飛んできた。
(……って、これのどこがこの程度なのよっ!?)
絶対に感覚おかしいから! とツッコミつつ、魔法が持つ凄まじいまでの破壊力に恐々としながら、ふらふらと立ち上がると、私は背中を向けて立つアレクに声をかけた。
「に……逃げろって、アレクはどうするの!?」
「俺のことを心配している場合か! 早く逃げろ!」
「でもアレクを残して、私一人だけ逃げられないよ!」
「ご託を並べている暇なんてない! 早くしろ! どっちにしても俺はディハルトを止めなきゃいけない。剣も魔法も使えないお前は足手纏いだ! さっさと行け!」
苛立たしげな表情を浮かべ、言葉尻を荒げて怒鳴りつけると、アレクは怖いくらい、きつい眼差しで睨みつける。それでも決断がつかず、でも、と、ぐずれば。
「何度も言わせるな、早く行け!」
威嚇するように声を張り上げたアレクに、私は、びくり、と身体を強張らせた。
揺らがない強い意志を秘めた瞳は、これ以上の反論を挟む余地を、与えようとはしてくれない。
「――……っ、わかった」
アレクを残して、自分一人だけ、逃げるのは心苦しい。
けれど、自分がいたからって、なにか力になれるわけでもない。寧ろ、邪魔になるだけだ。今、私にできることがあるのだとすれば、それは全力で逃げるくらいだろう。
だったらせめて足手纏いにならないよう、全力で走るしかない。
そう思うと、私は振り返りたい気持ちをかなぐり捨て、地面を蹴って駆けだした。
よりいっそう濃くなった夜の闇が辺りを包み込む。
地面の泥濘に何度か足を取られそうになりながら、勝手の分からない街中を灯かりを求め、全力で走っていたら、突然、起きた騒動に避難してきた人達だろう。
前を行く複数の人影が見えた。
どこに向かっているのか分からないけれど、とにかく彼らについて行けば、何とかなるだろうと思い、彼らの後を追いかけようとした。
「うおおおおおおおおっ!!!!」
獣のような咆哮が背後で響く。
驚いて振り返れば、ディハルトが身体に纏わりつく炎を弾き飛ばした。
「――……逃がさねえ」
魔法をまともに喰らったはずなのに、ほとんどダメージを受けていないらしく、視界の中に私を捉えると、ディハルトは薄い唇を歪に曲げた。
さっきアレクがそうしたように、薄い唇を小さく動かして、ディハルトが魔法を詠唱し始める。
ばちばちっ、と火花を散らしながら、鬼火のような真っ黒い球体が、魔法を詠唱するディハルトの掌で渦巻く。
ディハルトの掌に浮かび上がった球体は、見る見るうちに、その大きさを変化させてゆき、やがて、その球体はアレクが放った魔法の倍以上もの大きさにまで膨らんでゆく。
「止めろ、ディハルト! 周辺もろとも吹き飛ばす気か!?」
「うるせえ! 雑魚は黙ってろ!」
血の気を失くしたアレクが制止するけれど、ディハルトの耳には届かないらしい。
歪に曲がった唇を薄く開き、くっ、と低く嗤うと、ディハルトは火花を散らしながら、今もなお大きく膨れ上がる漆黒を纏った球体を、迷うことなく、私へと向けた。
突然のことに足が竦んでしまい、一歩も動けない。
「う……そ、」
「くそっ! 美緒! 手を伸ばせ!」
ばちばちっ、と音を立てて、激しく火花を散らす球体が、今まさにディハルトの掌から放たれようとしている。その瞬間ですら、動けずにいたら、弾けるようなアレクの声が、すぐ傍で響いた。
はっ、と我に返って、アレクの声がした方に向かって、手を伸ばせば、駆け寄ってきたアレクが素早く掴み取り、動けないでいる私を、その腕の中に掻っ攫う。
アレクの身体能力はバカみたいにすごくて、目の前に立ち塞がっていた壁を片足で蹴り上げると、私を抱えたまま、アレクは身体を捻るようにして真横に跳んだ。
「――――……っ、!」
突き上げるような浮遊感に襲われ、視界が、二転、三転する。まるで遊園地のアトラクションに乗っているみたいだ。
自分が上を向いているのか、下を向いているのか、それさえも分からない。
胸を強く圧迫され、呼吸をすることもままならず、激しい動きについていけず、振り落とされそうになって、必死にアレクにしがみついていたら、大きな黒い塊が、すぐ真横を、ひゅっ、と風を切って掠めた。
ほんのわずかの差で標的を失った魔法は、耳を劈く轟音を辺りに轟かせながら、真正面の民家へ衝突すると、目も開けられないような閃光を放ち、凄まじいまでの爆発と爆風を巻き起こして、周辺にあるものを一瞬で呑みこむ。
「き……きゃあああああっ!」
「しっかり掴まっていろ、美緒!」
爆風に煽られ、アレクの身体もろとも、ものすごい勢いで弾き飛ばされる。
堪らず、悲鳴を上げれば、アレクが、身体を、ぎゅっと強く抱き締める、と次の瞬間、どさり、と鈍い音と共に地面の上に激しく叩きつけられた。
衝撃で身体が大きく跳ねる。
けれど背中に回されたアレクの手が、しっかりと身体を掴んでくれていたお陰で、私は地面に投げだされずに済んだ。
「……っ、アレクっ!?」
とっさに閉じた瞼をゆっくりと見開いた私は、アレクを下敷きにしていることに気づき、慌てて飛び退くと、仰向けで倒れているアレクの顔を覗き込んだ。
「だ……っ、だだだ大丈夫っ!?」
「俺は大丈夫、だ――……お前の方こそ、怪我、してないか?」
「してないしてないしてないっ! アレクが庇ってくれたから私は全然平気! それよりもアレクの方が、」
ぶんぶん頭を振りながら、藍色の瞳を見返す。
私を庇うばかり、背中を強く打ちつけたはずだ。
さっき受けた衝撃の強さを思えば、身体に受けた痛みは、とても大きいだろう。
「ってか、人の心配をしてる場合じゃないでしょ!」
「はっ、そのセリフ、そのままそっくり、お前に返してやるよ。さっき逃げろ、って言っても、逃げようとしなかったのはどこの誰だ?」
きっと背中が痛むのだろう。
アレクの表情はどこか苦しそうだ。
それなのに平気そうに笑うアレクに何だか無性に腹が立った。
「ってなんでこういう時まで、そういう減らず口が叩けるのよ!」
「そういうお前こそ、ぎゃあぎゃあと喚いてないで早く逃げ……」
ゆっくりと身体を起こしながら、口を開いたアレクが、話の途中で表情を強張らせる。え、なに、どうしたの? と首を傾げた矢先、ごごごごごご、と地を這う低い響きと共に地面が小刻みに揺れだした。
「え……って、な、なに? じ……地震!?」
ぐらぐらと揺れ動く地面に驚いていたら、今度はぱらぱらと頭上から何かが落ちてきた。なんだこれ。と思いながら、地面に落っこちた欠片を手に取って見てみれば、なにかの破片のようだ。
「破片? なんだか煉瓦みた――……」
「――……っ、美緒! 伏せろ!」
私の声を遮るようにアレクが腕を掴む。
くるり、と視界が反転して、一瞬開いた空に見えたのは、大きく斜めに傾いた煉瓦造りの家が、今まさにこちらへと向かって倒れてくる瞬間、だった。